第20話 一発屋、敵の手に落ちる
僕はホテルのロビーに飛び込んでエレベーターのボタンを押すが、上の方の階で待機していたようで直ぐには乗ることができない。その待っている時間でさえもどかしく感じるほどに僕は焦りを感じていた。
待ち時間は一分にすらなっていないはずだが、僕にはその数倍に感じられる。
やがてエレベーターの扉が開いた。僕は急いで飛び乗ると目的の階を早押しする。
そして上昇したエレベーターが目的の階で止まるや否や駆け出し、僕は花咲のいる部屋のドアを殴るような勢いでノックした。
「花咲! 花咲! 無事なのか?」
反応はない。これは手遅れだったということなのだろうか? いや、まだわからない。
僕は自分自身に「まだ悪い状況と決まってはいない」と言い聞かせながら、一度ロビーに戻ってフロントの従業員に話を聞くことにした。
「すみません」
「は。はい? いかがしました?」
「……号室に泊まっていたはずの僕の連れがどこに行ったのか知りませんか? 部屋にいないみたいで」
「えっ? まだチェックアウトはしておりませんし、鍵もお預かりしてはいないようですが」
僕は何度呼びかけても返事がない、何か異常があったのかもしれないからとにかく部屋の鍵を開けてくれと頼み込む。
従業員は最初僕の剣幕に戸惑っていたものの、部屋まで一緒に同行してくれることになった。
「お客様! ご気分はいかがでしょうか。お客様!」
部屋の前まで来た従業員はノックをして返事がないことを確認するとマスターキーを取り出して僕を見やる。
「それでは、開けますが」
「……はい。お願いします」
ドアが開けられたが、彼女の姿はどこにも見えない。念のためバスルームとトイレも確認するが彼女は居なかった。
「あの、今日何か変わったことはありませんでしたか? 誰か外部の人間が入ってくるような」
「え? そういえば急にこのフロアの電気配線の調子が悪くなって、急きょ修理をお願いしましたが」
「……そうですか」
多分それだろう。おそらくは何らかの手段で宿木たちは潜伏場所をこのホテルだと突き止めた。そしてホテルの電気系統に異常を起こすように仕組んで、修理業者のふりをして入り込み花咲の部屋に押し入ったのだ。
従業員が僕の顔を心配そうに見る。ホテル側としても宿泊客がトラブルを起こすのは望ましいことではないのだろう。
僕は従業員の男性に改めて向き直る。
「あの、お願いがあるんですが」
「はい?」
「廊下には監視カメラが設置されていましたよね? 何か映っていないか調べてもらえませんか? 昨日までは部屋にいたはずなんです」
客の同行者からの唐突な依頼だったはずだが、僕の真剣なまなざしに状況の深刻さを読み取ってくれたらしい。彼は小さくため息をついた。
「……わかりました。三十分ほどかかるかと思いますが、お待ちいただけますか」
僕が頷き返すと、従業員はホテルの管理室に向かうべく部屋を足早に出て行く。
後に残されたのは僕一人だ。
静寂だけが部屋の中を満たしている。
急に心細さが襲ってきて思わずぽつりと呟いた。
「何処に行っちゃったんだよ。花咲」
部屋を改めて観察するが、素人の僕の目には争った跡があるかどうかすらよく分からない。
何か手掛かりがないものかと探すものの、彼女の荷物や日用品すら持ち去られているのだ。
その時、僕はふと彼女と最後にかわした言葉を思い出した。
『ご褒美に今度何か君にやってもらう時には私のベッドで寝ていいからな』
今度何か、か。その「今度」がこのままでは来ないかもしれない。
「畜生。どうすればいい?」
僕は半ばやけになって、ベッドの上に大の字になる。
そしてそれは唐突に目に飛び込んできた。
「……え?」
天井に小さい白い何かがある。
「何だ?」
立ちあがってみると、それは一枚のメモ用紙だ。セロハンテープで天井に張り付けられていた。もしや、花咲が僕に残した「ベッドで寝てもいい」というあの言葉は何かのヒントだったのか?
