第4話 彼女と彼女

 一刻も早くエンリケッタの顔をみたいジュストが、なにを差し置いてもまずオルフィーナへの接触を優先したのは、ヒロインが転生者であるかどうか確かめるためだ。

   

 どこかにある世界がたまたま別の世界のゲームと重なったのか。それとも、ゲームに基づいてこの世界が生まれたのか。

 世界が先か、ゲームが先か。

 鶏か卵かの、例の話のような、答えのない問答を今はするつもりはない。

 偶然の一致であのゲームが生まれた可能性は、いの一番に切り捨てていた。

 そうしなければ、彼は身動きが取れない。だからジュストはゲームによってこの世界が生まれたと考える。

 皮肉にも、それが自分自身の首を絞めることに繋がることが分かっていても。

 

 捧剣ほうけんの中で、ジュストは攻略対象としては登場しないのだ。

 

 ゲーム内ではジュストの名が出てくるのは、最高難度のトゥルールートを完璧にこなした場合のみ。

 二名いる隠しキャラも含めた攻略対象七名全員を二年次までに出現させ、分岐が多岐にわたる各種イベントで適切に好感度を調整しながら、男をはべらすエンリケッタを嫌う女子からの支持を取り付け、それとなく囲い込んで味方とし、エンリケッタを同性の輪から孤立させる。

 エンリケッタの信奉者を、それぞれの婚約者の元に戻すという大義名分のもと、一人一人、じわじわと攻略対象を剥ぎ取り、エンリケッタから敵認定を受ける。

 エンリケッタにしっかりと嫌がらせされ、周りに自分が被害者であるという関係図を植え付ける。

 

 それこそ現実時間で秒刻みのスケジュールをこなしながら、自分の愛らしさと可憐さを存分に利用して、社交界の女王に目をつけられた可哀想な身分の低い女の子を演じるのだ。それが後の逆転ざまぁに生きてくる。

 

 トゥルールートのメインヒーローである公爵家の後継を最後までエンリケッタの手に残し、二年次の最後に二人に婚約発表させれば、準備は万端だ。


 満を持して三年。

 天空城からの魔獣の襲来イベント。そこで力を発現したヒロインは、数代前の大戦乱で失われた皇帝の落胤らくいんであることが判明する。

 二年かけて傾けてきた天秤てんびんが、ヒロインの側に傾き切らなかったのは、身分が違いすぎるからだ。実利の部分は、感情だけではどうにもならない。

 知性・美貌・社交性・血筋。エンリケッタが持つ価値の一つ一つを否定していき、最後に、特大の分銅ぶんどうで、止めを刺す。

一気に流れを傾け、最後の最後、卒業パーティーの場で、公爵家継嗣に悪事の糾弾をさせ、婚約を破棄させる。


 一分いちぶの慈悲すら見せず、完膚かんぷなきまでに叩き潰す。


 オルフィーナが、悪役令嬢よりも悪役令嬢だと言われる所以である。

 この事実が明らかになるのは、トゥルールートのみ。そして、ヒロインとの血縁を確認するために、皇太子ジュストは学園に現れるのだ。


 ジュストがオルフィーナとエンリケッタの物語に関わるのはここだけ。百近く用意されているグッドエンドにもバッドエンドにも、彼は登場しない。


 皮肉といったのはそのためだ。

 ゲームから生まれた世界で、ゲームの通りに物事が進むなら、ジュストとエンリケッタが結ばれる未来は、ない。

 しかし、選択肢が用意されていようと、結局どこまでいっても事前に設定されたシナリオもじイラストを超えることはないゲームの世界と違って、ここは現実だ。

 誰もが己の都合で動くし、それが絡み合って物事は進行していく。


 どこまでゲームの通りなのか。どこからが違うのか。神が紡いだ運命シナリオによる強制は働くのか。

 

 エンリケッタを手に入れる戦場に立つために、ジュストはまずそれを知っておかねばならなかった。

 そのためには、まず、物事がシナリオ通りに進むことを仮定して、そこに影響を与える可能性があるイレギュラーがあるかを確認せねばならない。

 自分という実例じつれいがいるのに、ゲームの記憶を持つ者が誰もいないと信じ切れるほど、ジュストは楽観的らっかんてきな思考をしていなかった。

 

