第2話

しかし、その時だった。

「私は反対ですね。」

と言って、黒髪の参謀、アドルフが司令官室に姿を現したのだ。

アドルフの顔を見たとたん、ランディの顔は真っ青になった。そして、ぶるぶると怯えると、とっさにアークの背中に隠れた。

ランディは震えながら、アークにしっかりとしがみついている。

アドルフは眼鏡の奥から鋭い目でアークを睨みつけると、

「子供を兵舎に置いておくなど、軍隊の士気が下がります。私は反対です。」

と言った。

アークはムッとしたが、その時アーシェスが、

「これは、私が許可したことだ。何か問題があった場合には、私が責任を取る。君は黙っていたまえ。」

と言ったので、どうにか怒りをおさめることができた。

アーシェスは、

「そういうことだ。アーク、弟を連れて戻りたまえ。」

と言った。

アークはほっとした表情で、

「ありがとうございます。」

と言って、ランディを連れて行こうとした。

その時、アーシェスが、ふっと

「君、名前は?」

と、ランディを呼び止めた。

ランディは、アークにしがみつきながら、

「僕の名前はランディです。」

と答えた。

アーシェスは静かに、

「いい名前だね。」

と言った。

ランディはアークの背中の影からアーシェスに笑顔を見せた。

しかし、アークは、帰りがけにアドルフが鋭い目つきで睨んでいるのが気になってしょうがなかった。

アーシェスの部屋を出るとカールが、

「アークさん良かったですね。これでランディも安心して兵舎にいられるじゃないですか。」

と言った。

アークはやや浮かない顔をして、

「ああ。」

と返事をしたが、背中にしがみついているランディの方を振り向くと

「お前、いつまでしがみついてるんだ。もう堂々とこの中を歩いていいんだぞ。なんてったって、司令官の許可が下りたんだからな。」

と言った。

ランディはアークの方を振り向くと、

「あの眼鏡の人、怖かったんだ。どこかで見たことがあるような気がするんだ。」

と言った。

アークはランディの頭に手を置くと、

「気にするな。軍隊にはいろんな人間がいるのさ。」

と言った。

こうしてランディは晴れて兵舎に居候することができたのだった。


次の日、アークとランディは珍しく、真昼に街へと出かけていた。買い出し係担当の日であった。こんな静かな真昼の太陽を見たのは久しぶりだ、とアークは思った。

太陽はギラギラとアスファルトに照り付けていた。

戦時中とはいえ、焼け跡にはテントが張られ、少しばかりではあったが店舗が並んでいる。

ランディは物珍しそうに、あっちを指さし、こっちを指さしながら歩いている。

いつの間にか、こんな当たり前の生活を忘れていた、とアークは思った。

警戒警報も出ていないようである。今のうちに食料を買い出しせねば。

ランディは真夏の風に金髪をそよがせながら言った。

「僕、アークに会えて、何だかとても嬉しいんだ。」

アークは黙って少年の言葉を聞いた。今まで人からそんな風に言われたことがないので、どう反応していいか分からない。

ただ、それが不思議と嫌ではないことに、アークは少し驚いていた。

ランディは澄んだ青い瞳でアークを見上げると、

「僕、アークには昔から会っていたような気がするよ。」

と、無邪気に笑った。

アークはかすかに、ほんのかすかに目を細め、

「そう・・なのかな」

と、ポツリとつぶやいた。


無事に買い出しを終え、兵舎に戻ってくると、カールがベッドに座って手紙を読んでいた。

カールは、アークがぼーっとたたずんでいるのに気づくと、

「あ、アークさん。見てくださいよ。ほら、これオレの家族なんですよ。たった今、手紙が来たところなんですよ。」

と言って、嬉しそうに手紙に同封されている写真を見せた。

写真には、カールの両親と、ランディと同じくらいの年齢の弟、そして妹が写っていた。

