鈴奈
「いっただきまーす」
彼女は景気良くパチンと鳴らした両手で、バンズ四段にもなるテラマックを両手でつかむと、彼女の口が大きく開き、綺麗な歯型をつけていく。
がぶりといい音が聞こえる。その美味しそうな音に砂漠の様な口の中から、湧き水の様に涎が湧き出た。
トレーにはフライドポテトのLサイズと、これもまた一番大きなサイズに入れられた炭酸飲料が載っている。
テラマックは思ったよりバンズなどがしなびていて看板みたいな綺麗な飾り付けではなかった。バーガーを収める厚紙で作られた箱の中はぞんざいに扱われたのか、レタスがボロボロと落ちていた。
「あーん……うん。まぁ、普通ですよね」
「失礼じゃないか」
味の感想を率直に述べる彼女に突っ込みながら、僕はアイスコーヒーのMサイズにストローを刺し口に含んだ。
やっぱりこのチェーン店のコーヒーは基本的に不味いものだな。まだ、コンビニに売られているコーヒーとかの方がうまい。
「お兄さん。私をお兄さんの家に住まわせてくれませんか?」
「ぶっ……! ゲホゲホッ!」
わかっていたさ。
神待ちというタイトルで、目の前にいる彼女が話しかけてきたということは、僕の家に泊めて欲しいということだって。
だけど、何かしらの話があってからその話題を切り出すと思っていたのに、突然のことすぎて思わず噎せてしまった。
「お兄さん大丈夫ですか?」
「ご、ごめん。大丈夫」
彼女からナプキンを受け取ると口の周りを拭いていく。
深呼吸だ。深呼吸をしよう。無駄に高鳴る心臓が落ち着いた気がした。
「で、お兄さん。いいよね?」
「いいってなにも、なんで……って言わなくてもわかってるけどさ」
「お兄さんの思っているように、私は家出をしています。いろんな所に寝泊まりしてて次の泊まり先がいなかったから困ってたところに、お兄さんがいたんです」
「それは都合が良かった……ということか」
「有り体に言えば、そうです」
僕は平静を装いストローを噛んだ。
「理由とか聞いていい? その……家出をした理由とか」
訪ねた瞬間、彼女の眉間に皺がよった。
「はぁ、だいたいの人達って家出をする理由とか聞きたがりますよね。どうしてですか?」
「知らないよ。話題がないからとかじゃないかな」
「話題……話題ってそんなに必要ですか?」
彼女の瞳に僕は息を飲んだ。
冷たく、気の弱い人間なら怖気付くような視線だった。
「私はお兄さんの家に泊めて欲しいと言っただけですよ。そこに会話って必要なんですか?」
「それは……」
一宿一飯だけなのに、そこに会話とか親密になる必要があるのか。と彼女は尋ねているのだろう。
そう考えると僕と彼女に会話など必要なかった。
「他の人に、理由とか聞かれたことは?」
「もちろん。ですが、途中から聞くのを諦めました。みんな同じ理由ですから。みんな身の上話を聞いて保護欲を刺激したいんですよ」
「保護欲……」
「私はこんなに卑しい身分なんです。だから泊めてください。仕方ない。なら私が泊めてあげよう……ていう人ばかりです。ウィンウィンな関係なのはわかりますが、私はただ家出をしただけなので相手にそこまでして保護されたいとは思っていません」
「そ、そう」
「それでも、お兄さんは私の事情を聞きたいんですか? そこに意味がなくても、聞くんですか?」
彼女はただ、泊めて欲しいだけだった。それ以上のことを聞くな。と言わんばかりの剣幕に僕は怯む。
「わかった。聞かないから」
「ありがとうございます」
彼女は居酒屋であった時の笑顔を振りまくと、またテラマックにかぶりついた。
これ以上、彼女の話をするときは気をつけないといけないなと肝に銘じ、コーヒーを口にする。
「ちなみに、セックスとかしますか?」
「ぶっ……! あのなぁ!」
クスクスと、笑う彼女に声を荒らげた。
「ごめんなさい。お兄さん、ほら、見た目から童貞っぽいし、そういうの目的なのかなとか思って」
「ち、違うし。僕は、その……彼女とか、結婚相手を見つけようと思って……!」
「じゃあ、私をお嫁さんにしませんか?」
「なにを……」
言ってるんだ。と僕は口が黙る。
「これだと、私は家出を繰り返さなくていいし、お兄さんは独身貴族じゃなくていいじゃないですか。ウィンウィンですよ」
「君の年齢は?」
「十八ですけど」
「未成年じゃないか」
煙の様に湧き上がる思考。
特集! 十八歳女児、誘拐淫行事件!
