第6話 実体の邂逅

 寮の部屋はそれなりに広い。居間に応接室、寝室、浴室、今は空だが、メイドなんかが控える次の間。

 宮ひとつを与えられている皇宮とはさすがに比べ物にならないが、人が一人暮らす空間としては十分すぎるくらいだ。

 もっともこれだけの私室が与えられているのは皇族だけで、階下の作り違う。

 学年ごとの談話室と、大浴場、そして何人かで共用の寝室となっている。帝立学園は学びの場であると同時に、大人よりも緩い未成年の社交場でもあるので、この構造には厳格に分けるよりも交流の場を持たせる方が良いとの考えによるものだ。

 帝国は広く、一部の中央貴族以外は社交シーズンを除いては直接に顔を合わせる機会などない。

 心のまだ比較的柔らかい時期に歳近い各領の次期後継者、またはそれに近しい者の交流を深め、有事の際の結束を強めるのも合理的と言えば合理的である。

 さらに腹黒いことを言えば、皇家が地方に対して取っている人質でもあるので、一網打尽にできるほうがいいというのもあったりするが、そこは余談だ。


「座って。聞くのを忘れたけど、時間は大丈夫かな。同室の者もいるだろう」

「私、一人部屋なんです。同室の方の入学が遅れているらしくて。気分が悪いので今日は早く休むと話してきましたから、遅くなっても問題ありません」


 オルフィーナはソファに浅く腰掛けて、硬い調子で続けた。受けた拒絶の余韻はまださめていないようで、さきほど示された親愛はすっかり消え去っている。


「それならお茶を淹れよう。好きだったよねアールグレイ。それと、普通に話してくれて構わないよ。私は翡翠ではないけれど、翡翠の記憶は全て持っている。翡翠にとって真珠がどう言う存在なのかも身をて知っているし、翡翠と同じく、いつだって君の味方だ」

「……殿下」


 呼称に迷って結局はそこに落ち着いたらしい。そう呟いてこちらを見たオルフィーナの目元が真っ赤だ。

 涙腺の弱いところも昔のままだ。考えが表情に出やすいのも。


「ひすいちゃんでも、ジュストでも、好きに呼ぶといいよ。他人行儀はやめてくれ。これでも君の友達のつもりなんだ。公の場では困るが、その辺は君も分かっているだろう?」

「……本当になんでもいいの」

「うん」

「じゃあ、ひーちゃん」

 

 この時の私は間抜けな顔をしていたと思う。よりによってそこか。


「翡翠ちゃんじゃないのは分かったけど、ジュスト様だというのも認められないの。だからあなたはひーちゃん」

「……わかった。私は何て呼べばいい」


 真珠か、オルフィーナか、それとも他の何かか。口に出しはしなかったが、私はどの立場として彼女に接すればいいのか、という質問だとオルフィーナはきちんと理解したようだ。

 百面相の後に天を仰いで、淑女に似つかわしくない仕草でうなって、いかにも苦渋の決断だという様相で重々しく宣言した。


「フィーって呼んで」

「わかった」


 沈黙が場を支配する。

 ティーカップを渡して、二人してすする。さてどこから聞き出すかと思案しながら、茶菓子の皿を彼女の前におしやると、ヤケのようにクッキーを齧ったオルフィーナが口火を切った。


「……ひーちゃんかっこよくなりすぎじゃない!?」

「は?」

「ジュスト様とか羨ましい!私もどうせならエリオット様になりたかった!」

 

 エリオットというのは、トゥルールートのメイン攻略対象である公爵家の嫡男だ。水色の長めのマッシュヘアで、眼鏡男子。冷静沈着で酷薄なキャラクターとして設定されている。

 公式の人気投票では同率第三位だったはずだ。ちなみに一位はエンリケッタ。二位がオルフィーナである。

 

