第3話 宇宙での生活

それから数日はなんということもなく過ぎた。この人間とはまるで違う身体にもなれてきて、健康のために軽い運動やストレッチをしたり、食事も意識してとるようにした。

直径1万光年はあろうかという薄いガス球がどんな運動をするのかと客観的には思うけど、自覚的には人間のときとそんなに変わらない身体のサイズだと認識している。形はだいぶ違うけど、何かをつかんだり操作するための手や、移動に使える足に相当する機能も存在する。


目が覚めた時には伸びをするような感じで身体を少し拡大する。その後に反動で縮小してから部分的な拡大と縮小をくりかえす。これがストレッチ。あとは身体の一部をわずかにゆするというか移動して戻すことを行ったり、部分的な密度変化とかの軽い運動。軽くでも身体を動かすと血行が良くなったように感じられる。この血行というのは、身体の中を流れている気流の流れのこと。


食事については特に何もしないでも、周囲にほんの少し存在する星間ガスを常時引き寄せている。逆に身体から飛び出していくガスの原子もあるので、何もしないと増加分と減少分でだいたい同じになる。

何かをすると、これは運動したり話したり、ラジオを聴いたり考えたりといった活動でエネルギーが消費されて、体重も減る。その分を食事で補う必要がある。

何を食べるのかというと、宇宙気流とでも言えばいいのか、たまに存在するほかよりも濃いガスの流れみたいなもの。

自分のいるところに偶然ガスの流れが来たときはそのまま食事にすればいいけど、少し離れた場所の場合は移動することもある。移動にもエネルギーや、場合によっては身体の一部のガスを反動用に使うので、得られる食事量の予想をふまえて移動するかどうかを決めないとかえってマイナスになったりもする。

また、自分のところにきた気流を全部自分のものにするのはマナー違反で、一部は周囲の仲間に流すのが上品とされている。

ごくまれにガスではない密度の非常に高い特異物が流れてくることがあるらしい。これは液体や固体の物資なのだろう。それらは捕獲されてもそのまま食べられないので、保管しておいてエネルギーに余裕のある時にガス化して食べたりする。保存食みたいな感じか。



ナナからは会話した次の日にメールが来た。メールソフトや他のアプリのようなものを再立ち上げしたので、今ではメールも受信できる。メールというのが正確な描写なのかは自信がないけど、感覚としてはそう。自動翻訳というかこの身体の基本記憶と僕の意識との対応で、理解できる形に変換されているのだろう。身体も球形なのに、手足がある感覚なのと同じだ。

メールの内容は、おまけで送った数学の問題に関してで、数が10の時は1個で、11の時は0個なのかという質問だった。その通りだという返答したら、特に返事は無かった。7の時については言うまでもないということなのだろう。

前にうるさく呼びかけてきたのは、僕が何も反応しなくて心配したからだろう。メールは受信側で用意していないと受信確認も帰ってこないし、メーザーでの会話も、相手の方を見ている必要がある。これも意識下のアプリ的なもので、誰かが呼びかけてきたらアラームが上がるようになってるが、前はこれも止まっていた。最後の手段としての呼びかけは、どうも本当に音として伝わってくるみたいだ。メーザーをもっと強力かつ収束させることで星間ガスを振動させて、それが僕の身体に伝わってくる。これは注意を向けていなくても聞こえる。人間でも視覚は目をあけてみる必要があるけど、聴覚は音がすれば反応できる。そんな感じで強制的な呼びかけとしての宇宙音声だけど、これは他にくらべてずいぶんエネルギーを使う。


そんなわけで初の転生先が宇宙空間の巨大ガス球という想像もしなかった相手ではあったものの、なんとか生活はできそうだ。あとは僕の転生を受け入れて一時的に身体を貸してもらったお礼をしておく必要がある。

僕が身体を貸したときは、転生を可能にする装置をお礼に受け取った。どうやって作ったかはわからないけど、貯金の大半が無くなっていたことからすると、買ったものを組み合わせたんだろう。

そういえば元の世界に戻ったあとの生活はどうしよう。また働くのはイヤだなあ。

この身体の持ち主である17が要求したのは、異世界の知識だ。何をという細かい指定はなかったけど、万有引力とか僕らの宇宙での星や銀河の話なんかでいいのかな。あとは原子論とかは宇宙生物にも共通した話題になりそう。

僕の意識とともに持ち込んでいるテンポラリ記憶から、この身体の長期記憶エリアにコピーするようにしておけば、僕の意識が去った後も知識は残るはずだ。

万有引力の法則とかは、たとえ違う宇宙だったとしても成立するだろうからあらためて説明するまでもないかとも思ったのだけど、その表し方には違いがあるかも。ニュートンの運動方程式とかも、理屈を知らない人でもボールを投げて的に当てることが出来るように、何かができるとしても背景の理論を理解しているとは限らない。

万有引力の法則は、2つの物体に働く力は質量の積に比例して距離に反比例するというもの。クーロンの法則はその電気版で、質量の変わりに電荷の大きさに比例する。電荷にはプラスとマイナスがあるので、引力のように引く力だけでなく反発する力もあるのが違う。あとは運動方程式。何か物に力をかけると力×時間に比例した速度になり、物の質量には反比例。

僕らの宇宙の成り立ちも、ビッグバンから集まったガスが核融合して恒星になりみたいな非常にざっくりしたものを思い出して言語化することで長期記憶エリアにコピーされるようにする。

核融合の仕組みと関連して物質は原子から成り立つことや、原子が原子核と電子、そして原子核が陽子と中性子からなっているみたいなことも。


あらためて重力とかについて考えたことでわかったこともある。今の僕の身体は大きさこそ何万光年と銀河や星団くらいだけども、すごく薄いガスなので質量はそんなでもない。だから僕の身体に発生する引力というのは、自分の身体のガスをかろうじて球状に保つ程度のものしかないはずだ。

なのに宇宙気流のようなガスが僕の方に引き寄せられるように動いている。まるでもっと重たい星があるみたいに。

でもこれは時間の感覚が違うことによる錯覚だというのがわかった。地球上の重力だと1秒間の落下で毎秒10メートルの速度になるけど、100分の1の弱い重力だと毎秒0.1メートルにしかならない。でも1秒でなく100秒間の落下では100倍されるから毎秒10メートルに加速される。

つまり今の僕の身体の感じる時間の流れはすごく遅いので、僕の主観で1秒くらいというのがもっと長い時間だから弱い重力でも大きく感じられるということのようだ。


時間の基準が違うと運動方程式も成り立たなくなるかもとちょっと思ったけど、これは大丈夫そうだ。速度を秒速何メートルではなく、分速や時速で考えても成立するので、基準時間が長くても意味する所は同じ。秒速1メートルと分速60メートル、時速3600メートルは、表現は違うけど同じ速度だ。


そういった生活の為のあれこれと、身体を借りたお礼のための時間の他は、だいたい周囲からのラジオを聴いてのんびりしている。最初はどうなることかと思った宇宙生物への一時転生だけど、なれてくると案外快適だ。これはもともと僕が引きこもり体質だからというのもあるだろうけど、元の世界で人に会わずに家にこもってネットとかしているのと同じような感じでこちらの世界での生活もひここもり気味にすごしている。



薄いガスの身体でもストレッチは気持ちよかった。



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