加速するオタク達の犯罪率に迫る!
次々と書き出される脳内雑誌を破り捨てるように僕は首を振った。
「……やっぱ無かったことで……」
「いやいや、お兄さん突然怖気付くのやめてくれませんか。せっかく会ったんですから」
せっかく会ったと言っても、また居酒屋に行くんだけど……。
ニコニコと笑いながら余裕な態度で彼女は頬杖をついた。
「いやでも、未成年はやっぱりあれかなって思うんだけど」
「今時の十八歳の女の子は処女捨ててますって」
「なっ……!」
「ぷっ、あはははは、お兄さんへんな顔してますって」
それは君がへんなことを言うから……。と呟こうとしたが、発言をやめた。
今時の十八歳の女の子は処女を捨ててます。という発言が頭の中で巡る。
彼女はいろんな所に泊まってきたと言っていた。
もしかしたら、彼女もそのように寝泊まりしてきたのだろう。
彼女が紅潮し喘ぐ姿を……その彼女を覆うように見知らぬ男が覆いかぶさっているのを想像してしまった。
僕は口を閉じる。
これ以上、彼女の掌で転がされるのはごめんだ。
「あれ、お兄さん。怒りました? 怒ったなら謝ります」
「謝らなくていいよ」
頭のスイッチを切り替えるように深呼吸をした。
「で、泊めてくれるんですか? 泊めてくれないんですか?」
「……わかった。僕の家に泊まるといいさ」
「本当ですか? ありがとうございます」
「だけど、こっちにも条件がある」
間髪入れずに僕は条件を出した。
「条件? やっぱりセックスですか?」
「違うって! まったく、君はもう……」
コーヒーを飲んだ後、ちらりと彼女の方を見た。
「名前、聞いてもいい?」
「名前ですか?」
「うん。僕は君の名前を知らないし」
「それならお兄さんの名前も知らないですけど」
そりゃお互い自己紹介してないし。
彼女はテラマックを食べきった後、ソースで汚れた手をペロリと舐めた。
「お兄さん、私に名前つけてくださいよ」
「なんで」
「私の名前嫌いなんです。私の名前なんかなくなっちゃえばいいと思うくらいには思っています」
「……名前ねぇ……ちなみに他の人にも名前つけてもらってた感じ?」
「まぁ、そうですね。野良猫みたいでしょ?」
ニッコリと笑う彼女。
野良猫はいろんな所の家に行って、ご飯をもらう。そしていろんな家族にいろんな名前をもらって生活をしている。
彼女はそういう意味で自分を野良猫と例えたのだろう。
「名前……って言われてもいい名前思いつかないんだけど」
「じゃあ、適当につけてくださいよ。名前つけてくれたら、その名前でしか反応しないので。お兄さんに絶対服従しますよ。家事洗濯炊事なんでもします。夜の相手も」
「夜の相手は無しで」
「即答しますか? 普通」
頬を膨らませ不満げに言う彼女に、僕は目を背けた。
それよりも名前、名前だ。
なんで、彼女に名前なんかつけなきゃいけないんだ……。
ひたすら悩んでいた末に僕は喉元までせり上がってきた名前を吐き出す。
「
「れいな……まぁ、無難ですね」
「無難って……」
「もっとキラキラネームつけるかと思いましたよ。メーテルとか、プリキュアとか」
「そんな名前つけるのは今時の親だと思うけど?」
「あははは、お兄さん古いですもんね」
彼女の貶し方に僕は眉を顰めた。
「じゃあ、お兄さん。よろしくお願いしますね」
彼女は……鈴奈は僕に手を出してくる。
しっかりと見ていなかったから気づかなかった。
彼女の白い腕に、いくつか火傷によって引き攣れている皮膚が見え隠れしていた。
明らかに卵焼きで失敗した傷跡ではない。もっと古い小さい時に受けた火傷の跡に見えた。
「……あぁ、よろしく、鈴奈」
だから、僕は鈴奈に手を差し出した。
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