第23話 少年、敵地に単身で乗りこむ
それは期末試験を目前に控えたある日の放課後だった。
僕はいつものように学校の校門から最寄りの駅に向かって歩き出そうと足を踏み出した、その時だ。
僕の携帯電話が着信で震えだした。発信者は花咲である。
心臓がドクンと跳ね上がる。声が出そうになるのをこらえて僕は携帯電話の着信ボタンに触れた。
「……もしもし」
『やあ。草壁くんだっけ? ずいぶん面白いことをやってくれたじゃないか』
「茂手木、いや宿木だな?」
そう。その声は一度耳にした覚えのある、あのさわやかな雰囲気の好青年のものだった。もっとも今その声色にはねばりつくような悪意が絡みついている。
「花咲は無事なのか?」
『ああ。美空ちゃんかい? ちょっと協力してほしいことがあったんだけど、なかなか首を縦に振らなくてねえ』
「彼女に何かあったらただじゃすまないからな。あの量子コンピュータのプロトタイプをマスコミに公開して、お前がやったことを全部ばらしてやる」
『威勢は良いが、証拠があるわけじゃないだろ?』
こっちの手の内はお見通しだと言わんばかりに彼は余裕たっぷりにせせら笑う。
『君が望んでいるのはあの女が帰ってくることだ。だから交換と行こうか』
「交換?」
『そうだ。……明日の夜八時。君一人であの量子通信グラスの設計図データを持って、指定する場所に来てもらう。場所は』
「横浜ふ頭の倉庫でどうだ? そっちの本拠地だろ?」
一瞬、応答が途絶えた。
『知っていたのか? 何故だ?』
「こっちだって黙って何もしてこなかったわけじゃないのさ」
警戒させたかもしれないが、こうなれば相手のホームで取引をした方が好都合だ。そう、僕はまだ量子コンピュータを取り戻すことを諦めたわけじゃあない。本拠地に乗り込んで何かしらの手がかりを掴めば、次につながるはずだ。
花咲を取り戻すのは勿論だが、このまま相手のいいように従っては結局僕らの負けなのだから。
『いいだろう。わかっているだろうが、くれぐれも警察に通報なんてしない方が良い。お互いのためにね』
通話はそこで切れた。
いよいよ勝負所だ。僕は心の中で決意を固めた。
『本当に一人で行く気なの?』
『大丈夫かな?』
『これで行方不明になったり、死体になって海で発見とか言う流れは勘弁してくれよ』
宿木から連絡があった翌日。
僕が宿木と取引することになったことを携帯電話のメッセージアプリで宇田たちに伝えたところ先のような反応が返ってきた。
『心配ない。あいつらだって殺人を犯すようなリスクを背負うつもりはないはずだ。絶対に花咲を連れて帰ってくる』
僕は携帯電話のアプリを閉じるとポケットにしまって学校から駅の方へ歩き始めた。既に量子通信グラスの設計図のコピーデータは以前に花咲の別荘であるマンションを訪れた時にメモリスティックで保存して持っている。
夕暮れでアスファルトが染まる国道沿い。
目的の倉庫は周辺に公共交通機関が存在しないので、途中までは電車で移動するにしても最後は車か歩きでなければ行けない。道を確認しておこうと僕は携帯電話のナビゲーションアプリを起動させた。
とその時、目の前に一台のバイクが僕の前を横切るように停車する。
「うわっ!」
驚く僕の前で操縦者はヘルメットを脱いだ。下からは見知った顔が現れる。
「……柳田」
「よう」
「柳田ってバイク、運転できるのか?」
「ああ。学校には内緒で去年免許を取った」
こいつはこいつで行動力が凄いな。
「でも急に出てくるから驚いたよ。……何だ?」
「場所は横浜のふ頭なんだろ。送って行ってやる」
「えっ。いいのか?」
「それくらいしかできないからな。……それにお前には借りがある」
そう言うと彼は僕にもう一つのヘルメットを渡した。
「すまない」と呟きながら僕はヘルメットを頭に装着する。
「それじゃあ、しっかり捕まっていろよ」
柳田のバイクは僕を乗せて車道を走り出した。
これから自分が向かう先に立ち向かわなくてはならない敵が待ち受けている。
それを思うと僕の指先は震えて思うように動かない。
「怖いのか?」
僕の緊張が伝わったのだろうか。
前部座席の柳田がそんな風に尋ねる。
「怖くない、と言ったら嘘になるかな」
「でもなんだかんだ言っても昔から、お前はやると決めたらやるやつだったろう」
「そうだっけ?」
僕がプライドを燃えないゴミの日に出してからずいぶん経つ。
自分にそんな気概なんてあっただろうか。
「小学校の時、俺がクラスで一番でかいやつに目を付けられて苛められたことがあった。隣の席の奴も普段から遊んでいた奴もみんな見て見ぬふりをして誰も助けてくれなかった。でも、お前はたった一人俺を助けるために立ち向かっていった」
そうだった。あの時の僕は正しいものが必ず勝つと信じていた。自分を信じれば何だってできると思い込んでいた。物語のヒーローになれると思い込んでいたのだ。
だが、その結果は……。
「おまえはクラスの皆の前でボコボコにされて泣きべそかいたよな。それどころか次からはお前がいじめの標的になった。クラス中から無視されるようになった」
それでも、たとえ格好いいヒーローになれなくとも友達を救えたのならそれでもいいと思った。だけど。
「あの時。お前がいじめられるようになった時、俺まで一緒に無視して本当に悪かった。また自分がいじめの標的になるのが怖かったんだ」
そうだ。友達を救えたという、その最後のよりどころさえもはかなく砕けてしまったのだ。その友達と思っていた相手に見捨てられて、僕は自分の正しさを信じられなくなった。
多分あの時からだ。
僕の心が完全に折れてしまったのは。自分に自信を持てなくなったのは。
あれから僕はすっかり引っ込み思案になって何をやってもどうせ駄目だと思うようになってしまった。
「高校でお前を見かけたとき、俺は本当は心のどこかでずっとお前に謝りたかった。だけどきっかけがなかったし、今更何を言っても変わらない気がして自分から逃げていた」
「……嫌なことを思い出せないでくれ。これから大事な勝負所だっていうのに」
ふと、僕は先程柳田が僕に『お前には借りがある』と言っていたことを思い出す。
「さっき言っていた借りっていうのはあの時のことか」
「ああ。それと俺が言いたいのは、お前は本当は誰もがためらうような困難にも一歩踏み出せるような奴だったってことだ。現に花咲に俺たちが詰め寄った時もあいつをかばって見せただろう」
それは花咲をかばったのではなく、柳田たちに対する妬みからくるものだったのだが何も言うまい。
「そろそろ着くぞ」と柳田が黙り込んでいた僕に声をかける。
気が付くと単車は海沿いの港湾施設周辺に到着していた。
「……この辺りなら歩いて行けそうだな。もう降ろしてくれて大丈夫だ」
「花咲のこと好きなんだろ? 上手くいくと良いな」
僕は彼の言葉を敢えて肯定も否定もせずただ「ありがとう」とだけ答えて、花咲が囚われている倉庫を目指して歩きだした。
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