第5話 交差する幻影


 ああ、やはり。


「猫型ロボットかな。超常現象には夢があるよ」

 

 思考するよりも早くすべり出た言葉。

 私の内の彼女が答えたように感じられた。


「猫型ロボットが提供するのは未知の道具とそれの使い方。それらを巡る人間関係。そこには、私たちの発想の余地がある。対するネズミの方は、娯楽の場の提供かな。アニメもあるけど、私はネズミが出ているものは見てなかったんだ。だから、猫型ロボット」


 初めの一言を聞いた時にはほっとしたように見えたオルフィーナヒロインだったが、続く理由にさしかかると、顔が強張ったように見えた。

 まじまじとこちらを見つめてくるアメジストの瞳は、灯火に照らされて底まで見えそうだ。

美しさに少し感心する。その気が全くないのに、見つめていると魅入られそうだった。流石ヒロイン。


「この答えで満足いただけたかな。……黙ってちゃわからないよ。どうしたの、ヒロインさん」

「……すみません、もう一ついいですか」

「いくつでもどうぞ」

 

 どうせ接触は慎重に行おうと思っていたのもご破算だ。まさか向こうから飛び込んでくるとは思わなかった。本当に思い通りにならないことばかりで、いっそ愉快になる。

 質問の内容をとっても、おそらく王子攻略ルートで登場する抜け道を使ってこの階までやってきたことをとっても、ヒロインはやはり転生者だ。

 私と同じで運命シナリオを知っている預言者。敵に回すのは得策ではない。

 ただでさえ、皇位争いも並行して行わなければならないのだ。

 思惑が崩れに崩れきっていても、正念場はここからだ。


「最後の晩餐で食べたいものはなんですか」

 

 その質問に、おや、と思う。あえてそこにいくのか。さっきの答えで私が転生者であることはもう伝わっているだろうに、この上なにを知りたいのだろう。

 

「お茶漬けだね」

「好きな歌手は」

「エラ・フィッツジェラルド」

「好きな国産アニメ映画は」

「赤い豚が飛ぶやつ」

「高校の部活は」

「アーチェリー」

「無人島に持っていきたいものは」

「マットレス」


 矢継ぎ早に出される問いに答える度に、オルフィーナの様子がおかしくなる。

 その理由が、なんとなく私にも分かってきた。質問が的確すぎるのだ。特定のためのものとして。あの魔法のランプの精のキャラクターで有名なプログラムのようだ。

 並べられた問いの意図は容易に知れた。そして答えがわかっていれば逆算もできる。


 泣きたいような、笑いたいような、神に怒鳴り散らしたいような、多方向のベクトルをもった感情がもつれながら膨れ上がる。


 だけれど涙を流すには幸せすぎ、笑うには痛みが強く、不条理を訴えるべき相手はこの世にいない。できたのは、突き動かされるまま足を動かすことだった。


 ———一歩一歩。ヒロインに近づいていく。見慣れない顔で、見慣れた表情。

 それもあまり見たくなかった表情だ。

 一体全体何の冗談だ。悪戯が過ぎる。せっかく生きたのに、またこんなところで会うのか。


「殿下は……殿下は、翡翠ヒスイはお好きですか」

 

 泣きそうに顔を歪めて、ヒロインの可憐さをまとってオルフィーナがいう。伸ばされかけた両手は、縋り付くのを躊躇したのか下ろされて、くっきりとしわが寄るほどドレスの生地を握りしめていた。

 ほんの半歩ほどの距離で見つめ合う。ここまで一度も視線が外れなかった。少しでも目を離してしまったら真夏の夜の夢のように覚めてしまうのではないかという恐れが、きっと、互いにあった。

 お綺麗なゲームのキャラクターの外套がいとうの下に隠されたものを見失わないように。あるいは確かに期待するものがそこにあるのを確かめたいという願いが、私たちの視線を針のように鋭くまっすぐなものしていた。


 肩を引いて、そっと抱き寄せる。抵抗はなかった。

 

「大嫌いだよ、真珠」

「翡翠ちゃん、ひすいちゃん……!」


 うわ言のように翡翠の名を呼び続けるオルフィーナを抱きしめて、残酷なほど事実を突きつけられる。

 あの頃とは何もかもが違う。

 ジュストは在りし日の清水翡翠ではなく、オルフィーナ彼女も朝野真珠ではない。

 私の声はテノールで、彼女の声は記憶にある柔らかなアルトではなくソプラノだ。

 やっていることは、ただ一人翡翠を案じていた祖母が入ったちっぽけな壺を前に、泣けもせずに放心していた翡翠の横で、恥も外聞もなく号泣していた真珠を抱きしめた時と同じなのに。

 何もかも違う。感触も、視線の高さも、立場も、存在すら、違う。








「落ち着いた?」

「まだ。無理だよこんなの。なんで翡翠ちゃんが。翡翠ちゃんだよね?」

 

 落ち着けるためにゆっくりと背中を撫でていた手が止まる。答えは決まっていた。けれど、それを告げることが真珠にとっては希望を打ち砕かれることになると想像がついたから、柄にもなく躊躇した。

 

 おずおずと私の腰に細い腕が回って、ぎゅうっと抱きつかれる。こちらを見上げて、涙の跡が残る赤らんだ目元で、照れたように微笑む彼女はどうしようもなくヒロインだ。翡翠の親友の表情をしたヒロイン。

 全くこの親友は。疑問の形をとって聞いておきながら、何一つ疑っていない。

 不用心で危なっかしいところは昔のまんまだ。理性と意思の力で、信じたいからただ信じていた翡翠と違い、真珠は疑うことすらなく純真だった口だ。

 真珠がいたから、翡翠は最後まで信じ続けられた。人間の善を。裏切りのない感情の存在を。死ぬその瞬間まで心を守り続けることができた。その意味では、真珠は正しくジュストにとっても恩人だ。

 

 だからこそ、私は偽らない。嘘をつくのは前世むかし今生いまもとても得意だけれど、誠には誠を。それが翡翠彼女のポリシーで、私の受け継いだ宝だ。


「私はジュストだ。遠いどこかの翡翠という名の女の記憶を持ったね。とりあえず部屋へ行こうか。聞きたいことが山ほどある」


 やんわりと腕から抜けて、代わりにこちらから手を差し出す。

 オルフィーナの顔によぎった感情も、何かを言いかけて口を引き結んだのも見ないふりをした。

 重ねられた繊手せんしゅだけに意識をやる。


 どんな形であれ真珠を再び得た私には、翡翠を本当の意味では失った彼女の心の内ははかれない。翡翠の自惚れでないなら、翡翠は真珠にとっても大きい意味を持っていたはずだ。

 目の前に現れなければまだどこかにいるという可能性を信じていられただろうに、こうして実体を伴って私が現れてしまったら、願うことすら許されない。

 

 ひどいことをしているとの自覚は当然あった。つい数刻前、エンリケッタのことでまさしく似たような奈落に落ちかけていたのだから。

 それでも私は翡翠であるとは口が裂けても言えない。土壌に偽りを混ぜれば、せっかく咲いた信頼の花も枯れるとか、彼女の後継として恥じない行動をとるとか、そういった綺麗な本音だけではない。

 私は、いつかエンリケッタを手に入れた自分がジュスト以外であることは認められない。

 忌憚なくいえば、私は翡翠にすら嫉妬していた。


 

 そんな益体もない思考に囚われていたから、私は気付かなかった。突き当たりの部屋の扉にいつの間にか僅かな隙間が開けられ、そこから金色の瞳がこちらをのぞいていることに。

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