藁にもすがる思いで僕はメモ用紙を手に取って広げた。そこにはこう書かれている。
『電気ポットの中を見ろ』
電気ポット?
そういえば、この手のビジネスホテルにはお湯を沸かすためのポットが大抵部屋に備え付けられている。僕はすぐさま室内の机の下の棚に置かれている電気ポットを調べた。
蓋を開けると細長いケースとメモリスティックが一個、入っている。僕はまず調べたのはケースだった。入っていたのは見覚えのある眼鏡だ。
「これは……花咲が作った量子通信グラスか? 囮に使ったものの他にもまだ一個持っていたのか」
僕は眼鏡をかけてスイッチを入れる。すると視界に重なるように「起動しました」というメッセージが表示される。そしてトップ画面に一つだけファイルが保存されていた。どうやら動画ファイルのようだ。僕は視界の隅に表示されたそれに指先で触れてみた。
すると「ザザッ」という微かなノイズとともに白衣を羽織った少女が僕の目の前に現れる。
「……花咲!」
『やあ。こんにちは、草壁くん。君がこの動画を見ているということは、私の居場所が宿木に知られて拉致されてしまった状況だと思う。ああ、立体的に見えるかもしれないが視点移動はできないからスカートの下は覗けないぞ。残念だったな』
「こんな時に冗談飛ばしている場合か」
いや、この動画を撮影している時はまだこんな危機的状況ではなかったんだろうけれど。
『君が今使っているのは量子通信グラスの試作品だ。といっても今は場所を探られないように量子コンピュータ本体との通信を切っているから、ただの携帯型データデバイス以上のものじゃあないけれどね』
動画の中の彼女はまるで僕と会話をしているかのように肩をすくめて見せる。
『私としては細心の注意を払ってここまで行動してきたつもりだが、宿木たちが量子コンピュータをフルに使いこなせば私たちの居場所を突き止めてしまうことは十分にありえる。だからその時のために対策を私なりに考えておいた。……といってもここ二日で練ってみた即席のものだ。上手くいくかどうかは君にかかっている』
「無茶言うなよ。……僕一人でどうすればいいんだ?」
ぼやいては見たものの、動画の中の彼女に聞こえるはずもない。花咲は僕の反応に構わず話を続ける。
『実は君に海辺で量子通信グラスを見張ってもらっていた間に、私も変装をしてちょっとした仕掛けをするために外出していたんだ。とりあえず君にやってほしいことは二つある』
僕は彼女の指示を聞き逃すまいと必死に内容を頭に叩き込んだ。
僕が花咲の残した動画を確認し終えたところで、従業員が僕の部屋に戻ってくる。
「お、お客様」
彼は困惑して顔をしかめながらも、口を開いた。
「そのう。非常に残念で、そして私どもとしても不可解なのですが。本日の監視カメラの映像が昼頃から途切れていたのです。……普通はある程度の期間は保存されるはずなのですが」
「なるほど」
宿木たちはホテルに入り込むために配電システムに異常を起こすこともできるくらいだ。監視カメラを前もって操作することも不可能ではないということだろう。
「わかりました。ありがとうございます」
「どうされますか? 警察に通報などは……」
この従業員はとても善良なのだろう。厄介ごとや騒ぎが起きてホテルの評判が落ちるのを避けることを考えても良さそうなものなのに、宿泊客が抱えているトラブルに親身になってくれている。……だが。
「いえ。荷物もありませんし、きっと一足先に目的地に向かったんだと思います。宿泊料は僕が立て替えますから」
「そ、そうですか」
花咲が指名手配犯として扱われている以上、警察も味方になってくれるとは限らないのだ。何より警察に通報したことが知れた場合、彼らは彼女にどんな報復をするかもわからない。
「本当にありがとうございました。……それでは僕はやることができたので」
そう、明日にでも彼女と量子コンピュータを取り戻すために動き出さなくてはならない。その為の準備をしなくては。
僕は胸の中で決意してホテルを後にした。
宿木たちは花咲をさらった今の状況では僕については捨ておいていいと考えたのだろうか。それから家に帰るまでは周囲の人間が不自然に近づいてくるようなあの現象は収まっていた。
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