嵐の前に

 それから一ヶ月は順調に過ぎた。突然やってきた転入生が曰く付きの皇太子であるのは周知の事実であったので堅くなっていた同級の者も、ジュストが思ったよりも気安い態度でオットーの手綱をとっているのを見るにつけ、肩の力を抜いていった。


 また、初めはざわつかれていたもののジュストとオットーが、アダルベルトを始めとした攻略対象やヒロイン・悪役令嬢と共にいるのも周囲にとっては見慣れた光景になり、ジュストはジュストで、現実となった彼らの思いもよらぬ一面を興味深く思いつつも、有用性は薄れなかった攻略本情報よびちしきを用いて良い友人関係を築いていった。ただ一人を除いて。


 言わずもがな。初恋の相手エンリケッタである。


 そもそも碌に話す機会もなかった。

 エンリケッタを守るためにはまだ己の恋情は知られてはならない。それはジュストにとって変わることのない方針だ。とはいえエンリケッタはオルフィーナらと行動をすることも多く、必然的にジュストの近くにもいるのである。雑談なり気楽に言葉を交わすことくらいはあると思っていた。

 ジュストは悪役令嬢の人気をなめていたこと認めざるをえないだろう。

 休み時間にエンリケッタに群がる女子生徒の群れを初めて見た時、ジュストは乾いた笑いを禁じ得なかった。

 何を話しているのかとジュストが傍のオルフィーナに聞いてみれば結婚相談や家族の話、人間関係、思春期特有の悩みなど、「まるで学園の母……学園の令嬢?ばりのはちめんはっぴの活躍だよ」とまるで自分のことのようにドヤっていた。


 もちろん幼い頃から行儀作法と上下関係を叩き込まれ、中身はある意味体育会系の貴族の娘が上位の者に対して不興を買う真似を進んですることはない。人と人が付き合う上での基本的な礼儀というものも当然あるし、建前上は身分に関係なく平等とはいえ、それにも限度がある。平等の魔法は三年で解けるのだから少し先が見える者ならばそうそう無茶はしない。

 つまりエンリケッタ本人もそれを認めているのだ。

 そんな中にジュストが入っていけば目立つことこの上なく、気軽に話しかけることなどできるはずもない。


 先日の薬学のようにアダルベルトたちと共にいる時は、それこそ調合やグループワーク、何かしらの目的を持った討論が開始されることが多かったし、エンリケッタは一歩引いた立場で調整役を担っていた。

 個人的な会話を行おうと話しを振ってみるが、どうも誰に対しても一線を感じる。彼女はそれを表に出すことは一切ないが。

 表がどうかというと、あざとい、かわいい、きれい、かわいい、かわいいと、この一ヶ月ジュストは少なくとも二千回は脳裏で呟いている。

 眉や頰、目の動き、頭のてっぺんから指先まで計算され尽くした可愛さが可愛い。

 計算だなというのも、一線引いているなというもジュスト自身も同じことをしているのと、ゲームの知識があるので気付いただけだが、分かっていても可愛いものは可愛い。

 可愛いものエンリケッタはすごい。伊達に魔性の女をやっていない。

 

 そしてこの悪役令嬢、見事に隙がない。

 

 仕方がないので、ジュストはまずは自分が肥えた餌になることにした。皇后狩りと攻略対象の攻略の間に、とりあえず友人関係になっておいて、それからじっくりと、というのは完全に諦めた形だ。

 やることは特に変わらない。予定通り、魔性の女でも思わず食いつきたくなるような、彼女の隣に並び立つに相応しい男になるだけだ。せいぜいたっぷりと甘い蜜を被って捕まえにきてもらおう。———ジュストはそう改めて決め。

 その第一歩として、帰省日である今日、皇城に舞い戻った。



 







 三年ぶりに会う自領の代官は、入室してすぐさま禿げの進行した頭頂を私に見せつけた。


 皇太子には帝都アダマンティンからみて東南にある交易上の要地、オルトナイル領が与えられるのが通例だ。

 もっとも自分で治めるわけではなく基本的は代官を派遣する。やることと言えば定期的に納められる税収のピンハネ分おこずかいを懐に収め、年に一度予算案にハンコを押し、年に二度人事の書類にハンコを押し、あとは軍事関連の申請に関して最終許可を出すことくらいだ。

 実務はほとんど現地の文武官が行う。そして、代々皇太子、ひいては皇家に仕える家系が多いオルトナイル領には、皇后を擁するアガレス家と言えどもそう簡単には切り込めなかったようで、我が領の家臣団は現在、皇后派と皇太子派が入り乱れている魔境である。


