第5話 日曜②

 学校に着いたのは午後四時前だった。

 私服で校内に入るのは気がひけたが、ここまで来てしまったので仕方ない。愛車に乗ったまま校門を抜けて駐輪場の方へ向かう。


 運動場では一番奥で野球部が精を出して活動しており、他にもちらほらと午後四時で終わるらしい運動部が片づけ作業をしていた。


 駐輪場に愛車を停め、運動場横に連なる部室棟の前を抜けてテニスコートの方へ向かう。

 が、コートには誰もいなかった。片付けもされており、鍵がかかっている。


「どうか、しましたか?」


 後ろから声をかけられ振り返ると、怪訝そうな顔をした体操着の下級生女子二人がこちらを見ていた。

 どうやら不審者に見えてしまったらしい。


「あ、あの今日、女子テニス部って部活動ありました? よね?」

「今日テニス部はお休みでしたよ。何か御用ですか?」


 警戒を解かない女子二人に「あ、じゃあ大丈夫です」と謝ってそそくさと駐輪場に戻る。


 俺がなにしたって言うんだ。私服の眼鏡男子がそんなに珍しいか。


 テニス部は休み、という事は音村さんは今日、嘘をついてファミレスに来なかったという事になる。

 音村さんが来たくなかった理由、それは多分、神田さんだろう。


 俺は携帯を取り出して音村さんに電話した。

 長いコールの末、ようやく「もしもし」と音村さんが応答した。


「音村さん、今どこにいる?」

「えっ、あー、部活は終わったんだけど、まだ部活仲間と一緒に居るんだよね。だから今日は」

「今日テニス部、部活なかったって言われたんだけど」


「う」と電話越しに言葉に詰まる音村さんが見えた。

 どうやら外にいるらしく、ごおっと風の音がノイズになって聞こえる。


「B倉君達とはさっき解散して今一人でいるんだけど、ちょっと話せない?」

 少し沈黙があってから、音村さんは「いいよ」と言った。



 音村さんに呼び出されたのは高校から自転車で五分ほどの距離にある公園だった。

 公園は小高い丘の上にあり、そこから更に少し上ると市立図書館がある。

 自転車をひいて緩やかな坂を上りきると、開けた広場にブランコと滑り台があって、そこに音村さんはいた。


 俺に気づいた音村さんは「ごめんね、こんな所まで来てもらって」と笑った。ポニーテールが揺れる。


「今日、行けなくてごめん。ボウリング楽しかった? ってか、なにか進展あった? 神田さんが何か知ってた! とか、B倉君が何か思い出した! とか」

「残念ながら、新しい情報は得られなかったよ」

「そっかぁ……」


 わざとらしく残念そうに首を落とす。


「単刀直入に聞くけど、音村さん、B倉君の事が好きだよね?」


 びくっと、音村さんの肩が揺れた。


「え、ええー? なんで急に。私、飯倉君の事はクラスメイトとしか」

「飯倉君じゃなくて、B倉君。B世界から来てしまった今の飯倉君」


「いやいや、だってB倉君とは金曜に会ったばっかりだよ? なのに」

「じゃあなんで今日来なかったの。彼女である神田さんがいたからじゃないの?」


 誤魔化そうと精一杯笑う音村さんが、ぐっと言葉に詰まった。俺達二人だけしかいない公園に、冷たい風が吹き抜ける。


「昨日の帰り際に音村さんが言った『どうしてこっちでは離婚しちゃったんだろう』って言葉。あれは、このA世界には元々B倉君が存在しない事を嘆いていたんだな。って気がついた」


 そう、この世界にも『飯倉君』はいる。


 けれど、それは両親の離婚を経験したA倉君であり、離婚を経験しなかったB倉君とは全く違う。

 どちらも同じ『飯倉裕也』だが、離婚した日を境に高校二年生になるまでの間で、それぞれが違うものに触れ、違う仲間に出会い成長した結果、性格も、考え方もまるで違う飯倉君とB倉君になった。


