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僕を騙したんですか、と征爾が言った。ううん、違う、となぜか夕紀さんがそれを否定した。ロビーの客がわたしたち三人を見て、騒然としていた。わたしが口出ししようとすると、あなたはもう、帰ってください、そう冷たい声で征爾に言われた。これは僕たち兄妹の問題ですから。……と。
「雨さん、わたしからもお願いします。あとで必ず連絡します」
夕紀さんにそう執り成されたこともあったが、わたしは彼の放つその殺気立った気配に、引き下がるしかなかった。夕紀さんと征爾は静かな、それでいて熱のこもった声でしばらく言い争いを続けていた。夕紀さんの横顔が、感情を抑え込むように、青白く染まっていた。綺麗だった。とても綺麗だと思った。
それが二人を見た最後だった。
夕紀さんからはいつまで経っても連絡はなかった。そのまま連絡が途絶え、三日が経った。わたしから送ったツイッターのダイレクトメッセージにも既読はつかなかった。その日もやきもきしながら返信を待っていると、
「ねえ、霞」
夜勤から帰った露が、小さな声で、わたしに訊ねた。
「鷹場征爾って、あなたがこのあいだ雑誌に紹介記事を書いていた、あの劇団の主宰の人、よね」
わたしは不思議に思って、そうだけれど、それがどうしたの、と訊ね返した。
「死んだわよ」
「……え?」
一瞬、わたしは自分の耳を疑った。
そんなわたしを尻目に、本当は守秘義務があるからおおっぴらには言えないのだけど、そう前置きをして、露は静かに話し始めた。
「車の中で練炭自殺を図って、うちに運び込まれてきたのよ。でももう手遅れだったわ。病院に着いたときにはすでに亡くなっていたの。一酸化炭素で肌が薔薇色に染まって、……男に向かって言う言葉ではないのかもしれないけれど、美しい人だと思った」
薄手の上着を脱ぎ、着替え始めた妹の姿を、わたしは茫然としながら見ていた。露の言葉の意味が、理解できなかった。何を言っているのかわからなかった。
「変わった名字だし職業でしょう? それで、あれ、どこかで聞いたことがあるな、って思って。ずっと引っかかっていたのよ。だけど、帰りの電車の中でふっと思い出したの。そういえば霞の書いた雑誌の記事に、そんな名前の人が出ていたなって」
「死んだ、の? 本当に?」
「うん。わたし、この目で見たもの」
「同姓同名の赤の他人じゃなくて?」
「劇団『月の庭』主宰、って肩書きが書かれた名刺を持っていたのに? それでも他人なの?」
わたしは虚を突かれて言葉を失った。なぜ、どうして。彼は自殺したのだろう。あのときのロビーでの会話が、何かの引き金だったりするのだろうか。
つい先だって会ったばかりの人が自殺をしたという事実は、わたしを打ちのめした。そして、そうだったのか、と得心した。だから夕紀さんは、わたしのメッセージに返事ができなかったのか。
きっと兄の自殺に混乱して、どうしていいのかわからなくなっているのだろう。今も苦しんでいるのだろう。そう、思っていた。
……けれど。
「まったく、若い身空で妹と無理心中だなんて。どうかしてるんじゃないかしら」
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