オトナと、コドモの境界線

 食事を終え、食器を洗い終わった僕は床に座ると、机でだれていた鈴奈は顔を上げる。


「お疲れ様です。お兄さん」

「なんだその上から目線は。君は家事炊事洗濯なんでもするって言ってたじゃないか」

「今日は気分じゃなかったんです」


 気分でやらないブラウニーさんは、今すぐ何かプレゼントをくれてやりたいところだ。

 でも、まぁ、いっか。と僕はため息に言葉を託しながら立ち上がりキッチンに向かうと、ポットに水を入れてスイッチを入れた。


「そういえば、お兄さんって今日休みだったんですね。昨日休みって言ってたのに……」


 おそらく一昨日の居酒屋での会話のことを言っているのだろう。でも、あの時明日休みなんて言っていたっけ?


「あー、実は居酒屋の帰りに電話がかかってきて仕事代わりに来てくれって言われた」


 居酒屋で出会い系サイトに登録し、掲示板に書き込みをしたあと、同僚から電話がかかってきたのだ。


『明日出れる? 明日変わって欲しいんだけど』

『あー、はい。わかりました』


 断ればいいのに、僕は二言返事で返した一昨日の僕を呪いたい。

 あと、本当勝手に日にちを変えられるのは勘弁願いたいところだ。


「お兄さんも大変ですね」

「僕が大変っていうか……社会人が大変と言ったほうがいいかもなぁ」

「なぜですか? 私からしたら社会人が楽ちんに見えますよ」

「無い物ねだりだな」


 彼女は不思議そうな顔をして僕を見てくる。


「学生は言われたことをやっていればいいじゃないか。言われたことを覚え、それを反復し、そしてテストをするだけ。それだけだ。長年の友達ができたりして楽しいかもしれないな。一時間の仕事に、十五分の休憩と、三十分の放課後、そして昼食に、部活をして、家に帰る。なんて規則正しい生活だろうね」

「そう見えますかね?」

「そうみえるんだよ……社会人は。僕らは好きなことなんてできない。会社の歯車となって仕事をして、休憩なんてなく、反復した仕事なんてない。常にトラブルだらけだ」


 しまいには、歯車が噛み合わなければ負荷がかかるのはその歯車ではなく、その周りにいる歯車だ。磨耗して、歯が壊れるのも時間の問題だったりする。


「世の中クソだ。と叫び散らす大の大人は、大人になりきれない子どもがほとんどかもしれないが、その何割かはきっとブラック社会で作り出されたストレスによって精神が毒された大人だろう」

「大人って大変なんですね」


 理解するつもりはなさそうな返事を、鈴奈はした。


「そもそも、大人ってなんだろうな……」

「それお兄さんがいうことなんですか?」

「そう言われると少し困る」


 大人とはなんだろうか。

 二十歳になって八年と、十ヶ月を過ぎた僕には未だ分からない存在だった。

 カチッと、ポットのスイッチが切れる音が聞こえた。


 僕は、近くに用意していたスティックタイプのインスタントコーヒーをコップに入れたあと、湯を入れた。


「君は? 飲むかい?」

「あー、私コーヒー苦手なんです」

「じゃあ何飲むの? 水道水?」

「水道水って塩素臭いんでここには飲むものがないです。脱水で死ねますね」

「……はははは」


 何笑っているんですか。と彼女は僕に睨んできた。


「君と、大人の違いを今見つけたような気がしてね」

「……?」

「コーヒーが飲めるか飲まないかの話で、昔子どもが『コーヒーを飲めるんだぜ? マイルドだろ〜?』って砂糖とミルクをたくさん入れて父親に自慢したら、父親が『それはマイルドというよりチャイルドだろ?』って返す話を見かけたのよ」

「面白い話ですね」

「だから、君はコーヒーが飲めないんだから子どもだなって」

「む、ならコーヒーを飲めるお兄さんは大人だって言いたいんですか?」


 彼女は、頬を膨らませる。

 僕は、粉末を溶かしたコーヒーが入ったコップを彼女にみえるように持ち上げる。


「ワイルドだろ?」

「なんか、ムカつきます」


 彼女は不機嫌な表情をして横になった。

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