二日酔いと練り梅
その日は、お酒を飲みすぎた。
彼、小池君の発言もあって僕と鈴奈の関係について考えているとチビチビと飲んでいたはずのお酒を僕はぐでんぐでんになるまで飲んでいた。
店内で聞こえていた音楽が湾曲して聞こえるまでに酔っていると理解した僕はこれ以上飲んではいけないと自制をしようと働いた……はずだったのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
思い出せるのはジョッキが五つ並んでいる光景だった。
飲む事より、眠たい方に欲求が強くなった僕はカウンター席で腕を枕にして頭を置いていた。
へんな体勢で眠っているからか、腰のあたりがスースーとする。
「……お兄さん? お兄さん。ちょっと」
どろんとした意識の中で、鈴奈が僕を呼ぶ声が聞こえた。おそらく肩も揺すられている。
返事をしたいけど、返事ができなかった。
「お兄さん。こんなところで眠っていたら風邪ひきますよ……。まったく、小池君。ちょっと手伝ってもらっていい?」
「うっす」
気持ちよく眠っていた僕の身体はぐいっと引っ張られる。
暴れる気力はない。眠たいから。
「お兄さん。起きてるなら歩いてください。ああぁ、千鳥足だ。小池君このままタクシーに乗りますよ」
「え、先輩でも店長が困るんじゃ……」
「あぁ、店長には一言伝えておくから。それにもう客も来ないし」
「そっすか」
僕の耳元で聞こえる会話。タクシーの扉が閉まる音。
「というかこのおっさんの家、先輩しってるんすか?」
「まぁ、財布の中身見たらわかるでしょ? あ、運転手さん。ここの住所まで送ってってもらえますか? ええ、はいそうです」
そこら辺で僕の意識は泥沼に浸かるように沈んでいった。
◆
携帯のアラーム音が聞こえた。
デフォルト設定のアラーム音に僕は目を開けると、カーテンの隙間から差し込む光によって頭痛に苛まれた。
「……っうぅ……」
「あ、目を覚ましましたか?」
とてとてと、足音が近づいてくる。
僕は頭の中から響く痛みに耐えるために頭を抱えた。
「頭痛い……なんで……」
「二日酔いですかね。まぁ、あんなにお酒飲んでいたらこうなりますよね」
クスクスと隣で笑う声に僕は苛立ちを覚えた。
「うるさ……い」
「私昨日言いましたよ? 節度を守ってくださいって、言いつけを守らないからこうなるんですよーだ」
確かに、言われた気がする。
痛みに耐えながら目を開けると、彼女はにやにやと笑いながら僕を見ていた。
いたずらっぽく笑う彼女の頬をつねってその笑顔をかき消したかった。
服は昨日と同じように、僕のワイシャツを一枚だけ着ている。白く輝くワイシャツが眩しかった。
「今日はおかゆですよ。頭が痛いお兄さんのために作ったんですから食べてください」
「……いらない」
「食べてください。仕事に行かせませんよ? それに食器片付かないので早くしてください」
「……」
僕は無言で起き上がりフラフラと洗面台にたどり着くと冷水で顔を洗い、鏡を見る。
僕の顔はやつれていた。二日酔いのせいだ。
「そういえば、小池君とかって」
「あぁ、覚えていたんですか?」
覚えていたっていうより、思い出したんだけどね。
「小池君なら私と一緒にここまで送ったあと、帰りましたよ」
「そっか……って君のことばれたんじゃ……?」
急に不安になる。
「あぁ、それなら安心してください。お兄さんをここに連れて行ったあと、一緒に帰ったふりをして私はここに引き返したんです。なので小池君は私がここにいるなんて思っていないですよ」
途中まで小池君と一緒に帰宅するという行動をすることで、僕と鈴奈は一緒に住んでいないということになるわけか……。
「……巧妙な手口を使ってる……」
「巧妙なっていうより、よく使うと思いますけど……そんなことより、ご飯食べてください」
「あい」
僕はふらふらと歩きながら机の前に座る。
机には、小さめの丼に白い粥、そして真ん中には日の丸弁当を彷彿させるように梅とシソが混ぜ合わせたものがチョンっと置かれていた。
「クエン酸は二日酔いにいいんですよ。梅はクエン酸たっぷりなのでちゃんと食べてください」
「僕、梅苦手……」
「好き嫌いは良くないですよ」
「……」
彼女は僕のお母さんか何かなのだろうか。
「何変な表情しているんですか。早く食べてください。お代わりあるんで」
そう言って彼女が僕の前に置いたのは、白いお粥ではなく、梅とシソを混ぜ合わせたものをたくさん入れた小鉢だった。
ちらりと彼女を見ると、仁王立ちで僕が食べるのを待っていた。
「……いただきます」
「はい、どうぞ」
鈴奈はそういってキッチンへと消えて行った。
彼女を見送ったあと、小さいスプーンを手にしてお粥と練り梅を混ぜ合わせる。粥の湯気と一緒に梅の香りがふわりと浮かび上がり僕の鼻腔をくすぐった。
二日酔いでさっきまでまったく動かなかった胃袋が急に動き出し、空腹を訴えてくる。
「……」
一口粥を口にすると、酸味と一緒に粥の甘みが染み渡る。
五臓六腑に染み渡るというのはこういうことなのだろう。
「……」
一言も言わずに二口、三口と口に運んでいくと、丼の中に入っていた粥はもう空になった。
「……ふぅ」
腹部がぽかぽかと暖かいのを感じた僕はたまらずため息を吐く。
その余韻に浸っていると彼女は僕の元へやってきた。
「どうでしたか?」
「うん、うまかった。お代わりしたいくらい」
「……そうですか。それは良かったです」
彼女は満遍の笑みを浮かべた。
その笑みを見ていた僕は小池君が僕に伝えたことを思い出した。
『彼女、さっきまで黙々と仕事していたっすよ。だけどおっさんが顔を出すなりぱぁっと明るくなったんすよ』
小池君はあの時、どうした僕にそんなことを伝えたのだろう。
「……どうかしましたか? お兄さん」
コロコロと変わる表情。
この表情は誰にでも振りまいてあるものではないのだろうか?
「……こんな時間じゃないか!」
壁に掛けられていた時計は八時を示そうとしていた。
僕は立ち上がると急いで服を着替えていく。
「今日は遅くなるから!」
「あ、はい。わかりました」
服を着替え終わった僕は玄関から飛び出す。
「あ、お兄さ……」
僕を呼び止める声が聞こえたが、止まるわけにはいかなかった。
いつも乗る電車に間に合わなければ僕は遅刻してしまう。遅刻なんて大人がしてはいけない事だ。
僕は間に合えと願いながら駅へと走り出した。
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