第24話 少年、窮地に追い込まれる
港湾区域の倉庫街の一角に周囲と違い運搬用のトラックが出入りしている形跡もなく、それでいて日常的に使われているかのように小綺麗になっている一棟がある。
僕は倉庫の番号を確認した。どうやらここで間違いないようだ。
いよいよだ。
身がすくむ一方で、何故か可笑しい気分になる。
悪者が待ちかまえる港の倉庫街に女の子を助けるために飛び込んでいく。
まるで大昔のドラマか漫画にありそうな状況だ。
もっとも自分には漫画の主人公のような超能力や戦闘力は備わっていない。できるのは何とか宿木たちに取引を持ち掛けて、花咲の身柄を取り戻すことだけだ。
入り口に鍵はかかっていない。
僕は扉に手をかけてゆっくりと引いた。中は真っ暗だ。
おそるおそる入り込んで、手探りで部屋の真ん中あたりまで来たかと思ったその瞬間。
「うっ」
眩しい光が僕を包み込んだ。おもわずうめき声を漏らす。
倉庫の照明が点灯され、そして三人の男が僕を取り囲んでいた。
前に海辺で遭遇した三人。檜原というレスラーみたいな大男。榎田とかいう学者肌。それに茨木と呼ばれたストリートギャング風の男。
「てめえが草壁とかいうやつか。この間はずいぶんふざけた真似してくれたなあ?」
檜原が剣呑な表情で僕を睨む。
「いやいや、本当に一人で来るとは思いませんでした」
榎田がとぼけたような口調で肩をすくめて見せた。
「全くだな。……そんなにあの眼鏡女に良い思いさせてもらってたってか?」
下卑た口調で茨木が挑発してくる。
僕が思わず何か言い返そうかと思ったとき、パン、パン、パンと上からゆっくりとしたテンポで拍手する音が聞こえてきた。
見上げると静かに優雅な仕草で宿木が階段から降りてくるところだ。
改めて観察すると、倉庫の中は簡単に改装されていて一階と二階そしてそれぞれが二つの区画に分けられているようだ。僕がいる一階の手前側の区画はまるで事務所のようにデスクやパソコンに電話、生活用品がいくらか置かれていた。
そして彼ら四人はみな量子通信グラスをかけていた。彼らのそれは単なる情報収集デバイスではなく、他の量子通信グラスのユーザーの動向を把握し操作する「特別製」なのかもしれない。
「お疲れ様、と言っておこうか」
宿木が厭味ったらしくニヤニヤと笑いながら僕に言う。
「お前からねぎらいの言葉なんているものか。花咲はどこにいる」
「まあ、待ってくれ。……おい」
宿木が目配せをすると、檜原が近づいてきて僕の身体に手を伸ばした。
「な、何だ?」
「ボディチェックだ。物騒なものを持ちこまれちゃあ困るからな」
「……勝手にしろ」
どの道、僕一人で四人の男相手にまともに戦って勝てるとは思っていない。
檜原は僕の持っていたカバンやポケットの中などを一通り調べた後、携帯電話を取り上げた。
「何のつもりだ?」
「万が一にでも外の奴と連絡を取られちゃあ困るからな」
「……後で返してくれるんだろうな」
「そんなことより、例のデータはどうした?」
「ああ、量子通信グラスの設計図か」
「そうだ、持ってくることになっていたはずだがな」
「倉庫の近くに隠してある。渡すのは花咲の無事を確かめてからだ」
檜原は僕の言葉に「気に入らねえ」と言いたげに眉を吊り上げて見せた。
だが、そんな僕の言葉に宿木は「くっくっ」と含み笑いを漏らす。
「良いだろう。おい、榎田。……連れてきてやれ」
宿木が軽く顎でしゃくって指示をすると、榎田がいそいそと奥の部屋に消える。そして、十数秒ほどおいて、榎田は一人の少女を連れて戻ってきた。
