第7話 泥中の蓮(序章完)
顔が良いのよ、分かりなさいと彼女はぷりぷり怒っていたが、その後のフィーとの話し合いは有意義なものだった。
「それで?エリカちゃんのことだよね」
「分かる?」
そこまで分かりやすかったかとバツが悪くなって身じろぎした私に、ため息をついてフィーが応じる。
「当たり前でしょ。昔どれだけひすいちゃんの悪役令嬢談義に付き合ったと思ってるの」
「その節は翡翠が大変ご迷惑をおかけしました」
「ひーちゃんも他人事じゃないでしょう。むしろひーちゃんだよね。……どうしよう私これからこき使われる未来しか浮かばないんだけど」
嫌なことに気付いたとフィーが眉をひそめてこちらを見てくる。オルフィーナの顔でそんな素朴に感情を表すものだからおかしくて吹き出しそうになったが、もう少しからかいたくて、口角を吊り上げて悪どい顔を演出した。
「なるべく善処するよ」
「それ絶対に善処されないやつ!いっぱいそういう政治家いたもん!」
もうやだ、とソファに深く沈んで、光の加減でピンクに光る枇杷茶の髪をしどけなく垂らす。私に自覚をしろというなら、己も省みろとも思うが、人なんてそんなものだ。
自分のことにはなかなか気付けない。
「心外だね。少しは信用してほしいな」
実際にこき使おうと思っていたので、否定をしていないのがみそだ。今生では帝政の国の皇太子という政治家なので、それらしい物言いを期待された通りにしてみたのに不評のようだ。
こちらを見もせずに、おざなりに手をひらひらと振られた。あれはもう分かったから勝手にしてということだ。
「エンリケッタとの付き合いはどの程度?夕食の時には仲良さそうにしていたけど」
「学年別の講義は同じクラス。仲は良いよ。接触してきたのは向こうからでびっくりしたけど、私もエリカちゃんと戦う気はないから積極的に仲良くしてる。同じ小説が好きでね、話も合うの。良い子だよ」
「良い子?」
「うん。ゲームとはすごく違う。翡翠ちゃんも言ってたけど、捧剣のエリカちゃんは本質的には男嫌いだったじゃない?色々あったし。貶めないとやっていけないとこもあったんだろうから不思議じゃないよね。その男嫌いの現れ方が違うと考えれば、納得はできるかなって感じ」
「具体的にはどういうことかな」
「捧剣のエリカちゃんは、表向きは逆ハーを築き上げてたけど、男を道具か駒としか思ってなくて思い通りに動かしながら、動くのを嘲笑ってた。動かす自分も嘲笑ってた。あれは積極的な自傷行為だってどこかの考察ブログが言ってたけど私もそう思う。男の方に作用した男嫌い。でも、今のエリカちゃんは、どちらかというと男嫌いが女の子の方に作用してる」
フィーの話を頭の中で整理するが、どうにも話の流れが不穏だ。
捧剣の悪役令嬢は確かにそうだ。男から守られるために男を利用する。どうせ奪われるものならば価値を釣り上げて売る。誰もが
男関係以外の部分は完璧だったから尚更だ。誰よりも所作が美しく、たおやかで、会話にも確かな知性が垣間見える。競うように貢がれたドレスや貴金属はどれも一級品で、エンリケッタの生来の美しさとあいまって舞踏会でもサロンでも他を圧倒する。
悔しいけれど、夢中になるものがあるのも分からなくはない。しかし、貴族の女性としては到底認められないし、なんであいつだけ。悪趣味すぎ。女子生徒はそう心のうちに不満をため、彼女の視界に入りもしない男達は、強がって彼女を貶める。
エンリケッタが作り上げたその構図は、結局は一目置かれているということなのだ。誰もが彼女を意識しているということ。
彼女が男嫌いだからこそ、自分が主導権を得るために環境を作った。
それが女に作用する……?
