第6話 月曜①
翌日、B倉君はやっぱり戻っていなくて、我が南高に登校してきた。
今日はちゃんと登校前に調達してきたらしい調理パンとおにぎりを交互に頬張るB倉君を横目に、弁当を食らう。
「昨日のボウリングで腕の筋肉痛やべえんだけど。こっちの俺、日頃から筋肉使わなすぎだろ。もっと動けって言っておいて」
「こっちの飯倉君は読書家なんだから仕方ないだろ。俺も今日腕上がらない」
「二人揃ってひ弱か。あ、雨野、さっきの英語の小テスト出来た? 俺、全然ダメだったんだけど」
「それなりには埋めたよ」
「まじかよ」
土日を挟んだとはいえ、登校二日目にしてこの世界に順応し始めているB倉君はすごい。学力が伴ってないのが気の毒だけど。
「今日の放課後は、ここからすぐ近くの公園に行こうと思う。神田さんも呼んで」
「公園?」
おにぎりのごみを袋にまとめながら、B倉君は首を傾げた。
「音村さんが、B倉君の移動した原因を知ってた。その話をしてくれるって」
「えっ!」
B倉君は勢いよく教室の後方で固まって弁当を食べる女子軍団に目をやった。
音村さんはその中で友人達と談笑しながら昼飯を食べている。今日は右耳の下で一つにまとめた髪型をしていた。あれもポニーテールって言うんだろうか。
「俺は昨日ちょっと話聞いたけど、この調子ならB倉君、元に戻れると思うよ」
「え! 本当に! やった!」
無邪気に喜ぶB倉君はすかさず神田さんにメールを打った。
午後の数学で当てられたB倉君の回答は相変わらず散々だったが、当の本人はご機嫌で、先生にため息をつかれても全く気にしていなかった。
「ごめんなさい!」
放課後。公園に着くなり、音村さんは頭を下げて謝罪した。
B倉君は「えっ、え?」と状況が飲み込めず慌てている。神田さんはまだ来ていない。
丘の上の公園には俺達三人以外誰もおらず、十六時の空は昨日より少しだけ明るかった。俺は早々に昨日の草むらに入り、捜索を始める。
「え、何? どゆこと?」
「私が、B倉君をここに移動させちゃったの」
「ええ?」
「B倉君、君も一緒に探してほしい。この辺りにバレーボール位のわらび餅がいるんだそうだ」
俺が中腰になって草むらをかき分けながら言うと、B倉君はますます困惑した顔になった。
「わらび餅?」
「どうやらそれが、君を移動させてしまった張本人らしい。音村さんは昨日、一人でそれを捜していたそうだ」
「何が何だか」
その時、視界の隅で何かが、ばいんっ! と跳ねた。
ハッとして目をやると同じタイミングで音村さんが「あ!」と声を上げた。
「雨野君、触らないで! 私が捕まえる!」
制服のまま草むらに駆け込んできた音村さんは、その、大きな塊に一目散に飛びついた。
倒れこんだ音村さんの腕にはしっかりと、それが抱きかかえられている。
「大丈夫?」
思わず手を差し出すと、音村さんは「はは、勢い余ったね」と苦笑いしながら、右腕にそれを抱いたまま、左手で俺の手を取って立ち上がった。
「それが『パラレル』?」
「うん」
音村さんが抱え直すと、その半透明の球体はプルプルと揺れた。
見た目はまさしく大きなわらび餅。
だが、その中心部分はうっすらと光っており、今も音村さんの腕の中でもぞもぞと動いている。ゲームでよく見るスライムって実際に居たらこんな感じなんだろうか。
その時、パラレルから「キュイーン」とパソコンの起動音のような音がした。
『こんにちは』
機械的な女性の声が、パラレルから発せられた。
「な、なななにこれ」
B倉君が目を真ん丸にして驚いた。その声に反応したのか、パラレルはこう答えた。
『私は、分岐世界移動小型装置『パラレル』です』
丁度、神田さんも公園に到着したので、俺達は昨日のベンチに移動した。そして音村さんは、パラレルを使ってB倉君と神田さんをこちらの世界に移動させてしまったことを謝った。
昨日、俺が聞いた事をほとんどそのまま伝えた音村さんは、すべて話すと再び頭を下げた。
「本当にごめんなさい。もう一度、B倉君に会って「ありがとう」って言いたかっただけだったの。それが、神田さんまで巻き込んで、こんな、何日も混乱させるような日が続いちゃって」
