第19話 少年、敵の計略にはまる

 教室に生徒たちの喧騒がかすかに響く。僕は自分の席で一人、座りながらぼんやりと本をめくるふりをしながら考え込んでいた。


 花咲と別れた翌日の昼休みである。


 僕は学校に登校したものの、花咲のことが心配でほとんど上の空であった。


 クラスメイトの連中はしばらくぶりに顔を出した僕に特に反応を示すでもなく、相変わらずの腫物扱いだった。だが、おかげで一人で思索にふけることができる。


 次は何とかして彼らが量子コンピュータを隠した倉庫に入り込む方法を考えなくてはならないだろう。鍵などは当然あるだろうし、そうでなくとも厳重な警備があるかもしれない。


 どうしたものだろう。


 彼らの関係者にでも成りすますことができればいいのだが。


 そうだ。僕はまだ彼らに顔が割れていないかもしれない。宿木とは一回会っただけだし、昨日も顔をはっきり見られてはいないはずだ。それならば、あいつらの会社に接触してバイトの採用でもなんでも申し込んで潜入するというのはどうか。


 量子コンピュータが相手にある以上、ハッキングなどは難しい。しかしそれならばアナログな手段だが直接忍び込んで証拠を掴んでしまえばいいではないか。


 少なくともすでに彼らは警察のデータにハッキングして花咲を指名手配犯にするという行為をしでかしている。だがコンピュータを解析してその痕跡をつかめれば業務妨害罪などで逮捕されるのは彼らになるはずだ。


 よし。この方向性でいけないか、花咲に提案してみよう。


 僕は放課後すぐにでも、花咲のいるホテルに向かおうと決心した。





 学校から家までは普段であれば、電車で一度乗り換えて最寄り駅から徒歩で数分という経路だが、今日は花咲のところに寄り道をするために都心から外れた方面で降りなくてはならない。


 僕はいつもとは逆の方向の電車に乗り込んだ。


 車内で吊革に手をかけて、何とはなしに窓ガラスの向こうの景色に目をやっていると、ふと奇妙な違和感を覚える。


 少し離れた窓際に女子大生らしいグループがいるのだが、彼女らが僕の方を凝視しているのだ。


 ……何なのだろう。僕が何かをしたとでもいうのだろうか? 


 特別に不審な行為をしていたつもりはないのだが。思わず自分の身なりを確認してしまう。


「ねえ。あの人じゃない?」

「うん。やっぱりそうだよ」


 そんな声が漏れ聞こえてくる。あの人? 何のことだ?


 ふと気が付くと電車は目的の駅に到着しようとしていた。僕は駅のホームに降りると出口の階段へ足を向ける。……が、その時。


「あのう、すみません」


 背後から女性の声がかけられた。振り向くと先ほどの女子大生たちだ。


 三人ほどで皆、髪を染めて薄く色の入ったサングラスやイヤリング、ミニスカートにショートパンツにといった華やかなファッションをしている。


「な、なんでしょうか」

「あのう。私たちと遊んでくれません?」

「一緒にカラオケでもどう?」

「え?」


 僕は思わず反応に困って固まる。


 これはまさか逆ナンパというものか? でもこういうのは普通かなりの美男子がされるもののはずだ。なぜ僕なんかがされるのだろう?


「……嫌かな?」

「い、嫌という訳ではないですが、ちょっと今日は用事が」

「そんな固いこと言わないでさあ」

「す、すみません。急いでいるので」

「あっ! 待ってよ!」


 僕は急ぎ足で階段を駆け下り、改札を出た。


 内心ちょっと勿体なかったかな、という気持ちが脳裏をかすめる。


 だが今はそれどころではないのだ。一刻も早く量子コンピュータを取り戻さなくてはならない。


 僕は駅を出て花咲の宿泊しているホテルの方へ足を向けようとする。……が、しかし。


「すみません。そこのキミ、写真を撮らせてもらっても良いですか」

「は、写真?」


 通りに出たところで、今度は眼鏡をかけた三十代かそこらの妙齢の女性が声をかけてくるではないか。無視しようかとも思ったが、シャッターボタンを押すくらいならそれほどの手間ではあるまいと思いなおす。


