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大層な評判になりますてぇと、運が回ってきましたのか、どこにいってもいい塩梅にみんな死神が足元に座っている。たまさか枕元に座っているのもおりますが、
大変申し訳ないことではあるが、これはもう寿命が尽きているので、助かりませんからお諦めなさい、と言う。
すると表に出るか出ないかのうちに病人が息を引き取りますから、これはもう大変な名医だ生き神様だと益々えらい評判で……。
「病気? うちが?」
真剣な目をした雲母に、黒雪は小さく笑って見せた。
「病気言うほどのこともないんだけど」
「でも、それで学校を休んだんじゃないの?」
詰問口調の雲母に、黄蝶が制止をかけた。
「そういう言い方はやめなよ。……黒雪だって休みたくて休んだわけじゃないんだから」
「でもっ」
なにが悔しいのか、雲母はじっと唇を噛み締めている。
「……だって、わたしたち友達じゃない。少しくらい打ち明けてくれても……」
「友達ならなんでも知っていなくちゃいけんの?」
「……え」
わたしたちはじっと黒雪の顔を見つめていた。黒雪は目を細めて、一人ひとりの顔を見つめ返していた。
「うちはこれこれこういう病気です。それでもよければ仲良くしてください、そう言ってうちはみんなに頭を下げればいいの?」
雲母はなにも言えず、黙っていた。沈黙がわたしたちの上に、厚い雲のように覆いかぶさっている。
「……うちは目が悪いから、あんまり早く歩けないし、肌が弱いから、陽射しには気を使ってる。そのことで迷惑かけてることもあるんやろなって、思ってる。でも……」
黒雪は息を吸い、ため息のように吐き出す。
「……いい。なんでもない」
今まで裏路地でくすぶっていたような奴が羽振りが良くなってまいりますから、立派な邸宅を構え、着るものは上等になるし、うまいものは食うという具合になる。さてそうなると古女房なんてぇのはどうにも面白くない。もう少し若い、乙な女を、……というのでお妾を置くと、こちらでちやほやされれば嬉しいから、家の方へは帰らない。おかみさんは悋気を起こしてぎゃあぎゃあわめく。ああ、面倒臭い。嬶ぁなんざいらねぇ、子供もつけて、金をやって別れちまう。これからはお妾の方へと入り浸るということになり……。
黒雪は背が高い。バレー部の子よりも高いくらいで、背の順で並ぶとだいたいいつも一番後ろに並ぶことになる。そんな黒雪がクラスの一番前の席——教壇に一番近い場所——に座っているのは、目が悪いから仕方がないとはいえ、ひどく目立つ。授業中、枢李はそんな黒雪の後ろ姿を見つめながら、人知れず嘆息する。
最近、黒雪はわたしたちと一緒にお昼ご飯を食べてくれない。中等部のあの白い王子様とばかりつるんでいる。それが枢李には少し寂しい。
黒雪は、あまり熱心に板書をノートに写さない。聞いていればだいたいわかるし、忘れへんし。そう言って苦笑して見せたのを、枢李は尊敬の目で見つめたものだった。今も黒雪は先生の声にじっと耳を傾けている。時折夜を紡いだような黒髪が、さらりと流れるだけ。
授業はつまらないし、黒雪は何を考えているのかよくわからない。だから枢李は夢想する。
旧校舎の裏手はいつも雑木に覆われていて、陽が射さないから、どこかじめっとしている。なんでもその雑木の林の中で首を吊った生徒がいるという怪談めいた話もあって、生徒は誰も、自ら進んでそんな場所には赴かない。
打ちっ放しのコンクリートはいつも湿っている。そこに黒雪と白い王子様が二人並んで、寄り添うように座っている。黒雪の手には当然——といっても枢李はまだ直接見たことはないのだが——三味線が携えられている。黒雪が低く掠れた声で歌っている。
名にしおう江戸の緑の色濃く浅く
染めて豊けき空の花
春日の森の木々に添う
姿もあれば三井の庭くねる枝にも馴れて咲く
白い王子様は目をつむって、じっと黒雪の清元に耳を澄ましている。雑木が風にゆれて、重なり合う葉と葉がさらさらと鳴っている。
幾重の房のゆんらりゆらり
なびく風情は女男の波
その藤波のいくかえり
寄せて果てなき代々の春
許しの色の沙汰も目出度し
……ふたりにとって、お昼の時間を共有するということは、何を意味しているのだろう。
あの子でなくてはダメで、わたしたちには絶対に代わりにならない、何か。きっと雲母が苛立っているのは、その何かなのだろう、と枢李は思う。
黒雪は相変わらず授業に耳を傾けている。
窓の外に目を向ける。冬枯れの銀杏が寒そうに震えている。陽射しが枢李の机を、斜めに切り取っている。
光の中に手のひらを乗せると、ほんのりとした熱を感じた。
黒雪はきっと、わたしたちに過度の心配をして欲しくないのかもしれない、と枢李は唐突に思う。今まで生きてきて、その体質のせいできっと嫌なことや困難なことが色々とあったのだろう……ううん、あったに違いない。だからこそ、それを乗り越えてきたという自負があるからこそ、レッテルを貼られるのを嫌がるのだ。弱みを見せる相手を、たぶん黒雪は慎重に吟味している。それは同室者の暴君であったり、あの白い王子様であったりするのだろう。
強いと思っていた黒雪が、実はそうではなかった。強がっていただけだった。たとえそうなのだとしても、それを知ってしまったのだとしても、わたしたちは彼女に対する態度を変えたりしてはいけない。根掘り葉掘り訊くべきではない。
だって、わたしたちは……友達なのだから。
黒雪が抱えている悩み事を、もしも打ち明けてくれるのなら。それはそれで嬉しい。でも、こちらから訊き出すのは、ちょっと違うと思う。
カツカツというチョークの音が響いている。板書をしている先生の後ろ姿が見える。古典の授業はとても退屈だ。講義を子守唄代わりにして眠っている子が幾人もいる。
枢李は右肘をついて、大きなあくびを手で隠しながら。
今日はみんなで一緒にお昼ご飯を食べようと、そう思うのだった。
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