 代官の職は伝統的に直臣の中でも家格の高い三家の持ち回りだが、私の代ではもめにもめた。最終的に辛うじて皇太子派がねじ込みに成功したのが目の前の恰幅のいい男だ。

 頭頂の光具合を見るにここ三年で相当苦労したと見える。


「殿下、お久しゅうございます。無事のお戻りを我らオルトナイル領家臣一同お待ちしておりました」

「留守の間の役目ご苦労、代官ロダン。マルタにいた間も報告書は受け取っていたが、人口も税収は右肩あがりじゃないか。よく務めてくれてたね」

「ありがたきお言葉。このロダン、ジュスト殿下とシャトゥレの栄光のため一層粉骨砕身励む所存でございます」


 再度向けられた頭頂から視線を外し、傍の騎士に声をかけた。


「パジャン、第五練兵所のロノウェ将軍に少し遅れると伝えてきてくれ」

「……しかし殿下」


 パジャンがロダンをみて躊躇する。建前上は私の身辺警護、実際は皇后から課せられた任務である私の監視を外したくないのが本音、といったところか。付き合う義理もないで斬って捨てる。

 


「彼は私の腹心だ、危険はない」

「しかし、私が行かずとも、伝令は他にもいくらでもおります」

「私の意思をしかと伝えられる者が他にもいると?お前は随分自分を過小評価しているな」

「殿下!」

「くどい」


 めったに自己主張をしない皇太子に慣れているパジャンは私の言葉に苛立って奥歯を噛み締めたようにみえる。

 本来の身分を考えればこれが当たり前なのに。先ほどのセリフは形の上では『殿下』という尊称であったが、略されているのは『俺の言葉に逆らうのか。貴様は所詮傀儡だ。言うことを聞け』、だ。何度も面と向かって言われたことだ。

 全く慣れとは恐ろしい。虎の威を借りすぎた狐は、己が虎だと簡単に思い込む。

 とはいえ、どんなに監視対象をなめていても、部外者ロダンがいるここではパジャンも強硬手段には出れない。


「まあまあ、殿下、騎士パジャンも殿下の御身の安全を憂えてのことですから」 


割って入ったのは私の側仕えをしているルルカンだ。これもは皇后が送った監視役の一人。


「騎士パジャン、ロダン卿は殿下もおっしゃったように殿下の腹心でござります。それにこの場には私めも、他の者も付いております。騎士パジャンの恐れているようなことは起きますまい」


 この言葉は一見とりなしているように見えるが、実のところ巧みな言い回しで、不利であるから命令に従え、この場には自分もいるから大丈夫だ、とパジャンに伝えているにすぎない。

 ルルカンはホルガーが送り込んだ二重スパイだ。これほどわかりやすく私がパジャンを遠ざけようとする意思を示せば、合わせるくらいの芸当は簡単にする。


「そうですぞ騎士パジャン。私が殿下を害することなど万に一つもありませぬ。官の文武は違えど、我らは共に殿下の御為に命を尽くす者ではありませぬか」


 心外だという態度ででっぷりとした腹を揺らしたロダンに、パジャンの額に青筋が浮かんだ。流石に魔境を抑えてきているだけあってロダンはもっともらしい言葉で煽るのが上手い。


「パジャン、これ以上の問答は無用だ。疾く役目を果たせ。ロノウェ将軍を待たせることこそ私の顔に泥を塗る所業と心得よ」

「……はっ。御前失礼致します」


 口では殊勝に応じはしたものの、荒々しい足ぶりを隠すことなくパジャンが立ち去った。皇后が私にあのような者をつけたのは何故だろうかと考えたこともあったが、おそらく処理する際に諸共に消して惜しくない人間なんだろうなと、薄々察している。


「さてロダン。人払いをしたのは外でもない。折り入って話があるんだ」

「はて、このロダンめに」

「そういうのはいい。ルルカンも聞いてくれ。ロダン、卿はホルガー侯とは親しくしているね」


 表情こそ変えなかったが、ロダンは黙した。

 ホルガー侯は反皇后派の筆頭。外相を務めている。ロダンが皇太子派であるのは周知の事実であるが、明確な言質は与えないのが貴族というものだ。そう簡単には認めない。

 まして、一応は派閥の旗頭であるとはいえ私は皇后の玩具だ、有名無実といっていい。帝国における皇太子派、ひいては帝室派は隠れキリシタンのようなものだ。

 けれどその段階はもう終わらせなければならない。


「ロダン、ルルカン。卿らには長に渡る忍耐の時を過ごさせた。私はさぞや輔け甲斐のない主人であっただろうに、今日までよく仕えてくれた。卿らの、いや、卿らだけではない。あの我が物顔で玉座に座す女狐に心ある忠賢の臣がどれほど歯痒い思いをしただろうか」