「殿下、お時間です」

「行こうか」


 先導した侍従じじゅうが開いた扉をくぐって、ジュストは晩餐会ばんさんかいの会場へと足を踏み入れた。

 会場中の注目が自分に集まるのが手に取るようにわかる。名が囁かれる音がさざなみのように聞こえる。

 

 帝立学園で、週三度行われる晩餐会は、二年に中途編入した皇太子が顔見せを行うにはあつらえむきの場であった。

 ホストは生徒会であるので、ジュストがやるべきことは多くない。

 ざっと、会場に目を走らせ、一年生のエリアを探す。

 

 一際、目立った集団があった。遠目からでもわかる。二人・・の少女を中心とした、人だかり。

 ゲームの立ち絵で見た特徴通りの人物が、実体化しそこにいた。

 

 「……なぜ、お前がそこにいる」


 受けた衝撃は、思考をそのまま口に出すという、彼らしくないことをジュストにさせた。

 何故、どのルートでも下地固めの今の時期に、ヒロインおまえが、悪役令嬢エリカと笑い合っている。


 にこやかに談笑するタイプの異なる二人の美貌の少女。少女から、女性へと羽化する、ひとときの魔性をあやまたずにふりまく彼女たちと、その目に留まろうと付かず離れずの距離にたむろする攻略対象。

 

 その光景は、ジュストにとって最悪の事態が現実に起きていることを示していた。

 





 衝撃の光景に思考が定まらないとはいえ、生後まもなくから皇太子であり続けた私の体には、すべきことが染み付いている。


「殿下!お初におめもじつかまつります!」



 指定されている席に腰かければ、待ちきれないといった雰囲気で、隣にいる生徒が声をかけてきた。


「ジュストでいい。この学園の場では我らは等しくの知恵の女神ソフィスのしもべだ。君は?」


 学園で初対面の低位の者から話しかけられたときに、高位の者が返す定型文が口からすべり出た時には、先ほど乱れた精神の水面も凪いでいた。この手のことは初めてではない。声をかけられ、他者の存在を叩きつけられれば、なおさら簡単に鎮められた。


「では、ジュスト様と!俺はオットーです!ジュスト様が帰国したと聞いて、ずっと待っていました!」

 

 告げられた名に、改めて隣の男の顔を見た。やんちゃそうな赤毛のツーブロック。眉は太めで、瞳は緑。

 晩餐会でのイベントの時と同じ服装。ヒロインの一学年上の攻略対象、侯爵家の次男のオットーだ。

 

「それは……光栄だね。オットー君」

「光栄だなんてそんな!俺、ずっとジュスト様に会いたかったんです!俺、お爺様にいつもジュスト様の話聞いていて!今度ぜひ、俺と手合わせしてください!」

「お爺様というと、ボリス将軍かな。懐かしいね。将軍にはとても世話になった」


 目を細めて、笑みを作る。懐かしいのは本当だ。ボリス・ロノウェ将軍は、私の剣の師匠で、私の境遇を哀れんでいた者の一人。ロノウェ家は皇后派の一角だったけれど、ボリスは少年の心をそのまま持って大人になったような脳筋で、曲がったことが嫌いだったので、実際のところ皇后については思うところあったようだった。

 強くなれ、と会うたびに言われた。筋肉だけはお前をを裏切らないと。お前は俺の弟子だから、お前で十分だ。この場ではお前は皇太子などではない。筋肉のない皇太子などワシは認めないからな!

 そう言って、毎度毎度、立てなくなるほどしごかれた。

 皇后が派遣した監視係である侍従は、口で不敬ふけいな物言いだと注意しつつ、臣下にぞんざいに扱われる皇太子わたしをみてほくそ笑んでいたが、愚かにもほどがあると今なら思う。