しきりに謝る音村さんを前に、B倉君と神田さんは「いやいや大丈夫だよ」と慰めた。
ほとんどそのまま伝えた、と言っても、音村さんはB倉君への恋心だけは隠し通した。
先週パラレルを発見した時に、幼い頃B世界で自分を精神的に救ってくれたB倉君の事を思い出し、感謝を伝えたくなった。と、突き詰めればすぐに粗が出そうな誤魔化しで押し切ろうとする音村さんを微力ながらフォローしたが、そんな心配も無用なほど、B倉君と神田さんはそれをすんなりと受け入れてくれた。
「そっかー! 俺、何となく覚えてるよ。あの時、公園で叫んでたのが音村さんだったのかぁ」
笑いながら「そっかそっかー」と頷き続けるB倉君に、音村さんは恋する乙女の顔を隠しきれていなかった。
気持ちはわかるが神田さんにバレるぞ。
「しかし、それは一体何者なんだろうな? ロボット?」
話題を変えるために、俺はパラレルを指さして首を傾げた。
そもそもパラレルは一体どこから現れたのか。移動装置、というからには誰かが意図して作ったものなんだろうが、誰が、何のために?
そもそも現代の技術で作れるようなものなんだろうか。そういう研究をしている機関では普通に使われているもの? それとも極秘で作られたものなのか。
「よくわからないけど、それを使えば元の世界に戻れるんだよね」
「うん。それは間違いない。二人が元のB世界に戻れば、必然的にこっちには入れ替わっていたAの二人が戻ってくるはず」
神田さんの問いに音村さんが頷くと、パラレルがチカチカと淡く点滅した。
『私に登録された分岐は一九九三・一・五、です。現在地は分岐です。本線に移動しますか?』
「本線?」
よくわからないが、B倉君達の生きているB世界がパラレルの言う「本線」で、そこから分岐して生まれたのがこちらのA世界なのだろうか。数字の羅列は分岐した日付とか?
一九九三年と言えば、今からおよそ二十五年前になる。俺達が産まれるより前の話だ。
「とにかく、難しい事はわからないけど、私がパラレルを使って二人をここに連れてきちゃったのは事実。今から戻すね。本当にごめんなさい」
「いいって、いいって。終盤は段々こっちにも慣れてきて楽しかったし。雨野とも仲良くなれたし」
がしっとB倉君が肩を組んでくる。
この豪快なB倉君ともこれでお別れと思うと、なんだか少し寂しいような、名残惜しいような気持ちになった。思わずB倉君と握手する。
「色々ありがとな」
「俺も、楽しかったよ」
「じゃあ、いくよ」
音村さんはパラレルに言い聞かせるようにはっきりと言った。
「飯倉君と、神田さんを、元の分岐に戻して」
『わかりました』
その瞬間、ぐらっと眩暈が襲った。水色とオレンジが混ざったような、十七時前の空がぐらっと揺れる。
そして。
瞬きした瞬間、俺は、自分の部屋に居て、勉強机で漫画を読んでいた。
「……え?」
「えっと、南高の飯倉君と桜浜女子の神田さん、だよね?」
「あ、はい」
「うん。え、音村さん?」
突如、俺の目の前に現れた、初めて見る同い年位の制服の女子に、もう一人の女子が「よかったー!」と笑いかけている。
俺は知らない男子と握手していて、慌ててほどくと男子は俺の顔を見て心底安心したような笑顔を見せた。
「よかった! 成功だね。雨野君」
「雨野君、なんだか久しぶりな気がするよ」
同じ南高の男子と女子に話しかけられた。
よく見れば女子の方は同じクラスの音村さんだった。が、今まで握手していた大人しそうな男子は知らない。
そもそも、なんで俺は公園にいるのか。
いつの間にここに来た? 部屋でくつろいでたのに。瞬間移動?
「雨野君? どうした?」
「君は、誰だ? 俺は、いつの間にここに」
俺が聞くと、男子は「え?」と驚いた表情になった。
「……え!?」
音村さんの焦りと驚きが混ざった声が、公園中に木霊した。
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