「殿下!」


 声を重ねたロダンとルルカンはしかし、未だこれが皇后により垂らされた釣り針であるか、それとも本当に凍っていた皇子に血が通ったのかはかりかねているようだった。


「安心してほしい。我が血と祖先に誓っていう。これはイザベルの謀ではない。私もいい加減あの女人に我が皇家を好きに荒らされるのは腹に据えかねているんだ。……マルタとの密約は卿らも聞き及んでいるだろう。むこう五年は私に手を出せない。そしてアダルベルトの成人は四年後だ。イザベルはまだ私が彼女の可愛い人形であると思っているだろうが、いずれにしろ四年後には眼中の釘である私や、卿らを排除しにかかるだろう。その前に叩く」


 ついに明確に口に出した。


「ついては、ホルガー侯に卿から話を通してほしい。」

 

 ロダンの顔からは先刻までの人好きのする笑みは消えていた。


「殿下、恐れながら二つ伺ってもよろしいでしょうか」

「許す」

「なぜ今なのです」

「全ては天命だ。時期が今、来た。これまで私は私が生きている方が利があるとあの女に思わせる必要があったのだ。私が帝位を取れるまでの間、父帝をイザベルの魔の手から守るために。だがもう母の仇に従うのも終わりだ」


 嘘は言っていない。全ては天命だ。私が翡翠の記憶に目覚めたのは。

 後付けの理由がこうも見事にハマるなら、きっとこれすらも運命の一部だったのだろう。


「……殿下はお立ちになると決意されたというとこでよろしいのですか」


「いいや」

 

 あえての否定に場の空気が硬直した。そこで私は素っ気なく言葉を足す。

 より強く印象付ける。今の私は言葉一つで百戦錬磨の老獪な政治家を従えなければならない。言葉だけで動かない連中を、言葉だけで動かすのだ。掲げる旗印にふさわしい器。相応の利。頭を下げさせるための威と貴。

 この段階ではゆめまぼろしのハリボテにすぎないそれらを言葉だけで本物のように見せるには、見せる角度と、環境を整えなければいけない。

  顎をわずかにあげる。そして視線で射抜けろとばかりに二人を睨みつけた。 


「決意ならとうにしている。足りないのは敵を屠る刃だけだ。卿らよ、長い冬の時代をよく耐えた。いまこそ我が剣となれ。今年中に皇后を降ろすぞ」


 靴音を綺麗に揃えてロダンとルルカンがその場に片膝をつく。


「そのお言葉を十七年間、お待ち申し上げておりました」


 首を垂れて捧げられた言葉には、万感の思いが込められているように聞こえた。














「おう、やっときたか。遅いから遊んでいたぞ」

 

 砦の屋内戦を想定して石造りの小さい部屋となっている第五練兵場についてまず目に入ったのは、息を吸おうともがくボロ雑巾のようになったパジャンと、その向こうで手をあげているボリス将軍だった。

 

「まったく近衛のくせに情けねぇなぁ。他国についていったんなら鍛え上げられてると思ったのに。なんだこれは。逆に鈍ってんじゃないのか。緊張感のかけらもねぇ。おいジュスト、お前どういう教育をしてるんだ」

「この近衛騎士は陛下が私の身を案じてつけてくださった者。私が教育することなんてありません」


 パジャンを一瞥することもなく微笑んで将軍に返すと、将軍は眉を上げた。


「そりゃ建前はそうだけどよ。それで毒殺されかかってたら世話ねぇぞ」


 そう言って、ボリス将軍はガツンと大剣をパジャンの頭すれすれの石床に突き立てる。火花が散った。練習用の刃の潰されたものだからこそできることだ。無様な悲鳴が下の方から聞こえる気がするが、気がするだけだ。

 殿下だの、お助けをだの、きっと幻聴だ。


「あれは不運もありましたからね。主犯が主犯でしたので。まあその話はまたいずれ」


 ほとんどが知っているとはいえ、一応は機密扱いなので、壁際でこちらを見ている少年二人に視線をやって話を中断させる。

 ボリス将軍はふんっと鼻を鳴らすと大剣を担ぎ直して声を張り上げた。


「オットー!エメリヒ!こっちにこい」


 待ってましたとばかりに駆け寄ってきたのは攻略対象の中でも犬っぽいとの呼び声高いオットーだ。


「ジュスト様!手合わせしましょう!」

 