 音村さんと初めて話したのはB倉君が現れた日。つまり一昨日の放課後。

 二年に上がって同じクラスになった四月からそれまで音村さんと俺達は一度も話したことはなかった。飯倉君と二人で話している様子も記憶にない。


 音村さんはB倉君が現れて、初めて俺達に接触した。


 まぁ、初日のB倉君はなんとも挙動不審だったので、興味本位で話題に入ってきたんだろう。と思っていたけど。今思えば、音村さんは妙に理解が早く、協力的だった。

 まるで、会える事を待っていたかのように。


「もしかしてだけど、音村さん、何か知ってるんじゃないの?」


 音村さんは黙っている。五月の湿った空気が頬を撫でた。


 沈黙が続く。ばつが悪そうな顔で目線を逸らし続ける音村さんは、五分ほど待ってようやく、その口を開いた。


「ごめん。こんな大事おおごとに、なるはずじゃなかったの」

 音村さんは顔を上げ、困った顔のまま謝った。


「ほんの一日、会えるだけでよかった。だけど、欲が出てもう一日って伸ばしたせいで」

「え? どういう事?」

「私がB倉君をこっちの世界に呼んだの」


 日がゆっくりと落ちてきて、園内を夕方の空気が包み込む。


「正しくは、飯倉君とB倉君を入れ替えた」

「どうして、それに、どうやって。大体、入れ替わってるってなんでわかるんだ」

「行った事あるから」

「え?」


 困惑する俺をまっすぐと見て、音村さんは言った。


「私、小学生の時にBの私と入れ替わった事があるの。そこでB倉君に出会った」


 予想外の展開についていけない。

 鞄が肩からずり落ちたが、そんな事気にしていられない。


「ちょ、ま、待って。B世界に行ったことがあるって事? ど、どうやって。っていうか、B倉君をこっちに呼んだのだってどういう」


 慌てふためく俺に音村さんは再度「ごめん」と頭を下げた。


「BとAを行き来できる装置……じゃないか、生き物……? でもないか。まぁとにかく移動できる物質があるの。それ本体は『パラレル』って名乗ってた」

「パラレル……?」

「でも、それが昨日から見当たらないの。この公園にいるはずなんだけど、あっちの草むらを探しても居なくて」

「えっ? なにそれ、生き物なの? 機械? 動くもの?」

「多分ロボット……? よくわかんない。けど動くよ。跳ねる。バレーボール位の透明な玉? っていうか、グミ? わらび餅みたいな」


 なんだそれは。バレーボール位のわらび餅が公園に落ちてたら目立ちそうなものだが。


 音村さんは焦った表情で公園の隅にある、整備されていない草むらをかき分けてそれを捜し始めた。


「ちょ、聞きたい事が多すぎてパニックなんだけど」

「そりゃそうだよね。全部話すよ」


 堪忍したように肩を落として、音村さんは草むらの奥へと進んだ。俺も後について草むらに入ると、ひざ上まで伸びた雑草がズボン越しにチクチク刺さって痛かった。


「私、小六の時に隣町からこの丘の下の住宅地に引越してきたの。父方のおばあちゃんと同居する事になったからその関係で。今となってはチャリで行ける距離なんだけど、当時は転校する事がすっごい嫌で」


 音村さんが顔を上げて公園内を見渡す。


「今まで仲良くしてきた友達と中学の学区違うし、毎日、友達一人もいない小学校に通うのが嫌で仕方なくて、放課後この公園によく親の悪口を叫びに来てたんだ。お父さんのばかー! みたいな」


 そう言って照れるように笑う。


「って事を引越ししてから数日続けてたんだけど、ある日、いつもみたいにこの公園に来たら、それがぽんぽん跳ねてたの」

「……パラレル?」

「そう。その時は何もわかってなくて、何だこれ? って近づいて、捕まえた。と思ったらフラって眩暈がして、それはいなくなってた」


「それって、B倉君や神田さんが言ってた……」

「うん。私の場合は移動した先も同じ公園にいたからよくわからなかったけど、多分それが移動の合図。やっぱりAとBを移動するときは眩暈がするみたい」


 草むらの真ん中で鞄からノートを取り出し、立ったままメモする。


「じゃあ、そのパラレルってやつに触れると、Bに移動してしまうって事? 飯倉君がここでパラレルに触れてしまったって事なのか?」

「違う。飯倉君のそれはちょっと置いておいて。私の時は触れただけで移動してしまった。でもさっきも言った通り、移動先もこの公園だったから何が起きたのかよくわからなくて。透明なぶよぶよは幻だった? とかなんとなく違和感が残りつつも、いつも通り不満を発散させたんですよ」