「……そうなの」

「だってイケメンに転生して女の子はべらすのとか夢じゃない!?」

「……人によるんじゃないかな」


 女の子の勢いってこんな感じだっけ。脈絡なく飛び出した話の切り口に、こちらの意見が必要かもわからない実質独白。

 一応は二十五年分の女の記憶があるので、分かってしかるべきだと思うけど、やはり記憶は記憶でしかないのかもしれない。女心は割と謎だ。そもそも女心ってなんだ。人の心だ。傾向的な分析はできるかもしれないが、一概に決めつけるもんじゃないんじゃないか。女がみな、女というだけで相互理解できるならあんなに諍いは起きていないと思う。女の記憶があっても女心が分からないのは当然かもしれない。

 人の心は割と謎だ。


「女の人生はもう一回経験したし、男もやってみたかったな〜。十六年もオルフィーナやってきたからさすがにもう愛着湧いちゃったけどね、今の見た目にも」

「待て、生まれた時からオルフィーナなのか」

「そうだよ。大変だったんだからね!赤ん坊って生まれたばっかりは暗いか明るいかくらいしかわからないし、色もないし。最初は音もよくわからなくて、マジで自分がどこにいて何が起きてるかもわからないの。植物人間に意識があったっていうニュースあったじゃない。あんな感じ。変な空間に意識だけ閉じ込められてるみたいだった。泣いてたし、手足を動かすこともしてたみたいだけど、意識してやってなかったんだよね。ただ混乱してた」


 これまでぶちまける相手が誰もいなかったのだろう。オルフィーナの愚痴は止まらない。

 比例して、クッキーが皿から消えていく速度も上がっていって、お代わりあったかなと、変な心配をしてしまう。


「やっと自分が赤ちゃんだって分かったら、今度はやることなくて暇で暇でしょうがないし。なんかどこかで聞いた名前で呼ばれて嫌な予感がするし!行動の自由が効くようになって、鏡をみたらどうみても小さいオルフィーナだし!」

「……大変だったね」

 

 なるべく刺激しないように同意だけすると、紅茶のカップを突き出された。お代わりですね、少々お待ちを。

 別に情報は拾えるから良いのだが、なんとなく釈然としない気持ちになりながら、茶葉を蒸らす。

 

「私、エリカちゃんと張り合う気なんてないし、イケメンは観察する主義だから、何とか回避しようと思って色々頑張ったけど、結局この学校入れられるし!」

「ちなみにどういう努力を行ったんだ」

「お母様に神学校に入れて欲しいってそれとなく言ったり」

「それは無理があるだろう。好き好んで娘を修道女にしたい貴族などいるものか」

「そういう正論が聞きたいんじゃないの!」

「あ、はい」

 

 可愛らしく口を尖らせて不満を訴えたオルフィーナは、もう何度目かもわからない実感だが、呆れるくらい真珠で、事情を聞いた今となっては十六年の時が、彼女から彼女らしさを奪わなかったことについてだけは運命に感謝している。

 そんなことを考えている間に、オルフィーナは表情を消して視線を落とした。


「まあひーちゃんのいう通りだけどね。ダメだったよ。何しても変わらなかった。……捧剣のオルフィーナがね、ああなっちゃたのも仕方ないと思っちゃった。成人女性の自我があっても流されそうだったもん。ずうっと、あなたは本当は皇女なのよって言い聞かせられて、現帝は簒奪者だからいつかあなたが皇帝の座を取り戻さないといけないって、言い含められて。基本的な勉強に、ダンスに、社交にって、うちは裕福でもないのに自分にお金を湯水のように使われるの。小さい子供だったら自分が特別だって思っちゃっても仕方ないと思う。ちょっと賢い子なら重圧に潰されるか歪んじゃうかな。すごかったよほんとうに」


 先ほどとは打って変わって淡々と語り、一つ息をついて私と視線を合わせる。


「トゥルーエンドでさ、エリオット様が婚約破棄した後に、オルフィーナがアダルベルト様を選ぶじゃない」


 そう、トゥルールートではメインの攻略者はエリオットで、彼の好感度を一番高めておかねばならないが、最終的にオルフィーナが選ぶのはアダルベルトだ。

 エンリケッタが婚約破棄をされた場で、婚約破棄した相手に求婚され、それを袖にしてさらにスペックの高い男を持ってくる。それを全て仕組むのだから鬼畜としかいえない。これ以上ないざまぁ、すなわち下克上で復讐で嘲笑であり、これ以上ないマウントでもある。

