買い物

 

「そういえば、君。荷物は?」


 太陽が上がり始め日差しが強くなった時、僕は鈴奈に荷物の有無を問いかけた。

 どうせここに泊まるなら鞄の一つや二つあるだろうと僕は思っていた。しかし服装が昨日から変わっていない鈴奈は、ベッドを背もたれがわりにして部屋に平積みしていた小説を読んでいた。


「ありませんよ。私の荷物はこの服と、スマホと、この身体だけです」


 鈴奈は自分の胸に手を当てて荷物はこれだけと主張する。


「え? 財布とかは? 駅とかのコインロッカーに置いてあるんじゃないの?」

「そんなものありませんよ。全部神待ちに応じてくれた人に渡してますし……」

「まじですか?」

「まじでしまです」


 なんだその返しは……そんなことはどうでもいい。

 動く時に荷物がかさばるのは困る、と言わんばかりの発言に僕は唖然とした。


「じゃあ、他のところではどうしていたんだ?」

「そりゃ、お兄さん達が私に生活するのに最低限必要な物を買ってきてくれたに決まってるじゃないですか」

「なに当たり前みたいに言っているんだ。君は」


 つまり、殆どの生活品は僕みたいに家に泊まる人に買わせていたということになる。

 本当に野良猫みたいな生活をしているんだな。この子は。


「私としてはこの服だけで十分なんですけど、あの人たちはそれじゃダメだといって、下着や肌着を買ってくれるんですよね」

「え、じゃあ……」

「いえいえ、全部使っていないですよ。歯ブラシとかは流石に使いましたけど、それ以外は一切使っていないですよ。手付かずです」


 買うだけ無駄ですよ。と彼女は嘆息した。

 彼女が裸族になる理由……それは服の消耗を少なくするためということか。


「なるほどね」

「なので、お兄さん。私には歯ブラシとかその程度で十分ですよ。私のために買ったってなんも得しないんで」


 鈴奈は視線を小説へと戻した。

 バイト代は、全て『神待ち』に応じてくれた人に置いていく理由は彼女のために買った服の代金だと、彼女は答えた。

 彼女なりに考えているのだろう。


「優しいんだな」

「その表現はちょっとおかしい気がします」


 彼女への評価を彼女が否定した。


「といっても、あの人たちの目的は使用済みの私の私物をもらおうとしているんですよ。使い古したショーツとかタダで欲しいに決まっています」

「いや、それはどうかと思う……」


 鈴奈は視線を僕に向けてくる。その視線はほーん? といった興味を持ったような表情だった。

 そして彼女は小説に栞を挟み床に置いた後、僕へとすり寄ってきた。


「そうですって、お兄さん知らないんですか? 使用済みショーツって一枚一万円とかするんですよ?」


 そういって鈴奈は誘うようにズボンに手をかけて降ろそうとする。


「……うわぁ、いやだなぁ」


 普通にドン引きした。使い古しの歯ブラシとか欲しい人間の気持ちがわからない。

 他人が使った私物を欲しがる理由はなんだろう? と考えていると鈴奈は小悪魔みたいな笑顔を作った。


「……お兄さんはその反応で正しいと思います。ですが、一般男性は基本的に女性の使い古しを集めたがる傾向にあるんですよ。お兄さんはその中のレア……いや欠陥?」

「それ以上貶したら、家から追い出すけど?」

「ごめんなさい。今のは訂正します。紳士です紳士。ジェントルマンです」


 慌てた口調で無駄に僕の評価を上げる鈴奈に、僕は眉を顰めた。

 どうして家出をしているのだろう。

 明るくて友達とかたくさんいそうな雰囲気なのにどうして家出をしなきゃいけないのだろうか。わからなかった。

 一頻り謝罪をした彼女は、よし。と自己満足したような表情をした。


「お兄さん。今日休みなんですし、買い物行きましょうよ」

「買い物って……なにを買うんだ?」

「買うってまず私の生活必需品ですよ。エチケット用品です。それに……そろそろ近いんですよ」

「近いって何が?」


 僕は彼女の発言に疑問を投げかけると、彼女はものすごい形相で僕を睨んできた。


「女性の近いって、生理以外何があるんですか? デリカシーに欠けてますよ」

「……すまん。そうだったな」


 鈴奈は立ち上がり、玄関の方へと向かっていく。

 彼女はどれだけ僕の家にいるつもりなんだろうか。

 僕の胸にあるのは、彼女への興味と、不安だった。




 ◆




「とりあえずこれだけあれば大丈夫です……。お兄さんありがとうございました」

「いや、これだけでいいのかわからないから。君がここにいて助かったよ」