ぼさぼさの髪に黒縁眼鏡。前髪の下からは黒目がちの瞳が僕を見つめていた。他でもない花咲美空だ。
「花咲!」
「やあ、草壁くん。元気そうで何よりだ」
「そりゃ、こっちのセリフだ。無事なのか?」
手の一つも上げて挨拶しそうな軽い雰囲気だ。
しかし僕は彼女の風体に気が付いて、思わず一瞬言葉を無くした。
彼女の白衣の下は肌もあらわな下着姿だったのだ。さらに彼女の手首は結束バンドで縛られている状態である。
時と状況が違ったなら好きな女子の肌が露出した姿を目にすれば胸の中にときめきの一つも芽生えただろうが、今僕の中にあったのは怒りだった。
心のどこかで危惧していたが、まさか既に彼女の心と体はこいつらに辱めを受けていたのではないか。
「宿木!」
「落ち着け。あくまでもその恰好は逃げられないようにするための処置だ。彼女に協力してほしいことがあったからね。そのためにも乱暴な真似はしちゃあいないさ」
気取った口調で宿木が話しかけてくる。
「何のために彼女をさらった? 量子コンピュータを盗まれたことをばらされるのが怖かったのか?」
「盗んだ? 価値のある技術を広めるために貢献した、と言ってほしいね」
「自分で開発したものでもないくせに」
「君は自分の立場を考えてものを言った方が良いね。僕らはなんなら量子通信グラスのユーザーを誘導して君をひき殺すことだってできたんだぜ」
宿木の発言はハッタリではないのだろう。僕の現在位置を把握したうえで信号機を狂わせてもいいし、見通しの悪い交差点を僕が通った時にドライバーを誘導することだってできるのだ。
僕が思わず黙り込むと精神的に優位に立ったと思ったのか、宿木は更に言葉を続ける。
「しかし君には感謝しておこう。おかげで彼女の隠れ場所が判ったんだからね」
「えっ?」
どういう事だ? 僕が彼女が潜伏していたビジネスホテルの場所を教えるようなこ
とをしていたとでもいうのか。
「おや? 想像もしていなかったという顔だね。軍事衛星にアクセスすれば特定の場所にいた個人がどこに行こうとしていたのか追跡することだって可能なのだよ。連続した航空写真を分析することでね。……特に君ときたら、海辺で檜原たちから逃げ出した後でバスと徒歩だけでホテルに向かっていったからね。屋内に入らなかったから実に追跡しやすかった。いや感謝するよ」
「軍事衛星!?」
そんなのありか? 花咲の量子コンピュータはそんなものにまでハッキング可能だったのか!
しかも、監視カメラに映らないようにとなるべく電車の駅や人通りの多い道路を避けた結果が裏目に出ていた。僕自身が彼女を窮地に追い込んでいたなんて。
落胆する僕を見て、宿木は満足そうに言葉を続ける。
「ああ。何で彼女を僕らが連れてきたか、だったねえ。最初は彼女の力なんて借りなくとも量子コンピュータさえ拝借してしまえば、どうにでもなると考えていたんだ。しかしちょっとした計算違いがあってね」
ここで宿木は若干、忌々しそうに眉をひそめる。
「彼女の開発した量子コンピュータなんだけどね。演算速度と分析は確かに大したものなんだが、こちらが望んだ結果を導き出すのにどうすればいいのか、というところになるとなかなか思うような答えを出してくれないんだ。つまり『顔認証で人を探す』とか既にわかっている答えを探すのには向いているんだが、『どういったものが大衆に売れるのか』といったことを分析したくても、なかなかいい答えが得られない」
