第5話 宇宙生物の歌

宇宙空間に浮かぶ球状のガス生物の日常社会の仕組みみたいなのを理解するには、少し時間がかかった。ベースになる知識は今の僕の意識が宿っている17にも記憶としてあるのだけど、それを引き出すためのきっかけがなかなか見つからなかった。これは自分が知らないことをインターネットで検索して見つけるのと似ている。調べたいことの名前がわからないと検索できないし、全く知らないことをどうやって調べたらいいのか。例えば本棚や食器棚の棚板を好きな位置に固定するための板の穴に差し込む金具について調べようと思ったら、その金具の名前を知る必要がある。もしその名前を知らない場合には、棚板を支える金具とかで検索して見つけ出すこともできる。でも、本棚や食器棚の存在を知らなかったら、そういった検索もできない。宇宙生物の日常生活に関しては、それに近い状況だった。


食べ物についてはそれが星間ガスという人間であった時のとは全く異なる物であったとしても、肉体を維持するために摂取する物質という共通点はあるので、自然な形で記憶から想起することができた。また、自然数や素数といった抽象的な概念についても肉体の形状などには左右されない普遍的なものだからか、これも記憶から検索することがたやすい。

その中間の、肉体に直結はしないけれど抽象的な概念でもないことがらについては、何を調べればいいのかということから考える必要があったのだ。


学校みたいなものはあるのかと考えて記憶を探ると、何もヒットしない。もう少し抽象度を上げて、知識を学ぶためのグループとしてもダメで、知識を得るための何かくらいまでいくと少しは当てはまることが出てくるかなくらいだった。

これは彼らが誕生した時点で、親に当たる個体から多くの知識を情報として得ていることも関連しているのだろう。つまり産まれながらに言葉を話すことは当然できるし、基本的な知識は持っているわけだ。なので学校のように集団で基礎的なことを学ぶ必要はなく、家庭教師みたいな個人間での教育的なものが場合によっては無くもないというようなことのようだ。


産業というか社会を成り立たせる集団による協力作業的なことについても、食料関係のものが記憶の検索から見つけ出せた。星間ガスの大きな流れを作り出すというのも、個人ではなく複数の協力によって可能になる。小さな流れの方向を変えることや、漂っているガスに外力を加えることで流れにすることもできる。そして小さな流れをまとめて大きな流れにすることも、グループ内の共同作業や、場合によっては複数グループの協力によって可能になる。これらは人間の世界でいうと治水に似ているけど、流れる水が栄養源にもなってるような感じといえばいいのだろうか。


昔読んだ小説に、海に沈む夕日の美しさみたいなものは宇宙人にも感じられるのだろうかといったことが書いてあった。これは人間の感じる物事が、他の知性にも共通するのかどうか。普遍的な美しさみたいなことはあるのかどうかというようなことなのだろう。

今の僕が一時転生している宇宙生物は、姿かたちは全く違うし時間の流れも違う。それでも他者とのコミュニケーションや、ラジオでの情報伝達などでは人間と共通する部分もある。食事として食べるものが肉や野菜ではなく、星間ガスであるとしても、何かを食べて満足するという感覚は共通している。

そして、彼らの世界にも音楽や歌はある。それが人間のとは全く異質なものだとしても。


音楽とは何かというのを考えると、複数の音の調和というのがあるのではないか。例えば和音。ギターの弦のようなものをはじいたときに出る音は、弦の長さを変えると変化する。弦の長さを半分にすると周波数は倍になって1オクターブ高い音になる。

半分ではなく3分の2にすると今度は1.5倍の周波数になる。ドミソのようにきれいな和音になるものは、周波数が整数比になっている。整数比でないときは、チューニングが外れたギターのように、ズレがうなりのように聞こえたりする。

今のピアノなどの音は、完全な整数比ではない。これは和音だけでなくメロディの音階が自然になるように微調整がされているため。しかし全体として音が調和するようになっていて、メロディや伴奏などがあたかも一つのまとまりのようになっている。これが人間の音楽についての簡単な説明だとすると、彼らの音楽は全く違う。

最初はそれが音楽だとは気が付かなかったくらいで、複数の音はあるものも全くバラバラになっている。複数の楽器で別々の曲を演奏してるというか、別々の歌を歌っている感じ。もしくは10カ国語で別々に話してるとでも言えばいいだろうか。昔の聖徳太子は10人から同時に話しかけられても中身が理解できたというが、常人たる僕には無理だ。がやがやとした人混みにいるような気分、それが彼らの音楽に対する僕の印象だ。そもそもそれを音楽と言っていいのかもわからないけれど、無理やりに当てはめるとしたら情報伝達などの実用的な目的ではなく感覚を心地よくさせることを狙ったものであるので音楽に類するものとなるのだろう。


103-41という歌手だか音楽家の作品は、それでも理解できないとまでもいえない。彼女の曲は、かろうじて音楽だろうと想像できる。もし彼女の曲が無かったら、それらが音楽だと理解できなかっただろう。

沢山の人がばらばらに話しているような不協和音的なものであるのには変わりはないのだけど、そのなかに声の大きな人がいるのでそれに集中すると何を話しているのかがぼんやりわかるような状態みたいな感じの曲で、話の内容としての情報量が低めで繰り返し的なパターンがわりとわかりやすいので、何となく歌みたいに感じられる。ただそれが心地よいかというと全くそんなことはなく、転生して借りたからだを自分のもののように動かしたり、人間とは全く違う食事を楽しんだりは出来るけれど、肉体だけでなく心も関係している音楽のようなものについては同じように感じられるわけではないみたいだ。これがもっと抽象的な数学の計算みたいなものだと身体とは無関係な抽象的な概念だからなのか、同じような理解が可能になる。

人間どうしても西洋の音楽と日本古来の雅楽みたいなのではかなり異なるので、それが身体の構造から大きさから全く違う生物ならば、感じ方が異なるのも不思議ではないのかも。



宇宙生物の音楽はよくわからない。






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