「いや、私がいなきゃ何を買うのかわからないじゃないですか」


 ドラッグストアで買い物を終えた僕達は帰り道を歩いていた。

 彼女に買った物は生理用品に歯ブラシだけだった。

 途中、彼女がニヤリと僕に向けて『0.03』とアラビア数字が書かれていた小さな箱を摘むように持ってきたのを忘れることにしよう。


「なんで、あれ買わなかったんですか?」

「あのなぁ……僕は君を泊めるだけだから。君とはするつもりないから」

「え、じゃあなんで出会い系サイトに登録したんですか!?」

「君が登録しましょうって言ったからだろ!?」


 あ、そうでしたね。と鈴奈は笑った。

 まったく、この子は抜けてるのかそれとも分かっていっているのか……心が読めない子だ。

 空をちらりと見ると太陽は見えず、一面に厚い雲がふわふわと浮かんでおりその雲海の一部だけが青く見えるだけだった。


「今日は雨降るかなぁ……」

「雨降るんですか?」

「いや、わからないけど、でも結構雲が漂っているし……」

「そうなんですか。ちょっと困りますね」

「なんで?」


 と僕は鈴奈を見ると、彼女は携帯とにらめっこをしながら歩いていた。


「何してるの?」

「ゲームです。GPSの機能を使ったゲームで、マップから出てくるモンスターを捕まえるゲームなんですよ」

「へぇ……」

「雨になったら外に出れないじゃないですか。ジメジメしますし、私の連絡手段が無くなりますし……って興味なさそうですね」

「まぁ、あんまりゲームしないし……ごめん。嘘をついた」

「嘘?」

「ゲームはするけど、一つのことしか考えられないタイプなんだ。一つゲームをすると、他のゲームをやるまではずっとやってて、他のゲームをやると今までやってたゲームはやらなくなるんだ」


 昔からそんなやつだったな、と僕は昔の自分を評価した。


「今はどうなんですか?」

「……今はゲームじゃなくて、小説を読むことが楽しいから」

「デジタルからアナログにいったんですね」

「そういう君はどうなんだ?」

「んー、私は……お、レアモンスターだ」


 彼女はずっと画面とにらめっこしていた。

 危なっかしいなぁ。と思っていると。


「あっ……」


 案の定、彼女は道端の小石に躓く。

 ふわりとゆっくり倒れていく彼女の二の腕を、僕は咄嗟に掴んだことで、事なきを得た。

 服の上からだったが、鈴奈の二の腕は女性のような柔らかさを感じた。


「危なっかしいなあ……ちゃんと前を見て歩きなよ……」

「……ども」


 僕に感謝の言葉を短く言うと、彼女は立ち止まり何回かクルクルと画面を撫でた後、携帯の電源を消した。


「お兄さんの言う通り、歩きながらはダメかもしれません」

「その通りだ。ちゃんと前を見て歩きましょうってお母さんに言われなかったか?」

「言われなかったですよ。私はお母さんにとっては邪魔者扱いだったので」


 ぴしゃりと僕の小言を打ち切った。

 その発言に僕は何も言い返せれなかった。

 鈴奈は僕の顔を見ず、ただ真っ直ぐ、言われたように前を見ていた。


「……ごめん」

「いいんですよ。携帯見ていた私も悪いですし」


 空気がどんよりとしていた。

 何を言えばいいかわからない。

 そんなことを考えていると、彼女は早足に歩いた。


「大人に叱られるのも悪くないですね」

「……」


 まるで、さっきまで演技をしていましたと彼女は笑う。


「お兄さん、今日はご飯作りますよ?」

「え、ご飯?」

「はい、ご飯です。なんですか? 今日もご飯は外食で済まそうとしていたんですか?」

「うぐっ……」


 図星だった。言葉が詰まった僕を鈴奈はお腹を抱えて笑う。


「私がご飯作りますよ。男を手に入れるには三つの袋を手に入れるのがいいんですよ」

「三つの袋か。胃袋、給料袋……あとなんだっけ」

「なんだ。知ってたんですか」


 知ってるも何も、僕は鈴奈より年上だぞ。


「あと、三つ目は金玉袋ですよ。お兄さんはいまだに私に金玉袋を渡してくれませんよね」

「渡さないし、渡す気もないからな」


 それに僕は彼女に掴まれている。


「作って欲しいご飯ありますか? なんでもできますよ」

「じゃあ……卵焼き」


 僕の胃袋はすでに彼女に掴まれている。


「……! はい、とっても美味しい卵焼き作りますね」


 それを彼女に知られないように、僕は目を逸らした。

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