第4話 一発屋、四面楚歌になる
「ね、ねえ。花咲さん。ちょっと話があるんだ」
ホームルームが終わった直後の教室。ざわつくクラスメイトたちの合間を縫うように花咲に近づいて声をかけた人物がいる。
あの金巻に苛められていた気弱な少年、鴨井だった。
彼はもう自分の目的を果たしたはずだが、どうしたというのだろう?
何とはなしに花咲と鴨井を観察していると、二人は人目を避けるように教室を出て行ってしまう。
僕は気になって彼らの後を追って廊下に出た。
「おやおや、これは皆さんお揃いで。いったい何の御用かな? 謝礼なら既に約束の分を払ってもらっているよ?」
校舎裏で白衣の少女を何人もの人間が取り囲んでいた。
彼らが花咲に向ける視線は一様に険しく、敵意がこもっている。
「何の用だって?」
「とぼけてんじゃないわよ!」
「お、お前のせいで……」
どうやら彼らは花咲に恨み言をぶつけるために集まっていたらしい。
最初に鴨井がどもりがちに、しかし怒気がこもった目つきで花咲を指さして非難の声を上げる。
「お、お前のせいで、退院した金巻の奴が、また僕のことを呼び出して殴ってきて。もう二度と刃向かうんじゃねえぞって。……ひ、酷い目に合ったんだ。もらった薬が残っていたから使ったのに、今度は全然効かなくて。一体どういう事なんだよ!」
どうやら金巻は退院した後、鴨井に仕返しにきたらしい。しかも花咲にもらった薬は効果がなくなっていたようだ。
だが彼女は「ああ。そういうことか」と肩をすくめる。
「言っただろう? あの薬と暗示は『副作用がないように調整してある。効果は一時的なものだ』と。つまり一度使ったら効き目が弱まるように調整してあるんだ。ずっと脳神経に効果を及ぼすような強力な暗示をかけようものなら、何かの拍子に暴力衝動に目覚めてもおかしくないし、体への負担も大きい。君だって廃人になりたくないだろう?」
その言葉に鴨井は涙目になりながらも黙り込む。
「じゃあ、俺の未来予測装置の場合はどうなんだよ」
そう言いながら不服そうに吐き捨てたのはやせぎすでつり目の少年。果部だった。
「株式の価格予想をして儲かったのは最初の一週間くらいだった。資産額が一千万を超えたところで、大勝負に出たら肝心のところで暴落して全部溶けちまった。苦労して貯めた最初の元金までだ。……ビックデータを解析して完璧な未来予想ができるんじゃなかったのかよ」
「……言い忘れたがね。君に説明したラプラスの悪魔という概念はすでに量子力学の分野で否定されているんだ。電子そのものが物質ではなく波のように変動し続けるものだとわかってから、原子の位置と運動量の両方を同時に知ることは不可能だと結論が出ている。『不確定性原理』といってね。観測する行為そのものが結果に影響を与えるために、正確な予測はできないというわけだよ」
「何のことだ!」
苛立って声を荒げる果部とは対照的に花咲はあくまでも落ち着きはらった様子だ。黒縁メガネを右手の中指で押し上げながら彼女は答える。
「つまりだね。君は自分が金を儲けるために、未来予測装置を使って株の動きを予想してどんどん金をつぎ込んでいっただろう。装置に送られるデータはあくまでも事前にわかっていたビックデータによるものだ。その動きに君は介入したんだよ。そのために未来予測にずれが生じたんだ」
「は?」
「未来予測装置に表示される結果に、その『予測を見てさらに行動する君』のことまでは計算に入っていない。最初のうちは儲かるだろうが、君が上がると予想して金をつぎ込んだ株が高騰するのを見て他の投資家の行動も変わってくる。その効果はドミノ倒しやバタフライ効果のように広がって、未来予測装置の予想が追い付かなくなったという訳だ」
果部は悔しそうに歯ぎしりをして毒づいてみせる。
「それなら、それを何で早く……」
なおも不満を漏らそうとする彼を遮るように、今度は派手な色に髪の毛を染めた女子が声をあげる。ミュージシャン志望の宇田である。
「じゃあ、あたしはどうなの?」
確か大手のレコード会社からスカウトを受けてデビューも間近という噂があった彼女だが、その後に進展があったという話は聞かない。
「あの脳波を読み取って良い曲を作ってくれるっていう作曲ソフトだけど、出来上がったのは最初の一曲目だけで後は何回作っても同じ曲しかできないんだけど。どうなっているの?」
「そりゃあ、君の感性の問題だねえ」
花咲は悪びれもせずにニヤニヤ笑いを浮かべながら彼女と対峙する。
「例えば『ある有名な漫画家が何作ものヒット作品を出した。しかし各作品のヒロインの美少女キャラクターがどれもほとんど同じ顔をしている』という話を聞いたことがあるかい? こういうのを『判子絵』なんて揶揄することもあるらしいけどね。つまり人間の感性はそれぞれ違うわけだが、その人間にとって『最高の美』とされるものを作ってしまうと、そこから外れることができなくなってしまうんだ」
「じゃあ、何? 『あたしにとっての最高の曲』を作った結果、もう違う曲を作ろうとしてもそれ以下にしかならないから作れない、ということなの?」
「そういうことだ。……実際プロのミュージシャンのアルバムだって、多少の違いはあっても傾向は似ている曲が二つ三つあるだろう?」
その言葉に宇田は意気消沈したように一瞬下を向き、それから憎々しげに花咲を睨んだ。