アークは写真を眺め、しばらく黙り込んだ後、カールに言った。

「お前、まだ若いんだ。

生命を無駄にするな。

いつまでもこんなところにいたらだめだ。

お前には家族がいるんだ。

お前は生きて守ってやれ。」

カールは驚いて目を丸くした。

そして、しばらく考え込んだ後、肩をすくめて笑った。

「アークさんにそんなこと言われるとは思ってもみなかったなあ。

だけど、オレの家族は貧しくて、オレが軍隊で働かないと、生活できないんですよ。

意外だったなあ。アークさんにそんなこと言われるなんて。」

アークは、カールの顔を見ながら言った。

「家族・・。」

カールはそれを聞いてはっとしたように言った。

「そういえば、オレ、アークさんの家族の事なんか何も知らなかったですね。」

アークは首を振ってこう言った。

「いないんだよ。俺は小さい時から孤児院にいたからな。自分がどこの誰かも分からない。」

そしてカールを見て、

「だからうらやましいよ。」

と、呟いた。

カールはアークの肩を叩いて言った。

「何言ってるんですか、アークさん。オレ達仲間ですよ。一人じゃありませんからね。」

アークは驚いて、

「お前にそんなこと言われるとはな・・。」

と言った。


その時、部屋のドアがバタンと開いて、ランディが部屋に戻ってきた。

ランディは両手にまだ湯気の立っている鍋を抱えていた。

ランディは目を輝かせながら、

「アーク、今日買ってきた材料で、料理作ってみたんだ。料理長さんに教えてもらったから味は大丈夫だと思うんだけど、食べてみてよ。」

と言った。

アークは驚いた顔をして、

「お前が作ったのか、これ。」

と言った。

ランディは笑顔でうなずくと、

「これくらいしかできないからね。」

と言った。

アークは頭を抱えると、

「お前、余計な気を使わなくていいんだぞ。許可も下りてるんだし、堂々としてろ。」

と言った。

すると横からカールが、

「でもせっかくだからいただきましょうよ。早くしないとさめちゃいますよ。」

と口を出した。

アークはあきれたような顔をして、

「ほんと、お前食い意地が張ってるのな。」

と言った。そして、

「じゃあせっかくだから食うぞ。」

と呟いた。

アークとカールは、ランディが持ってきた料理を口にすると、ほとんど同時に、

「うまい。」

と言った。

アークとカールはしばらく黙々と料理を食べていたが、やがてアークがぽつりとこんなことを言った。

「家族って、こんな感じか?」

それを聞いたカールは、なぜか寂しそうな笑顔を浮かべながら、

「そうですよ、アークさん。」

と言った。

部屋の中は、ランディの持ってきた料理のおかげで暖かさに満ちていた。しかし、カールが寂しげな笑顔の影で、ある重大な決意をしていることを、アークは知る由もなかった・・・。


翌日、街は敵からの激しい攻撃を受けていた。アークの部隊は、街の援護という指令を受けて、現場へと向かった。

ところが、アークはカールにいつもの元気さがないことに気付いた。何か深刻に考えている表情をしていた。

アークは歩きながらカールに、

「お前、どうした、いつもの元気がないな。」

と、声を掛けた。

するとカールは首を横に振って、

「ああ、なんでもありません。気にしないでください、アークさん。」

と言った。

しかし、カールの表情は冴えなかった。

現場について、アーク達の部隊が攻撃を防ごうと戦闘態勢につくと、カールの顔色がますます青くなった。

アークは心配して、

「お前、大丈夫か。」

と言うと、カールはアークにしがみついて、

「オレ、もうだめです。いつものように敵を撃つことができなくなりました。今までは何も考えないようにしていたけど、あの人たちにも家族がいるんだと思うと、攻撃するのが悲しくて・・・。何だかオレ、何のために戦っているのか分からなくなりました。」