それは恐らくデータの蓄積が足りていないのだろう。年齢層、職業、性別、地域によってほしい商品、好きな音楽、求めるものは違うのだ。ある程度の傾向分析ができなければ、量子通信グラスで品物を薦めても今のところテレビのコマーシャルと効果は大差あるまい。
少なくとも花咲が想定していた、使用者すべての生活を分析して幸福な人生というものを先読みしてデザインしていくような使い方が可能になるにはもう少し時間がかかるはずだ。
それにしても、やはり宿木は自分の義理の姉に相当屈折した感情を抱いているようだ。花咲の量子コンピュータを自分のものにしたいと思いながらも、彼女の力を最後まで借りることは気が進まなかったらしい。だから最初は量子コンピュータのみを盗んで、彼女を警察に追われる身に貶めるところまででとどめたのだろう。
「せっかくいただいた量子コンピュータで何も考えずに流される愚かな大衆どもから金を巻きあげたくとも、これじゃあ時間がかかる。……そこで美空ちゃんにもう少し改良してもらえないか、と思ったんだけれどなかなか首を縦に振ってもらえなくてねえ。榎田に作らせたフェロモン香水とやらを使っても、一度こちらに不信感を抱かれると効果が薄いようだった」
なるほど。電子情報関係が専門であるらしい宿木がどうやって製薬関係の話を持ち出して花咲に近づいたのかと思ったが、あの榎田という男が薬学の専門だったのか。おそらくフェロモン香水とやらも彼が作ったものだったのだ。
「それでこちらが対応を考えあぐねていた矢先にあんな動画を発表されたものだからね。いやあ驚いたよ。……だがこれはチャンスだと思い直したんだ」
「チャンス? 何のことだよ」
「つまり、こういう事さ」
宿木が言い終わるより先に、いつの間にか肉薄していた檜原の蹴りが僕のみぞおちに突き刺さった。
「海辺ではよくもやってくれたよなあ」とドスの聞いた声で檜原がすごむ。
一瞬呼吸が止まり、身動きができず僕は「がっ、あっ」と呻きながら床の上をのたうち回った。
続いて茨木が僕を無理やり左手で持ち上げると、そのままサンドバックよろしく右ストレートを僕の顔面に叩き込む。
なすすべもなく僕は倉庫の壁に叩きつけられた。
「おい。何のつもりだ。彼を痛めつけてなんになるっていうんだ」
拘束されたままの花咲が厳しい目で宿木を睨んだ。だが宿木の方はそんな彼女の眼差しを受けつつ余裕の笑みを浮かべる。
「彼を助けたいのかい? それなら、僕らに協力することだ」
つまり宿木は花咲を自分たちに協力させるための人質として僕を利用するつもりだったようだ。
「ふ、ふざけ、るな」と僕は痛みをこらえながら辛うじて声を出す。
「こんなことをしたら、取引する、設計図の、で、データは手に入らない、ぞ」
だがそんな僕の言葉を彼らはげらげらと嘲笑した。
茨木が僕の間近に立って見下ろしながら、皮肉気に口の端を持ち上げた。
「そんなものはもう必要ねえんだよ。……おい、見せてやれ」
「はいはい。それじゃあお披露目しますかね」
榎田が茨城の言葉に従って、部屋の奥にあった白い布のカバーで覆われた何かの機材を持ち出してきた。そして僕の目の前で白布をはがして見せる。
照明の下に晒された「それ」を見て僕は息をのんだ。
そう。それはここのあるはずのないもの。
あの量子通信グラスの設計図や基礎プログラムが保存されている量子通信コンピュータのプロトタイプだったのだ。
だが、都内のマンションに保管されていたはずのこれがなぜ彼らの手の中にある?