「……そこに、B倉君が来たと」


 音村さんはこくりと頷いた。


「偶然、公園を通りかかったB倉君に親への不満を聞かれちゃってさ、恥ずかしかったなぁ。でも、小学生のB倉君、超優しくて、軽く愚痴ったら「大丈夫、すぐ友達出来るよー」って明るく励ましてくれたの。初対面だよ? それが、友達いない中に放り込まれた私にはすごい響いてさ。あ、新しく友達作るのってそんなに大変じゃないんだなって思えて」


 日が落ちてきた。

 バスケットコートほどある草むらの先には柵があり、街を見下ろせるようになっている。夕日でうっすらとオレンジ色になった見慣れた街の中に、さっき寄った我が南高を見つけた。


「そこから、転校先の学校でも積極的に話しかけるようになって、受け入れてもらえて、って感じになって」

「ちょっと待った。音村さんはどうやってAに帰ってきたの」


 俺が話を切ると、音村さんは「あぁ、そうだよね」と頭を掻いた。


「それは、ぶっちゃけ私にもよくわかんないんだよね」

「わかんない?」

「多分、Aに来てしまったBの私がパラレルに触れたんだと思う。勝手に戻ったから」

「勝手に戻った?」


 音村さんが大きく頷いて、ポニーテールが揺れた。


「B倉君に励まされた次の日、確か土曜だったんだけど、部屋に居たら突然眩暈がして、気がついたら公園に居た。丁度この草むらで、目の前にはパラレルがぽんぽん跳ねてた」

「なんでBの音村さん……B村さんはここにいたんだろう」

「多分、違和感が気持ち悪かったんだと思う」

「違和感?」


「B倉君や神田さんが言ってた通り、元々いる世界と違う世界にいると、胸がざわざわするっていうか……まぁ、B倉君の場合は家庭環境や学校も違ったから余計なんだろうけど、私はその辺が全く変わりなくてもBにいる間中、なんとなく気持ち悪かった。本当にここにいていいのか? 的な感覚が常にあるんだよ」


「つまり、入れ替わりでこっちに来てしまったB村さんもその違和感が気持ち悪くて、解決策を捜しに、移動した場所であろう公園に来たって事?」


「多分。Bの私は移動後にパラレルを見ているはずだから、それが何かしたと推測して翌日見に来たんじゃないかなぁ、と思う。これに関しては想像でしかないけど」


 なるほど、AとBの入れ替わりでは魂しか移動しないから、BからAに来たB村さんは移動した瞬間、パラレルを持っている状態だったのか。


 そこから公園を離れて一日過ごしたけれど何か気持ち悪くて、原因だと思われるパラレルを探し出し、触った結果元に戻ったと。成程、筋は通っている。


「その時はそれで終わり。それ以来パラレルに会う事もなかった。なんだか不思議な事が起きた気がするなぁって感覚だけが残ってたけど、それもだんだん薄れてった」


 草むらに目をやりながら、奥村さんは淡々と話す。


「それから四年。パラレルの事も忘れかけてた高一の秋。選択授業で同じ学校に飯倉君がいることを知ったの」


 俺と飯倉君は一年の時から同じクラスだが、音村さんは違う。そこで初めて飯倉裕也君が南高にいる事を知ったのだと言う。


「びっくりした。あの時の飯倉君?! って勝手に舞い上がっちゃってさ。二年になって同じクラスになれた時は本当に嬉しかった。しかも出席番号一つ後ろで席めっちゃ近いし」


「飯倉で音村だからね」


「そう。でも、雨野君と話す大人しい飯倉君を遠巻きに観察しているうちに、あれ、本当にあの時の飯倉君? って疑問に思った。見てれば見てるほど、あれは違う人だったんじゃないかって思うようになった」