 本当に堕落させたいなら、奪えばいいのだ。学びの機会を。成長する機会を。———しいたげるとは、そういうことだ。

 そうすれば、覚醒して心を取り戻したところで、俺には何もできなかった。何も持たないから。


「お爺様はいつも言っていました。ジュスト様だけが自分の鍛錬についていけたと!ジュスト様は俺の憧れです!」

「嬉しいな。将軍はなかなか褒めてくれなかったから」

「そうなのですか!」

「ああ。唯一褒められたのは、将軍の腰の巾着を取れたときだ」

「本当ですかジュスト様!俺、もう十年も不意打ちを仕掛けているのにいまだに取れていません!やっぱりジュスト様はすごいです!」


 にこにこと、話しかけてくるオットーは、見た目も中身もボリスとそっくりだ。

 ゲーム内でも、馬鹿正直の脳筋で、ボリス以外の家族には馬鹿にされていた。エンリケッタの信奉者となったのは、自分の話をきちんと聞いてくれて、肯定してくれたから。そして、コンプレックスを持っていた弟に、エンリケッタの言う通りに力を持って接したら、弟も黙るようになったから。

 エンリケッタの言う通りにすればすべてうまくいく、そう信じきっている。

 それが、ゲーム内でのオットーだ。


「手合わせについてだけれど、剣術の授業で機会があるんじゃないかな」

「もちろん授業でもジュスト様の相手に志願します!ただ、実は、俺の弟もジュスト様と手合わせしたがっているんです!ジュスト様の時間があるときに呼ぶので、できれば相手してやってください!」


 思わず、聞いた。


「オットー、君は、弟と仲がいいのか?」


「もちろんです!弟はすごいんですよ!俺よりもずっと頭がいいんです!それで、俺よりも剣の才能があるので、負けないように、俺も鍛錬に励んでいます!」


 ここはどこだ。ヒロインが悪役令嬢と笑いあい、オットーが弟想いの兄になっている運命シナリオだと。

 

「オットー君、弟には何も思わないのか?」


 平静を装って聞いてみると、オットーは不思議そうに首を傾げた。


「何もとは?」

弟君おとうとぎみはオットー君より頭もよくて、剣の才能もあるのだろう。何も思わないのか」


 運命の変更が、どこから起きたかだ。私にとって一番望ましい現実は、ゲームのまま誰の手も入らずに時がここまで進んできたことだ。

 けれど、ジュストの早すぎる帰国、オルフィーナと仲が良さげなエンリケッタ、弟を素直に認めるオットー。この世界は確実にゲームとは違う方向に走り出している。元から違っていたのか、それとも誰かによる干渉の結果なのか。後者でなければ、私にとっては全てが終わる。

 私が望んだエンリケッタはこの世界にはいないことになるから。

 希望がこの世にまだあるかを探る私の問いに、オットーは、ぽかんとしてから、破顔した。


「オルフィーナ君のようなことを聞くのですね、ジュスト様!」

 

 氷で背をなぞられたような悪寒おかんがした。今が食事の場で、座ったままで良かったと思った。メインの大皿が下げられた直後で、カトラリーを手にしていなかったのも。

 ここでヒロインの名が出てくるならば、確定だ。ヒロインがオットーと知り合い、彼の事情を知るのは、一年生の後半にある文化祭。

 それまに地道に名声値を上げて、実行委員に推薦され、委員会でオットーと、その婚約者と一緒になる必要がある。

 この世界ではまだ発生していないイベントだ。

 思考を空転させる私を尻目に、オットーは屈託なく、続ける。


「思いませんよ!俺より優れていても、弟は、大事な弟です!大事なのは力を合わせて、この帝国を守ることです!誰がやろうとよいのです!俺も頑張ります!」

「それは、君が自分で考えたことか」

「あー!ジュスト様、お爺様に俺のこと聞いていましたね!」

 

 私は肯定も否定もせず、曖昧な表情を保った。聞いたことはない。けれど知っている。

 どうしてかは言えるはずもないが。

 もっとも、私が知っているヒロインによるオットーの逆洗脳の内容と、このオットーの考えはどうやら違う。

 捧剣におけるオットー攻略の最後は、彼の婚約者を仲間に取り付けての説得イベントだ。

 力によって全ては従えらえる、という悪役令嬢のかぐわしい甘言に対して、ヒロイン達の言い分はこうだ。

 力を振りかざして話を聞かせるのは正義ではない。力は守るために使うものであって、弟も家族も守るものだ。

 暴力により存在を認めさせるのではなく、行動により認めさせるべきだ、オットーあなたにはそれができる。

 大体このような内容のことをヒロインと婚約者の二人にさとされて、オットーは目を覚ます。

 そこから何をトチ狂ったのか、今の自分はまだ、婚約者に剣を捧げられない。弟や両親を認めさせることの誓いとして、ヒロインに剣を捧げる!と言い出すが、そこはゲーム的なご都合展開というものだろう。