「そうそう。その顔が見たかったんだ」
驚愕する僕の表情を見て、宿木は強者が弱者をなぶるときに見せるような満面の笑みを浮かべた。
「ど、……どうして、ここにこれが?」
「君自身が配信した動画だよ。あの動画の端には窓が映っていただろう。そこから場所を特定して見つけ出した、ということさ」
僕は体中を襲う痛みをこらえながらも、思考を必死に巡らせる。
嘘だ、そんなことはあり得ない。
「……あの動画に入り込んでいた窓からは、何の特徴もない近くの民家しか見えなかったはずだ」
そうだ。あの動画には個人の家の表札はおろか、ランドマークになるような目立つ建物も公共施設も何も映りこんでいなかった。位置情報も削除してあると花咲も伝言メッセージの中で言っていた。
いかに量子コンピュータと言えども電子上のデータで照合できる手掛かりがなければ場所の特定なんてできるものか。
きっと動画を元にそっくりな偽物を作っただけのハッタリに違いない。
だが、次に宿木が発した言葉は僕の希望を打ち砕く。
「それができたんだなあ。君は窓から見える景色に気を取られていたようだが、反対側の窓の風景が反射してかすかに映っていたことに気づかなかったようだね」
「……反射? 反対側の風景が?」
「ああ。確かに肉眼ではわかりづらかった。しかし量子コンピュータなら映りこんでいるかすかな風景も彩度をあげて確認できるんだよ。そしてその結果『稲崎不動産』という市内の有限会社の看板が映りこんでいたことがわかった。後はその会社の看板の場所を調べて条件に合いそうな場所を探した。そして、動画が撮影された部屋の間取りと一致するマンションを調べて忍び込んだわけさ」
そんな馬鹿な。
僕は思いがけない落とし穴に全身から力が抜けていく思いだった。
……これで唯一の取引条件が無くなってしまった。
「いやいや好きな女の子を助けようとしたあげく、ここまで足を引っ張るとはねえ。君もつくづく滑稽な男だ」
その言葉に花咲が「何だって?」と小さく声を上げる。
ここに来て初めて驚いた表情を見せる彼女に宿木が「おや?」と嗜虐的に笑みを浮かべる。
「気づかなかったのかい? 彼は君に惚れている。そうでなければここまではしまいよ。傍から見ていれば誰にだってわかることだ」
「……そうなのか?」
目を見開いてこっちを見る彼女に僕は否定もできず、さりとて肯定もできずモゴモゴと言葉にならないうめき声を漏らすだけだった。
やはり彼女は僕のことをただの友達としか見てくれていないのだろう。
そんなことわかっていた。……だけど。
一度は彼女に気持ちを伝えようとして諦めたとはいえ、こんな無様な形で知られたくなんてなかった。
彼女は今僕をどんな目で見ているのだろう。こんな情けない男を。
僕は、僕はただ恋情を寄せる相手に、大切に思っている女の子にできるだけのことをしたかっただけなのだ。
助けになりたかっただけなのだ。
だが、その結果はどうだ。
僕が注意を払わなかったために、隠れ場所を探し当てられ彼女は拉致されてしまった。
僕が油断していたために、彼女が残していてくれた切り札をあっさりと奪われてしまった。
その上、密かに抱いていた恋心を晒し物にされ嘲笑されている。
どこまでみっともないのだろう。自分が情けなくて絶望感で発狂してしまいそうだ。
僕は彼女の顔を見るのが怖いと思う一方で、しかしそれでも彼女から目を反らすこともできなかった。
床にはいつくばりながらも彼女の方に視線を向ける。軽蔑しきった冷たい表情をしているのではないか。あるいは憐れむような悲しみに満ちた目を向けられるのではないか。そんな不安が僕をさいなんでいた。
しかし彼女が見せたのは意外な表情だった。
「……え?」
花咲は僕を見て静かに笑みを浮かべていたのだ。
もしも何も知らない第三者が見れば「彼女は僕の情けなさに呆れて笑うしかない状態なのだ」と思ったかもしれない。
だが、僕は知っている。彼女の今の笑顔をよく知っている。
今のあの笑顔は、彼女が発明したものを僕に紹介する時によく見せたあの笑顔と同じだ。「これから面白いものを見せるから楽しみにしてくれたまえ」とでもいうような得意満面の笑みだったのだ。
つまりは「この先がある」ということなのか?
まだ彼女は何か勝機があると見込んでいるということなのか?
敵に捕らわれ、切り札も奪われたこの状況で?
だが、何にせよ無力で平凡な僕に今できることがあるとすればそれは彼女を信じることに他ならない。
それならば、僕のするべきことは……。
「……なあ。宿木」
彼は意気消沈していた僕が急に話しかけたことに驚いたようで訝し気にこちらを見やる。
僕はその機を逃さず話のペースを掴もうと言葉を続ける。
「ちょっとした雑談に付き合ってくれないか?」
「雑談?」
「ああ。お前は『人生を変える一発』というものがあるとしたら何だと思う?」
「……何の話だ?」
宿木はますます訳が分からなくなったようで眉をしかめた。
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