 清々しいほどに簡潔な脳筋のセリフである。


「いいよ。ところでそちらは」


「俺の弟です!エメリヒ!ジュスト様だ!ご挨拶を!」

「……エメリヒ・ロノウェと申します。お初にお目にかかります、殿下」


 アダルベルトと同じ年の頃にみえる、オットーとよく似た赤毛の少年がそう言って頭を下げた。

 丸い緑の瞳は生意気そうで、色こそ兄と同じだが雰囲気はまるで違う。

 

「そう固くならずとも良い」


「手合わせするっていうから連れてきたが、本当にやるのかジュスト」

「ええ」

「お前、手は」

「大事ありませんよ。少しばかり前まで侍医に止められていましたが、いまはこの通り動きます」

 

 ピアノを弾くように指を波打たせる。その瞬間に、右足を掴まれた。


「で、殿下……」


 見下ろす。すっかり存在を忘れていた。


「パジャン。役目ご苦労であった。その様子では本日はもう私の護衛は荷は重いだろう、下がって良い。ルルカン、パジャンを軍医の元に」

「気をつけろよ、折れちゃいないがあばらが二本はいってるはずだ。治ったらまたこい。鍛えてやる」


 その言葉に絶望的な表情を浮かべたパジャンが引きずられていく。私も良い師をもったものだ。


 ジュスト・オルトナイルは幸福である。それは翡翠の記憶を持ったからこそ分かる事実。手を伸ばせば届く位置に、必要なものが用意されている。友も、部下も、師も。

 心を閉ざしていた頃には見ようともせず、向こうから伸ばされた手を取りもしなかったが、ずっとそこに変わらずあった。

 そして、ジュストは間に合った。

 変わらずに在るものが変わらないうちに。無自覚に掌に注がれていた砂がこぼれ落ちる前に。

 置いてきたものを拾い上げるのにギリギリで間に合った。

 私はどこまでも幸運だ。


 かぶりを振って感傷に浸りそうなあたまをとめる。

  

「さあ、どちらからやろうか」

「殿下、僕が先に」


 壁際に並べてある兵器から細剣を取り上げながら問えば、食い気味に甲高い少年の声が返ってきた。


「いい返事だ。構えて。武器はそのままでいいよ」


 私と同じように細剣をとろうとするエメリヒを、ぷらぷらと細剣を持った右手を揺らしながらとめる。

 エメリヒはどこぞの近衛騎士のように余計な無駄口は叩かずに無言で長剣を持って構えた。


 堂に入った宮廷式剣術の基本の構え。剣先はピタリと止められ、体軸もぶれていない。


「随分と厳しい鍛錬を積んでいるようだ。偉いね」


 褒め言葉にエメリヒは虚をつかれたような顔をした。


「……ありがとうございます」

「ボリス将軍、開始の合図をお願いできますか」


「おう。いくぞー。この金貨が落ちたら開始だ」


 カツン。もうすぐ齢六十に手が届こうかというところなのに、いささかも衰えを感じさせぬ筋力で垂直に跳ね上げられた金貨が落ちた。


 それと同時にエメリヒが地を蹴った。短い振りで右中段から体ごと斬りかかってくる。

 手への攻撃を警戒して体に引き付け、刃だけが届く位置どり、かつ武器差を生かした面での力押し。

 まずはご挨拶、ということだろう。

 私はその場から動かず、ぷらぷらさせていた細剣を下方から跳ね上げ、長剣の刀身を滑らせるように動かして左にいなしながら体を入れ替える。

 

 思ったよりも随分軽い手応えだった。

 そのまま数合打ち合って確信する。

 ふうん。オットーは無邪気に私を慕っていたが、この弟は傀儡の皇太子という立場をよく認識している。

 ちらりと横目でボリス将軍をみると、案の定不機嫌そうに腕を組んでいた。


「よそ見ですか」


 声とともに速さだけはそこそこの突きが頭の横を通る。打ち込めと言わんばかりのがら空きの胴は見逃して、前に踏み込むと、長剣の鍔に近い部分をつかで殴りつけた。

 