 卒業パーティー終わりにアダルベルトと微笑みあうスチルがあるのだが、白々しい笑みに寒気しか湧いてこなかったのが記憶に残っている。


「あれもね、あの教育のせいかって。納得しちゃったよね。皇帝になるならアダルベルト様を選んだ方が早いから。どうみてもエリオット様と両思いなのに。オルフィーナもやっぱり被害者なんだなって思ったよ」

「トゥルーエンドのエリオットは両思いじゃないだろう」

「え?」

「あれは……いや、そこの解釈は今はいい」


 嫌なことを思い出してしまって、頭を振って思考を切り替える。時間も遅いその議論はまたでいいだろう。


「もうなによ。気になるじゃん。そういえば驚いてたってことはひーちゃんは赤ん坊スタートじゃなかったってことだよね。いつ思い出したの」

「つい先日だよ。マルタにいる時に向こうのバカ王子に暗殺されかけて思い出した」

「無事だったのは良かったけどずるい!最高のタイミングじゃん!」

 

 オルフィーナが手のひらでバンバンとソファの座面を叩く姿が可笑しい。


「最高なのは否定しない」

「それで今帰ってきたんだね。ジュスト様はトゥルーエンドの終わりのはずだから、びっくりしちゃった。エリカちゃんも色々変わってるから、どっちかわからなかったんだけど、思い切って会いにきて良かったよ」


 心の底からそう思っている様子でオルフィーナが言う。親友がすでにいないと突きつけた元凶にすら向けられた彼女の笑顔に報いるものを今の私は持っていない。

 それどころか、エリカの名が出た瞬間から、私の意識はそこにしかなかった。我ながら呆れるほど我儘わがままだ。


「それだよ、フィー。エンリケッタも転生者なのか」

 

 私の前のめりな問いに目を瞬いたオルフィーナが、言葉を発そうとして一瞬だけつまってから、静かに答える。

 

「違うよ」

「本当に?」

「違う、と思う。ゲームの頃とはかなり違うから私も疑ってるけど、一度ね、ひーちゃんにしたのと同じ質問をしたがことあるの。そのときは、流行りの本か何かかしら?って返された」

 

 ——————歓喜だ。

 オルフィーナの言葉を聞き終えた時、私の中には歓喜だけがあった。

 爆発的な喜びが、純粋な喜びだけが生まれて、内から体を圧迫する。猛烈な圧力に体が吹っ飛んでいきそうだ。息がうまく吸えないことに気付いて、口を大きく開けて深呼吸する。そこで、自分が笑っているのい気付いた。表情が制御できないなんて初めてだ。

 迸る気持ちのまま口を開く。

 

「フィー!」

「なにどうしたのひーちゃん」

「頼みがある!」

 

 机の上に身を乗り出してオルフィーナの両肩を掴む。じっと視線を合わせて、誠心誠意、真心が伝わるようにお願いをしたのに、オルフィーナがおかしい。こちらを見ようともせずに必死に顔を背けて、私の手から逃げようとしている。


「だめ、だめだよひーちゃん」

「何がダメなんだ。協力してくれないのか」

「違うの、手を貸すのはいいの。でもその笑顔はだめなの!」

 

 意味がわからなかった。また表情筋の勝手に動作していたのはダメといえばダメだけど、それは単に私が未熟と言うだけで、一世一代のお願いとはなんの関係もないはずだ。

 こちらを見ろ。


「やめてってば。だめだってば!」


 納得がいかなくて、無理やりオルフィーナと視線を合わせると、彼女の顔は白い肌がここまで変わるかというほど赤く染まっていた。 

 視線がかっちりと合わさったところでオルフィーナが悲鳴を上げる。


「ひーちゃんはメインヒーローなんだよ?自分の笑顔の破壊力自覚して!」






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