無理もない。彼女にしてみれば「お前の才能には限界があるのだ」と明言されたも同然である。
だが、そこで花咲に詰め寄っていた面々のさらに後方から一人の人物が言葉を投げかける。
「へえ。それじゃあ、俺の依頼はどうなんだよ」
河合美穂子を口説こうとしていた柳田だ。
「やっとの思いで、声をかけて二人きりになって迫ったってのによお」
「実際、効果はあっただろう?」
「ああ。……だけどな。次の日にもう一度と思って、部活の帰りに待ち伏せていたら他の男と抱き合っていやがった。いったいどうなってんだ!」
目を血走らせて怒声を浴びせる柳田に花咲は冷たい目を向ける。
「残念だがね。君が執心していた河合さん、美人だからねえ。……同じ依頼をしてきた人間はもう一人いたんだ」
「何……だと」
「まあ、私からすればみんな依頼人だからね。君と同じ対応をしたわけだ。多分抱き合っていたのはその別の客だろうね。……でもこれでわかっただろう? 薬に頼って女をものにしたところで、同じ薬を使われたら、たやすく他の男についていくだけだ。次からは他の要素で口説くように心がけることだね」
ここで彼女はその場にいた全員に向き直って、静かな瞳を向けながらこう言い放つ。
「みんな何を勘違いしているのか知らないが、私は人生に華を添える『一発』を売っているんだ。だからこそ、一発屋を名乗っている。二発屋でも三発屋でもない。現にみんな一度は本懐を遂げることができただろう? それにいただいた料金はほとんど必要経費だ。私の儲けなんてほとんどない。……用は済んだかな。それじゃあこれで失礼させてもらうよ」
「待てよ」と柳田が剣呑な表情で呼び止める。
「このまま帰れると思ってんのか?」
「人のことを言いようにもてあそんで、金をとりやがって」
「デビュー確実だって大見得切っちゃったのに、あんたのせいで恥かいたわ。同じように辱めなきゃ気が済まない」
彼らはどうやら花咲に何らかの暴行を加えて、うっぷんを晴らそうとしているようだった。
全員で彼女を逃がすまいと取り囲んで、今にも掴みかかろうとしている。
「おい。ちょっと待て!」
こんな面倒ごとに首を突っ込むなど普段の僕からすればあり得ないことだ。しかし、どういう訳かこの時は考えるより先に体が動いていた。
僕はとっさにクラスメイト達の前に飛び出して、気づいた時には彼女をかばうように立ちふさがっていたのである。
「あ? 何だよ。お前には関係ないだろ。すっこんでいろ」
「確かに直接の関係はない。……だけど、お前らは今の自分たちの行動が正しいと本気で思っているのか?」
僕は小柄で気弱な少年、鴨井に向かって呼びかける。
「鴨井。自分じゃ気づいていないんだろうけど。自分よりもでかい相手にいじめられて、それなのに立ち向かっていこうとするだけでお前はすごい奴だよ。きっと僕が同じ立場だったら何もできずにいいなりだったさ。……薬とか暗示の力を借りたにしろ、自分より強い相手と戦うために行動を起こすことができたんだろ? それだけの行動力があるなら他にできることがあるはずじゃないか」
続いて僕は他の面々にも反駁するように叫んでいた。
「果部だって、宇田だって、金儲けにしろ音楽にしろ自分の目標のために行動して、一度は成功したんだろ? 充分じゃないか! 夢や目標があることも、それを達成することも。世の中にはそのどちらも味わえないやつがごまんといるんだ」
最後に柳田に向き直って、その場にいた全員の心中に爪痕を残さんばかりの勢いで僕は訴えかけた。
「柳田だってそうだ。好きな女と一度だけでも関係を持てたんだろ? 気のある相手とそこまですらいけないどころか、口もきいてもらえない、デートもできない男がどれだけいると思っているんだ。 ……花咲の言ったとおり、彼女は二発屋でも三発屋でもない。あくまで一発屋なんだろ。一発屋って、一度成功しただけで後はパッとしないみたいに悪くとらえられることが多いけどさ。でもその一発さえ当てられない人間が世の中のほとんどなんだ。お前らは金を払ってその対価に見合ったものを充分手に入れているじゃないか」
普段目立たないクラスメイトであるところの僕が、唐突に横やりを入れてきて感情の赴くままに自分たちに吠えかかるという予想外にして意味不明な状況に、彼らはみな毒気を抜かれたようで戸惑った表情になる。
その場の空気は完全に静まり返り、誰もがどうすればいいのかわからず困惑したような雰囲気が漂っていた。
僕自身も思わず勢いで飛び出してきたようなものなので、特に落としどころやこの先のことを考えていたわけではない。しかしとりあえず険悪な雰囲気を壊すことだけには成功したようだ。
「……ほ、ほら行こう」
僕は無理やり花咲の腕を引っ張って、逃げるようにその場を離れた。
そのまま教室の前まで戻ってきたところで「それじゃ」と花咲に別れを告げると、僕は自分のカバンを持って急ぎ足で校門に向かって走る。
頭に血が上っていて自分でも何を言えばいいのかわからず、ただ一刻も早くその場を立ち去りたかったのだ。
去り際に振り返ると、取り残されて茫然とした様子の花咲が僕を見つめて立ちつくしているのが見えた。その表情は何かを言おうとしているかのようにも思えたが、何かの形になることはないようだった。
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