「話す暇があるなんて随分と余裕だね」

「くっ。この!」


 横からの衝撃に持っていかれそうになる態勢を瞬時に立て直して、エメリヒが距離をとった。

 それにしてもエメリヒは手を抜くのがうまい。今の場面も、私はエメリヒの腕が伸びきったところを狙ったわけではないし、エメリヒにも刀身をひねる余裕があった。

 十分に回避できたにも関わらずわざと受けている。回避した場合、私に怪我を負わせる可能性が高いと判断したからだ。

 剣同士の戦いだと全力でやるよりも手を抜く方がえてして難しいので、本人の歳を考えれば大した技量だ。オットーが弟を天才だというのも分かる。

 しかしここまで慣れているということは普段からやっているのだろう。おそらく兄相手に。

 

「オットーが好きか、エメリヒ」


 突きを打ち込んで、躱したエメリヒとすれ違い樣にそう囁く。

 一瞬硬直したエメリヒの刀身を巻き込んで、彼の手から長剣を跳ねとばした。


「そこまでだ」


 ボリス将軍から静止の声がかかって、お互いに一礼する。


「……ありがとうございました」

「さすがに強い。オットー、君が言ってた通りだね」

 

 エメリヒは曖昧な表情で長剣を拾い上げた。


「俺の弟は天才ですよ!でもジュスト様やっぱりすごく強いです!次は俺!俺とやってください!」

「いいよ」


 位置についてオットーを待つが、オットーの言葉にはまだ続きがあった。


「本気でお願いします!ジュスト様まだ本気じゃないですよね!」

「兄上!何を言っているんですか!」

「お爺様に聞いてたジュスト様は!もっと!早くて!強かったです!」


 オットーの服を引き静止しているエメリヒだが、単純脳筋はそんなもんではとまらない。

 懸命に私に本気を出せと言い募っている。


「……将軍」


 私はボリス将軍の方を見上げた。鞘付きのサーベルが投げてよこされる。


「ジュスト、相手してやれ」

「……人払い、お願いできますか」

「分かった。その代わり今度俺ともやれよ」


 豪快に笑うボリス将軍の顔は、手合わせしてください!という時のオットーそっくりで、さすが脳筋一族の血は争えない。

 将軍はオットーに何やら言いたげに詰め寄っているエメリヒの首根っこを掴むと、そのまま出口に向かった。


「お爺様!何をするんですか!兄上をとめないと!」

「いいから黙ってこい。第一に行くぞ。お前にはまだ稽古をつけなきゃいけねぇみたいだ」

「お爺様!」

「オットー、お前はジュストと楽しく試合ってこい。終わったら第一だ。いいな」

「はい!」


 重い音を立てて扉が閉められ、この場には私とオットーの二人だけとなる。

 

「さあ殿下!やりましょう!」


 迷いもせずに腰にはいていた真剣を抜いて、きらきらした笑顔を向けてくるオットーをみつつ、サーベルを抜いて鞘を投げ捨てながら、私はこれは好機かもしれないと思い始めていた。

 オットーは攻略難度が最も低い攻略対象だ。いまは余人もいないし、うまいこと丸め込んで取り込むには都合のいい。そろそろ学内で動ける人間がもう一人くらい欲しかったしちょうどいい。


「いつでもどう」


 ぞ、と最後の音が口から出きる前にオットーの長剣の切っ先が腹の前にあった。

 早い。

 バックステップを踏んで、すんでのところで斬り払うが、そのまま距離を詰められて返す刀で襲ってくる。

 仕方ないのでその場でしゃがみ、刀身の軌道が通り過ぎていったあたりでオットーに蹴りを入れる。

 綺麗に入ったが効いているようには見えない。


「すごい!すごいです!ジュスト様!」


「……そうか」


 若干引いている私のことなど御構い無しに嬉々として斬り込んでくるオットーをいなしながら、私はさっさと丸め込むための問いを投げることにした。


「オットー」


 そのまま受ければ頭が割れること請け合いの強烈な一撃をかわし、オットーの腕を狙った斬撃をかわされ、真一文字に大なぎしてきた刀身をバク転で回避する。


「なんですか!」


「前に言っていたよね。大事なのは力を合わせて、この帝国を守ることだって」


「はい!」


 爽やかな返事とともに迫り来る蹴りを跳躍して回避し、オットーの足を踏み台に二段ジャンプ。さすが元ゲーム。ありえない身体能力だ。

 そして本来宮廷剣術に蹴り技なんてものはないが、お互いあのボリス将軍の門下だ。なんでもありだ。


「国のためにという。君にとっての帝国とはなんだ。帝国の民か、それとも皇帝?」


 返事は少し迷ってからされた。その間も太刀筋は迷いなく命を狙ってきている。


「両方です!」

「では皇帝が民を虐げる政策をとったらどうする。君は従うのか」

「皇帝陛下はそのようなことはしません!」


 顔面を狙った突きを顔をそらして回避し、足払いを狙う。オットーは危なげなく避けて、上から私に剣を突き立てようとした。


「トルヴァンの悲劇を忘れたのかオットー!」


 とっさに転がって怒鳴ると、オットーも剣を投擲しながら怒鳴り返してきた。くるりと体を回して剣をかわし、足を跳ね上げてオットーの顔面に蹴りを入れ、そのまま立ち上がる。