 本格的に日が傾いてきて、街灯の明かりがぽつぽつとついていく。手元も段々と暗くなり、いつの間にか草むらの中もよく見えなくなっていた。


「その時、パラレルの事を思い出した。あれが関係して、何かがおかしい事になったんじゃないかって。だから久しぶりにこの公園に来たの。それが、この間の木曜」


「……暗くなってきたから場所を変えよう。この暗さじゃもう探し物は見つからないよ」


 俺がそう言うと、音村さんは「いや、でももうちょっとだけ」と粘ろうとしたが辺りはどんどん暗くなり、気づけば既に東の空は夜に包まれていた。

 観念した音村さんと街灯の下のベンチへ移動する。


「木曜の放課後、この公園で四年ぶりにパラレルと再会した。でも、四年前と今回のパラレルは様子が違った」


 ぼんやりと、さっき探し回った草むらを眺めながら音村さんは言った。


「喋ったの」

「喋った?」


「うん。キュイーンって機械音がして『お久しぶりです』って挨拶された」

「小学生の時は何も言われなかった?」

「うん。触っただけで移動しちゃったから。でも今回は触っても移動しなかった。なにこれ、って騒いだら『分岐世界ぶんきせかい移動装置いどうそうち・パラレルです』って機械的に自己紹介までしてくれた」

「分岐世界、移動装置?」


 復唱しながらノートに書き写すと、音村さんはこくりと頷いた。


「他にもよくわからない事言ってたよ。設定された分岐は、とか前回の移動は、とか、よく覚えてないけど」


 でも、それを聞いて音村さんは納得したのだという。

 小学生の時、パラレルを触って行った世界は、似ているけどやっぱりこことは違う世界で、自分は本当にパラレルワールドへ行ったんだと。

 そして、あの時出会った飯倉君はこことは別の世界の飯倉君であり、今現在クラスメイトである飯倉君とは似て非なるものなのだと気づいてしまった。


「ごめん。本当に出来心だったの。あの時、私を救ってくれたB倉君にどうしても会いたくて、パラレルの力を使って飯倉君を入れ替えた。会ってみたら、本当に小学生の時の飯倉君のままで、本当は金曜の放課後に戻すつもりだったんだけど、もう一日だけって思っちゃって」


 だからファミレスで「きっとすぐに戻れるよー」と言っていたのか。と今更気づく。


「土曜に神田さんの家に行って、神田さんもBから移動してきてた事がわかって慌てた。まさか、飯倉君意外の人間も巻き込まれてるなんて思いもしなかったから。神田さんの家で雨野君と別れてから、急いでここに来てパラレルを捜したんだけど居なくて。それに、昨日はなんか怪しい男の人がずっとこの辺りをうろうろしてて近寄れなくて」


 はぁ、とため息をついて音村さんは落ち込んだ。


「こんなに迷惑をかける予定じゃなかったんだ。どうしても今日中には戻さなきゃって探したんだけど、パラレルどこにも居なくて」

「まさか、今日一日中、一人で探してたの? ここで」

「え、あ、うん」


 よく見れば音村さんの手は草で切ったらしい傷や土で汚れていた。

 神田さんに会いたくないから今日は集まりに来なかったんだろう。と勝手に推測して納得した自分を恥じた。


「俺に言ってくれたら、一緒に探したのに」

「いや、木曜は普通に居たからさ。昨日は変な人が居てちゃんと探せなかったからあれだけど、朝から探せばすぐ会えるだろうと思って……まさか見つからないとは」


「不審者がいるような所に、こんな遅くまで一人でいちゃダメだろ」

「だって、私が招いたことだし。早く見つけて二人を元に戻さないとって焦っちゃって」


「……明日の放課後、みんなでここに来よう」

「……うん。明日、今言った事、二人にも話す」


 すっかり暗くなった公園の坂道を、自転車をひいて音村さんと下った。


 音村さんは終始黙って落ち込んでいたが、俺は何とも言えず、公園から徒歩五分の音村家前まで送り「また明日学校で」と挨拶して愛車を走らせた。

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