 しかし、この辺りに写真を撮りたくなるような景色などあっただろうか。


「えっと、何を背景に取ればいいんですか?」

「いえ。あなたと一緒に撮りたいんです」

「は?」


 芸能人か何かと間違えられているのかと思ったが、僕に似ている芸能人なんて思いつかない。


「……別に構いませんが」

「わあ! ありがとうございます」


 僕は見ず知らずの通りすがりの女性と写真を撮るという変な状況に困惑しながらも、とりあえず相手の希望通りに携帯電話の自撮りに一緒に映る形で写真を撮ることになった。


「はい。これで良いですか」

「わあ、ありがとうございます」

「あの、でも何で僕と写真なんて?」

「いえ、たった今見つけたんだけどネットサービスで『紺色のブレザーに赤いネクタイの男子高校生』と写真を撮ると、電子通貨のポイントが溜まるサービスがあるんですよ」


 彼女はそう言って自分の携帯電話の画像を僕に見せつける。


 それはとあるSNSのキャンペーン案内のようだ。


 それにしても紺色のブレザーに赤いネクタイ? 確かに僕の今着ている学校の制服は合致するデザインだが、こんな偶然もあるものだろうか。


「……そうだったんですか」

「面白いでしょ? でもまさかそんなピンポイントの特徴がある人と出会うなんてまずないと思っていたのにびっくりです」

「そうですね。……それじゃあ急いでいるのでこれで」


 変わったサービスもあるものだ。僕はもうそれ以上はその女性に構わずに今度こそ花咲のいるホテルに向かおうとする。が、その時。


「すみません、そこのお兄さん」


 しわがれた声が僕を呼び止めた。


「僕ですか?」

「あなた以外にいないでしょう? ちょっと道を教えてほしいのだけど」


 今度は荷物を抱えた小柄なおばあさんが僕に話しかけてくるではないか。道を教えてくれと言われても僕も地元の人間ではないのだが。


「えっと、交番なら駅前に……」

「行ったけれど誰もいなかったのよ」

「そ、そうですか」


 やむをえまい。僕は携帯電話の地図アプリを起動させる。


「どちらに行きたいんですか?」


 眼鏡をかけたおばあさんは僕の言葉にニンマリと笑う。


「都立の公園で今日フリーマーケットの催し物があるというので行きたかったんだけど、迷ってしまってねえ」

「はあ」


 ナビで調べて道順は解ったが、このおばあさんに口で説明してわかるものだろうか。


「わかりました。ここから歩いて五分ほどなので案内しますよ」


 僕が行こうとしているホテルとは反対方面になるが、すぐに引き返せばいいだろう。


「済まないねえ。親切なお兄さん」

「いえ、別に。大したことでは」


 僕はおばあさんの荷物を運びながら、横断歩道を渡り二ブロックほど歩いて公園まであと少しというところまでたどり着く。



 一方、おばあさんも僕の少し後ろを歩きながら「いや、最近の若者も捨てたものじゃないね。私の孫も中学生なんだけどね……」と世間話を振ってくる。


 僕は「そうですか」と適当に相槌を打っていたのだが、ふとおばあさんが時折話をしながら眼鏡をいじっているのに気が付いた。よく見ると眼鏡に小さなスイッチらしきものが付いているではないか。


「おばあさん。それは……」

「ああ。これかい。何でも量子通信グラスとかいうらしいね。孫が使ってみたらってプレゼントしてくれたんだよ」


 その言葉に僕はぎくりとする。テレビのニュースで出ていたものとデザインが違う。もしや何パターンかのタイプが存在したのか?


「あの、そう言えばそれってナビ機能も付いているんじゃないですか? 僕に道を聞かなくても道がわかるんじゃあ」


 もしかしてこのおばあさんは使い方を知らなかったのだろうか?


「いやね。音声でAIに案内を聞いてみたら、『駅前で道を教えてくれる親切な高校生が通りすがるはずだから、その人と話しながら行くと良いでしょう』なんて言ってねえ」

「……は?」

機械でわかるんだねえ。まあ無機質に機械に案内しててもらうより私もその方が嬉しいから、作った人がそう言う気持ちを汲んでくれたのかねえ」


 そんな機能があってたまるか!


「す、すみません。僕は用事があるのでこれで!」


 僕はおばあさんに荷物を押し付けると回れ右して駅まで走る。だが途中でもスーツ姿のサラリーマンや専業主婦らしいおばさんなど様々な人間が僕に声をかけてくる。


「あれ? そこの人?」

「ねえ。ちょっと話があるんだけど」

「そこの高校生くん?」

「おーい。君ってもしかしてさあ」


 その全てを黙殺して、花咲のいるホテルに向かって一心不乱に駆け続ける。僕は何が起きているのか、理解し始めていた。


 これは明らかに「時間稼ぎ」だ。


 思い返せば、最初に僕に声をかけてきた女子大生グループも。おそらく僕に当てはまる特徴の男性と話すと今日の運勢が良くなるとか、換金できるポイントが手に入るとか何かしらの思考誘導をされていたのだ。


 察するに、宿木が僕の行動範囲にいる量子通信グラスのユーザーに僕が花咲と合流するのを邪魔するように仕向けているのだろう。おそらく、僕自身の顔も昨日接触した時に割れてしまっていたのだ。あとは駅の顔認証か、携帯電話のGPSで位置情報を把握して僕の動きを止めようとしているのではないだろうか。


 厄介なのは彼ら一人一人には僕の邪魔をしている自覚がないということである。これが例えば『僕を拉致したら賞金が出る』というような露骨な犯罪行為を煽るような手口であれば、僕とて全力で抵抗するし警察にだって頼れたかもしれない。


 しかし、彼らのやっていること自体は僕に直接害を与える行為ではない。あくまでも婉曲的な妨害行為なのだ。


 それにしても、こうもあっさり量子通信グラスの指示に従ってしまうものなのか。いや、それくらいに使用者を依存させるほどに便利な機械なのだろう。「傘を持っていくべきか」「どの道で行くのが近道か」「好ましい人物と出会うきっかけはどこにあるのか」といった日常の些細な選択を全て考えるまでもなく使用者に教えてくれているのだ。


 量子通信グラスの指示に盲目的に従うだけで快適に生活ができるのである。その中に間接的に宿木一味にいいように利用されているたぐいの指示が紛れていたとしてどうして気づくことができようか。


 何にせよ僕がこうして目を付けられているということは、どういう手段によるものかはわからないけれど僕の存在はすでに彼らに知られていたということになる。


 それはつまり、花咲の居場所も知られていることに他ならないではないか。


 僕は焦燥感にかられながらも目的のホテルにたどり着いた。

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