「先々帝は倒れたではありませんか!」


 思わず鼻を押さえたオットーとの距離を詰める。


「だがそれでも皇帝だった。先々帝も初めからああではなかった。皇帝が同じ轍を踏まないとどうしていえる」


「俺にはわかりません!」


「考えろオットー。考えることをやめるな」

 

 右、左、右、右。


「君の手には大きな力がある」


 上、正中、右。足。


「力あるものが考えなしにそれを振るう」


 左、右、右、左。反撃する隙もないほど突きを繰り返しながら逃げ場を奪う。


「それこそが悲劇だ」


 ついに部屋の隅まで追い詰めて、首元に刃を突きつけると、はらりと切れた赤い毛が落ちた。


「でも、俺は……」

「考えろオットー。君にとっての帝国はなんだ」

「俺は……。俺にとっての」


 混乱したオットーが目を泳がせる。やがて何事か思いついたのか、目を大きく見開いて私をみた。

 

「殿下は、殿下はどうなのですか!」

「帝国を良きものにしようというのは同じだ」

「では殿下にとっての帝国とは」

「私にとって帝国?————私のものだ。私が国であり、国が私。国なき民は烏合の衆で、国がありて民が民となり、民がありて国は国たりうる。それが実現するかはわからないが」


「それは……皇后殿下がいるからですか」

「ああ」

 

 そう答えて、オットーも一応は情勢が分かっているのだなと意外に思う。大方あの過保護そうに化けたエメリヒが教え込んだのだろう。

 私の答えを聞いて、オットーは今度はウンウンと唸りながら視線を四方八方に飛ばす。

 やがて納得がいく答えが見つかったようで一つ頷いた。

 


「では……俺にとっての国はあなたです、殿下」

「……どういうことだ」

「先のことはおれにはわかりません。でも俺にとっての帝国の繁栄とは、皇帝陛下の威光と恩恵が民にわたることです。弟が言っていました。我が家はイザベル様の恩を受けていると。でも皇太子はジュスト様です。皇太子とは皇帝になるお方。そして俺に力の振るい方を考えろという殿下は、ご自身の力の振るい方をきっと考えるお方です」


 喉元に剣を突きつけられたまま、オットーは笑った。気負いなく、へらりと、なんでもないことのように。


「だから殿下はきっと、俺の皇帝です」


 不覚にも、私はとまった。

 口八丁で丸め込むつもりが、予想外のところから望んだ以上の答えが転がり込んできて、思考が止まる。アドリブの弱さが露呈した形の私に気付くこともなく、オットーは続ける。


「俺にとっての国は、殿下が皇帝の帝国です。みんなが俺に考えるなと言いました。考えたところでお前には何もわからないって。でも、殿下は俺に考えろという。それは誰もが考える国になるってことですよね。それは俺が望んでいる帝国です」


「オットー、君は私に忠誠を誓うというのか」

 

 サーベルを下ろして、私は座り込んだオットーに問いた。


「はい。俺、わかりましたから。殿下が俺の皇帝です」

「皇后やアダルベルトはどうする」

「どうもこうもないじゃないですか。皇后陛下とアダルベルト皇子です。何も変わりません」

「しかしこのままいけば私は廃嫡される」

「そんなことさせません。だって俺の皇帝はジュスト様です。俺の皇帝がジュスト様なのに他の人間が皇帝になるなんてありえません」


 心の底からそう信じ込んでいるようにみえるオットーの瞳に曇りはない。

 こいつは自分が何を言っているかわかっているのだろうか。

 丸め込むつもりが丸め込まれているような、そら恐ろしささえ感じてきた。


「ジュスト様、皇帝になってください!俺は難しいことはわかりませんが、ジュスト様なら方法を考えつきますよね!力が必要ならば俺が働きます!」

「親兄弟を裏切ることになるかもしれないぞ」

「大丈夫です!これは裏切りではありません!帝国の繁栄のためです!いずれはジュスト様に皆が従うのです!」


 だめだ、これ以上この問答を続けると良からぬ方向にオットーが暴走する気がする。目的であったオットーの取り込みはできたのだし、この辺で収めよう。


「わかった。私は皇帝になろう」

「本当ですか!」

「ああ。私を助けてくれるね、オットー」

「はい!」

「ならば、オットー。君の皇帝として言う」

「なんなりと!」

 

