バグ・ファイブ

エリー.ファー

バグ・ファイブ

 壊れてしまう、ということを前提にすることで、それ自体がなくなっても自分の精神的な部分に損害が出ないので、正直、楽だ。

 大切なものを少ずつ形にしてしまうのは、それが崩壊したときに気分が落ち込むので、避けた方が良い。

 大事にしておかなければならないものほど、自分から遠ざけておかないと自分の心の弱さが外に出てしまう気がする。

 できるかぎり、できるかぎりでいいので。

 どうか、私を無視してください。

 

 というような手紙が家の前に置いてあって、恐怖した。

 凄い気持ち悪い。

 こういう発言を意識的、もしくは無意識的にできてその上、誰に伝える必要もないのに、勝手にそういう感情を押し付けてくるあたりに面倒臭さを感じる。

 誰だよ、これやったの。

 本当に、心の底からうざい。

 他人の目に晒すような感情とは全く言えないし、しかもこれを言葉にした人間はかなりの確率で悦に浸っていると考えられる。

 本当におかしいんじゃないのか。

 本当に、本当に、できる限り知り合いにこのようなことを考えている人間がいないと思いたい。

 もちろん、僕の中にそういう感情がないとは言えないけれど、こうやって誰かに表現してまで共感を得ようとは思えない。

 むしろ、自分の中にある感情の一つや二つ、誰にもあげずに自分だけで享受したいと思うものではないのだろうか。そう考えてしまうと、余計に自分が我儘な人間なんだと思えるようになってしまう。

 同じことだ。

 いつも、そう思う。

 幸福も不幸も、すべて自分のものだと思ってしまう。誰かに与える気はないし、誰にも与えたくはない。

 絶望も、何もかもすべてが自分のものだと、そう叫びたい。

 僕は、僕を少しだけ大事にしている。

 僕の住んでいる家は、都内でハイクラスの人間だけが住めると言われる地区にある。どこまで、見栄をはりたがる両親の教育の元、ここまで優秀に育ったとも思っている。

 それらしい問題に当たって、自分の人生の方向を誤ったことはないし、それはこれからも続くのだと思う。割と器用で、それなりに生きてきたし、これかも誰かに憎まれるわけもなく、誰かを憎むようなこともなく、ただそれなりに生きていくのだろう。

 他の誰かがある程度うらやむような生活水準を維持し続けるはずだ。

 それだけは間違いない。

 人を殺したことがある訳ではないけれども、殺人をしたところで、それこそ社会の最底辺まで落ち込むことはないだろう。僕の失墜が僕の一族の失墜と同義なら、一族以外の人間も救いに来るに決まっている。

 僕は少しだけ、自分の人生を思い返してみる。

 楽しいことはたくさんあったし、明日の予定も埋まっている。

 自分の生き方を他の人と見比べながら、それでも、自分なりの努力を続ける。

 壁に掛けてある、絵は、自分が中学生の頃に描いたものだった。初めてコンクールで金賞をとり、あの瞬間、日本で一番になることができた。

 僕は、その絵を外すと。

 近くにあったカッターで切り刻んだ。

 これ以上の質の高い絵を、いつでも描けるほどの実力は、もう僕に備わっている。

 欠片を集めて指で引きちぎり、上からマジックで塗り潰し、ベランダの隅でライターで炙って灰にした。

 直ぐに机に戻ってあれと同じ絵を描くことにする。

 完璧に描けた。

 中学生の時と違い、一時間もかからない。せいぜい三十分ほどだった。

 机に掛けてみる。

 部屋を見回す。

 この部屋は何一つ昨日と変わらなかった。明日も変わらないだろう。

 良かった。

 誰にも気づかれないように。

 僕は今夜も、僕を更新していく。

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