というと、震えながらその場に座り込んでしまった。

アークも、カールにどんな言葉をかけてやればいいのか分からなかった。

その時だった。黒髪の参謀、アドルフがアークとカールの様子に気付いて、

「そこ、何をしている。早く戦闘位置につかないか。」

と、叫んだ。

カールは首を振って、

「できない、オレにはできません。」

と呟いていた。

アークは困惑しながら、アドルフに、

「すみません参謀、彼は体調が良くないようです。」

と言った。

アドルフは、カールを見てあきれたという顔をしながら、

「体調を崩すなど、たるんでいるな。今日の所はひとまず兵舎に戻って待機せよ。」

と言った。

カールは青白い顔をしながら、

「申し訳ありません。」

と、アドルフに頭を下げると、アークにも頭を下げてから兵舎へと戻っていった。

アドルフはきびしい表情でアークを睨むと、

「せいぜい、仲間の分までしっかりと戦うことだな。」

と、吐き捨てるように言った。眼鏡の奥からは、冷たい瞳が光っていた。

アークは黙って戦闘位置についた。そして片っ端から敵の兵士を撃ちぬいた。しかし、心の中では、アドルフに対する激しい怒りの炎が燃えていたのだった。


何とか敵の攻撃を防ぎ、アークは疲れ果てて兵舎へと戻ってきた。部屋のドアを開けると、カールはベッドにうずくまっていた。

側では、ランディが心配そうな顔をして立っていた。

アークはカールに、

「お前、大丈夫か。」

と声を掛けた。

カールはうつむいた顔を上げて、アークの顔を見た。アークはハッとした。

いつも陽気で笑顔を絶やすことのなかったカールが泣いていたのだ。

快活な茶色い瞳は心持ち赤くなっていた。

アークはなぜが不安な気持ちに襲われた。

「お前、どうしたんだよ。」

と、アークが言うと、カールは泣き笑いを浮かべながら、

「アークさんに出会ってから、オレ、ずっと考えていました。

この戦いに参加したこと自体、何か間違っていたのかもしれません。

オレ、家族のところに帰ります。

そして、生きて家族を守っていきます。」

というと、カールはアークにしがみついた。

アークはただ黙ってカールの肩を叩くことしかできなかった。そして、一言言った。

「しっかりな。」

すると、カールは泣くのをやめ、アークに深く頭を下げると言った。

「今までお世話になりました。アークさんのことは、オレ、忘れません。」

そして、いつもの元気を取り戻すと、

「ランディ君も元気でね。」

といって、金髪の頭をクシャクシャとなでた。

その夜、ランディが眠ってから、アークとカールは黙って酒を飲んでいた。そして、いつしか二人とも酔いが回ってきて、いつの間にか眠り込んでしまったのだった。


翌日、アークが目を覚ますと、既にカールの姿はなかった。ベッドはきちんと整えられていた。しかし、カールの荷物はまだ残っていたので、まだいるんだな、とアークは思った。

アークはランディに、

「カールのやつ、まだいるんだろ?」

と尋ねた。

「さっき、司令官室に行ったよ。」

と、ランディは言った。

しばらくしてから、カールはにこにこしながら司令官室から戻ってきた。

「アーシェス司令官に許可を頂きました。これで、晴れて故郷に帰れます。」

と、カールは言った。

アークはカールの背中を叩くと、

「そうか、よかったな。元気でやれよ。」

と言った。

カールも笑いながら、

「ありがとうございます。」

と言った。

その日、カールはアーシェスに軍隊から抜ける旨を伝え、故郷に帰って行ったのだった。

カールは帰る間際に、晴れ晴れとした表情で、アークに手を振った。

ーこれでいい、二度とこんなところに来ちゃいけない。

アークはそう思った。

ところが。

その日の夕方、思いもかけない知らせが、アークの耳に届いた。

アークは目の前が真っ暗になるのを感じた。

ーカールが死んだ・・・。

噂によれば、故郷に帰る途中、敵の兵士に見つかり、銃で撃たれたのだという。

アークは心の中でカールに詫びた。

ーカール、すまない。

俺があの時、あんな事をいわなければ、こんなことにはならなかったのに。

カールは息を引き取る間際まで、

「家に帰る。」

と言い続けていたという。

アークは胸が引き裂かれるような思いがした。

部屋に戻ると、アークの顔色が冴えないことに気付いたランディが、心配そうに、

「アーク、どうかしたの?」

と、声を掛けた。

アークはぽつりと、

「カールが死んだよ。」

と呟いた。

ランディは目を見開いて、アークの顔を見つめると、青い瞳からポロポロと涙をこぼした。

「嘘でしょ?」

と、ランディが尋ねると、アークは首を振って、

「帰る途中に、敵に撃たれたんだ。」

と言った。

ランディはそれを聞くと、声を上げて泣いた。アークはただ黙ってランディを見つめることしかできなかった。

夏の夕日が、兵舎をオレンジ色に染め上げていた。ただ、沈黙だけが部屋の中を流れていた・・・。


次の日の夜、アークはなぜか司令官アーシェスに呼ばれた。

戦いの作戦を話し終えた後、アーシェスはアークを呼び止めた。

「少し、ベランダで話さないか。」

アークは黙ってうなずいた。

月明かりの中、アーシェスがぽつりと言った。

「カール君の事は、残念でならなかった。」

アークもうなづいた。

「俺もそう思います。今は何と言っていいか、言葉では言い表せない気持ちであります。」

アーシェスは、

「彼の遺体は丁重に葬られたよ。また、残された遺族に対しては、できる限りの援助をするつもりだ。」

と言った。

アークは、

「ありがとうございます。きっと彼も喜ぶでしょう。俺も何だか救われたような気がします。」

といって頭を下げた。

アーシェスは、じっとアークを見つめると、

「不思議だね、君を見ていると他人事のように思えないんだ。」

と言った。

アークは、

「身に余る光栄であります。今まで、命を懸けて誰かを守りたいと思ったことはありませんでした。しかしながら、この戦闘に参加して、何かが変わったような気がします。」

と、アーシェスに敬礼した。

アーシェスは、ただ、

「ありがとう。」

としか言わなかった。しかし、その一言に今までと違った暖かな気持ちが込められていることを、アークは感じた。

「もう休んだ方がいい。明日も早いからね。」

と、アーシェスは言った。

その夜は珍しく、満月がこうこうと輝いていた。二人にどんな運命が待ち受けているのかを物語るように・・・。










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