 尻尾があればめちゃくちゃに振っていそうな様子で元気よく答えるオットーが面白い。


「力を振るうことを恐れないで」


 オットーの新緑の目の色が深まり、ほおが強張ったようにみえた。


「弟の方が剣術の才能がある?嘘だとわかっているだろう。先ほどの試合もそうだ。君は私など余裕で圧倒できる」


 そう。オットーは全キャラ中で唯一身体能力と力の値がカンストしているキャラクター。彼の武器適性は剣術は弟と同じ。そして、彼が一番得意としているのは剣術ではない。棒術だ。

 力を恐れるようになったのは、幼い頃に拾った動物を誤って殺してしまったから。それ以来、この心優しいやつは全力を出すことを己に禁じた。

 ゲームの中でのエンリケッタの力こそ全て、という教えに従った時でさえ、オットーは全力を出していない。それでも脳筋のさがには抗い難く戦闘中毒の気は残り続けたが。


「殿下……俺は……」

「壊すことを恐れるな。考えてもわからなかったら私に聞け。君の皇帝が私だというならば、君の皇帝として、君がふるった力の責任は私が持つ。安心しろ、皇帝も国もそう簡単には壊れない」


 手を伸ばす。恐る恐る伸ばされた手をしっかりと握った。潰されそうな痛みに耐えながらオットーを引き上げると、彼は泣き笑いのような顔で目を拭った。





 


 

 第五練兵場を出てしばらく。

 第一練兵場に行くというオットーと自室に戻る私は途中まで同道したあと別れる。

 その直後に回廊でホルガーをはじめとする一団とすれ違った。エリオットも帰省日に城へきたらしく、父のアロケル公爵の隣にいるのが見える。


「これは殿下!」

「ホルガー侯。久しいね」

「ええ、殿下、お帰りをお待ち申し上げておりました」


 その言葉は、言葉以上の何かを含んでいるように見えた。

 これはロダンかルルカンが早速手を回したなと思うが、皇后派の目もある以上、この場で確認などは当然できない。ホルガーもそれを分かっているだろうに、わざわざこんなところまで私に会いに来る算段をつけたのは、よほど話が信じられないものだったのだろう。なんでもいいから己の目で確認しなければ気が済まない類の情報だったのだきっと。


「これでも予定を切り上げて帰国したのだ、おかげで準備が色々と整わなかった」

「殿下、ご謙遜を。あれほどの手土産を持ち帰られたではありませんか。我々も今後の運びについてはしかと協議をし相手方を締め上げる予定です。殿下の労苦を無駄には致しません」


 これは……話の意図が伝わったとみていいだろう。わざわざマルタを相手方と言っていることからも遊学の話にみせかけた皇后派についての話だ。


「そうだ。実は私の友人が数人我が国を訪れる予定なのだが、その際にはホルガー領も是非案内をして欲しいと思っているんだ。我が国最大の鳥獣飼育施設があると教えたらそれは興味を持って」


「ほう、それはそれは。我が領の自慢ですからな。私も誇らしい」


 ホルガー侯の目がキラリと光る。


「彼も大きな鳥を飼っているんだけど、私を含めた友人全員の顔を覚えているものだから、毎回挨拶にきてくれるんだよ。これがなかなか可愛くてね。リオって言うんだ」


「良いですな。鳥は愛情を持って接すればそれを返してくれます。殿下もどうですか、お好きなものを献上いたしますぞ」


 にこやかに提案してくるホルガーに私は首を横に振る。


「私はこれでも欲張りでね。一つを選べないから全部欲しくなってだめだ。室内で飼うようなものは向いていない」

「左様でございますか」

「ああ。立ち話が長くなったね。私はそろそろ戻る。エリオット、また学園で」

「……はい。ジュスト様」


 話しかけられると思わなかったらしいエリオットが意外そうに眉を上げ、返事をする。同級生らしい親しみを込めて拳を突き出すと、エリオットが渋々といった体で拳を突き合わせた。