「俺だって考えるんですよ。そりゃ、いろんな人から話は聞きましたけど!」


「たとえば、フォルネウス嬢とか?」


「もしかしてジュスト様には精霊が付いているのですか!すごいです!どうしてわかるのですか!」

 

 話すことにはよくよく気をつけないといけないと分かっていたが、知りたいという欲には勝てなかった。

 オットー相手ならばなんとでもなるという打算が働いたのもあるが。

 案の定、素直なオットーは何も疑わずに、目を輝かせている。


「違うよ。実は色々と聞いていてね」

「なるほど!エンリケッタ君は素晴らしい女性ですからね!彼女に救われた人間は、俺だけじゃないですし!」


 ああ、最悪だ。エンリケッタ。私のエリカ。貴女も転生者同じなのか。

 オルフィーナはまだいい。すでにゲームではないこの現実世界で、自分をヒロインと思い込む愚かな女だろうが、全てを知っているからこそ身を慎むやつだろうが、どうでもいい。

 転生者であっても別にいい。

 けれど、エンリケッタ。貴女が転生者だとしたら、私はどうすればいいんだ。

 あなたの姿形をした別人を手に入れたところで、意味はないんだ。この執着の向かう先がすでに消失しているなら、私はどう生きればいい。どう貴女を探せばいい。どうあがいても可能性がゼロから動かないなら、どうすればいいのだ。

 どうしようもないということを認められすらしないなら、どうすれば。


 それとも、やっと灯った種火を消すのか。

 またあの暗闇に戻るのか。何もかもが薄絹うすぎぬ一枚へだてた向こう側のことのようににぶく感じられる日々に。

 

「ジュスト様?どうなされたのですか!俺、何か変なこといいましたか!」

「何もないよ。ここに来るまで長旅でね、少し疲れたんだ」

「大変だ!医務室に行きますか!」

「そこまで大袈裟なことじゃない。少し休めば大丈夫。少し早いが失礼するよ」

「でもジュスト様!」


 話しかけてくるオットーが煩わしい。こんな扱いやすいやつですら、相手にしている余裕がなかった。晩餐会の場では食事が済み、和やかな雰囲気で社交の続きが行われている。

 退席してもいいだろうと判断して、出た。彼女たちの様子を確認することはしなかった。


 何もかもやり直しだ。

 この時期のヒロインは、各学年に数人いる庶民出の学生で、際立きわだって美しいという以外には、取り立てて耳目じもくを集めることもないただの生徒だ。

 生憎と今日は立食形式のパーティーではなかったので直接の接触は難しかったが、晩餐会の間でも、その後でも、適当に会う約束を取り付けようと思っていた。

 騒ぎになるかもしれないが、学園の運営の大元である皇族として、非貴族の生徒の話を参考に聞きたいだとかもっともらしい理由をつければ済むことだ。けれど、それもやめだ。

 ヒロインが転生者であることは疑いがない。

 どのような性格で、どう考えているかわからない以上、迂闊うかつに接触すべきではないと判断する。

 それよりもエンリケッタだ。先ほどは頭に血が上ったが、オットーの言い方では、まだ彼女が転生者であるとは断定できない。

 ゲームでも攻略対象は彼女に救われたと思っているのが大半である。オットーの話を聞く限りでは、ゲーム内とは違う救われ方をしたようだが、それが故意に行われたのか、それとも単なる運命の揺らぎによるものかは、私の今持つ情報では特定できない。

 まだだ、まだ居ないと決まったわけじゃない。

 

「殿下」 


 鈴の鳴るような愛らしい声は、石造りの廊下でよく響いた。

 九割以上が未婚の貴族であるのに、この遅い時間に男子寮に訪れる女性がいるとは思えない。

 何より、今いるこの皇族専用階を使っているのは、私と、弟のアダルベルトだけだ。

 声に聞き覚えはない。けれど、なんとなく予感を感じて、振り返る。


 そこに彼女は居た。緊張した面持ちでまっすぐこちらを向いて立っていた。


「殿下、猫型ロボットと夢の国のネズミ、どちらがお好きですか」

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