「それは恋愛ということか……?」
「違うよ!紛らわしかったね。今のエリカちゃんは、なんだろう……姉御?姉御っていうほど豪快ではないんだよね。なんていえば良いんだろう。……カリスマ?女の子の支持がすごいの。周りを女の子に囲まれてて、普通それだと男の子って引いたりしそうなんだけど、男の子人気もすごい。うまいこと手玉にとってかわしてるけどね。捧剣みたいに毒のある取り込みはしてないよ。むしろヒロインみたいなことやってたね。仲がこじれている婚約者の間を取り持ったり。ゲームの中のエンリケッタが毒々しい食虫花だったとしたら、今のエリカちゃんは」
「エンリケッタは蓮の花だよ」
食虫花という表現には黙っていられなかった。言いたいことは分かる。けれど、花は虫を捕らえない。食虫植物の花は単なる誘蛾灯のようなもので、彼女の境遇を考えればそれは侮辱に等しい。
私にとってはエンリケッタは蓮の花だ。
譲れないもののためならば、代わりに何を支払うことになってもためらいなく手を伸ばす。彼女は生きることを人のせいにしなかった。
トゥルールートで全てをヒロインに否定されてなお、極上の笑みを浮かべてその場を去った。去り際の横顔に一筋の涙が描かれていて、それだけが全シナリオ中たった一度の、嘘泣きではないエンリケッタの本当の涙だ。
己の信条を貫き、香り高く咲き誇る蓮の花。
その気高さに、矜持に、姿勢に、翡翠は焦がれ、私は愛した。
「ああもう分かったから。というか、会ってみれば分かるよ。ちょうど明日、薬学の授業があるじゃない。アダルベルト様もいつも私たちと一緒にいるから、アダルベルト様に会いにくれば良いと思う。それかサロンを開いて呼んでも良いし」
百聞は一見にしかずだよひーちゃん、投げやりに言われて、それもそうかと思った。
ヒロインの転生者問題は最良に近い形で片付いたし、フィーがいるなら、なにもかもがだいぶ事前の想定よりもやりやすくなる。
今の私には信頼できる人間が致命的に足りない。エンリケッタは確実に私の弱点になるから、彼女の安全のためにも私が彼女を望んでいるということは、できるだけ誰にも悟られない方がいい。
それだけは避けなければならない
だから彼女を落とすのはまず地盤を固めてからだと思っていたし、その際に使う人間もこれから探すつもりだった。マルタで懐いてきた連中は大半は国外だし、唯一
フィーはその点、私を裏切る心配もないし、元々この学校の生徒でエンリケッタの身近にいるのでなんの問題もない。
これは計画を1段階前倒ししてもいいかもしれない。
「ひーちゃん……。エリカちゃんのことを考えるときは意識して表情を作った方がいいよ」
うんざりした顔でフィーが忠告してきて、反射で表情筋を引き締める。
「こわい、イケメン怖い、変貌ぶりがこわい」
何やら呻いているフィーに構わず、口を開いた・
「明日エンリケッタに会いに行く。協力してフィー。その代わりに、君は私が守る。家族にも何もさせないし、君が望む未来を約束する」
そこで私は言葉を切って、微笑んだ。翡翠が言えなかったことを、彼女に伝えるために。
「尽きず飽きず惑わない友情を君に約束する。友として君のそばにいることを誓うよ、
胡乱げな顔をしていたフィーの目が見開かれ、きゅっと口元が引き結ばれる。耐えきれないように一度目をつぶったフィーは、震える声で言った。
「遅いよ、馬鹿。また置いて行ったら許さないから」
再会の時とは逆に、彼女から手を差し出される。私は迷わずに手を重ねて、力加減に気をつけて握る。
これが新しい私たちの関係だ。
さあ、友情の始まりにふさわしい大仕事をしようじゃないか。
私は、悪戯っぽく笑ってフィーの顔を覗き込んだ。
「手始めにヒロインよ、手を貸せ。悪役令嬢は俺のものだ」
握手したまま手を引かれる。
大輪の薔薇が綻ぶように
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