 私はそれに満足して、踵を返すとそのまま立ち去った。






 そんな風に帰省日は多大なる収穫を残して過ぎていき、

「ひーちゃん、これわからないーーー」

「んー?」

「ひーちゃんってば!」

 今日も今日とて夜の学園の自室である。帰省日からは一ヶ月が過ぎた。

 前期試験を間近に控えた今は、生徒たちはみな机にかじりつくように勉学に励んでいる。

 アダルベルトをはじめとした攻略対象たちも合同勉強を行なっていて、週三で私もそれに合流している。フランソワがその度に新曲を披露しようとするのを止めるのがなかなか大変だ。

 学業に関しては特に問題ないので、その代わり私は帰省日が終わってからすぐリオ経由でホルガーから届けられた皇太子派のリストに載っている貴族に接触を図っていた。

 思ったよりも協力者が多く、返答も好意的なものが多い。万事うまくいっていると言っていいだろう。

 当初の予想よりも多かったのは、とりもなおさず皇后派の勢いが予想以上だったというところに落ち着く。

 厳密に言うと皇太子派には長子継承を是とする帝室派と、皇帝は正直どうでもいいが、皇后とアガレス家の専横は認めたくない反皇后派がいる。この反皇后派がかなり多かったのだ。

 

「ひーちゃん!」


 頰を突かれてフィーに視線をやる。私の部屋にくると菓子が出ることに味をしめて、今では週の半分以上居座っている。別段居て困ることもないので好きにさせているが、最近頰の肉が増えたような気がしている。


「何読んでるの!」

「辺境伯からの返事。こっちに付いてくれるって。娘が学園にいるらしいから詳しい話はそちらを通してするらしい」


 反皇后派の筆頭は、かつて娘とその皇子を皇后に殺された辺境伯家。元は併合された隣国の王家だけあって、領内の結束も強く、気位も高い。良質の鉱石の産出地であり、海に面しているので塩の産地でもある。

 味方についてくれればかなり大きい。


「でも辺境伯の娘なんて居た?」

「知らないなぁ。慣例で家名は言わないにしてもそういうのってなんとなく伝わってくるものだしね」

「うん」

「あ。そういえば」

「ん?」

「私の同室の子の入学が遅れているって話ししたじゃない。明日来るって。もしかしたらその子かもよ」

「もしそうなら都合がいいな」


 出来過ぎと言っていい。


「……また私こき使われるの?」


 真っ赤にコーティングされた城下で人気のチョコレートを餌付けする私に、フィーがうんざりした顔でいった。


「言うほどこき使ってないと思うんだけど」

「エリカちゃんの日常レポートあれだけさせといてよく言うよ!」


 四六時中自分がついてまわるわけにはいかないので、フィーに依頼していたのだけど、どうやらご不満らしい。菓子を与えよう。


「ほらチョコレートもう一個」

「お菓子でなんでも許すと思ったら大間違いなんだからね!」

「いらないの」

「……いる」



 ジュスト達がこんなほのぼのとした会話をしていたその頃、皇宮の皇后の部屋。


「では、ジュストとホルガーが接触したと言うのですね」

「はい」


 大国の皇后の自室にふさわしく贅を尽くした煌びやかな部屋に灯火に照らされて二つの影ができていた。


「少々報告が遅すぎるのではないですか」

 

 椅子に座して冷たい目で跪く相手を睨む女。


「申し訳ございません、抜け出す機会がなかなか訪れず。それに、当たり障りのない話をしていただけでしたので緊急性はないと判断しております」


 その正面にいるのは厚手のフード付きのローブを羽織った人物だ。体格から男のように見えるが、顔は伺えない。


「それを判断するのはあなたではないわ。まあよいでしょう。他の者からも話は聞いています。確かに別段問題のない話しかしていなかったようね。……何を意外そうな顔をしているの。わたくしの耳がお前一人だけだとでも?うぬぼれないことよ。そして裏切ろうとも考えないことね。忘れないでね、お前の大事なあの娘の命は、私の心次第なのよ」


 ローブの男が頷く。


「もういいわ。行きなさい」


 影が一つ減り、女の形をした影が大きく揺らめく。

 不意に小さな呟きがもれた。夜闇の静けさは落とされた音を妙に蠱惑的なものにする。

 まるで恋でもしているかのように響くそれは、

「…………ジュスト、ジュスト。あなたはそのままでいいの。私の可愛い糸人形のままで居てくれれば、最期まで綺麗なままで終わらせてあげるから。私の可愛いジュスト」

 弧を描く真っ赤な唇からまろび出ていた。

 



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