第3話 一発屋、繁盛する

 鴨井が金巻に復讐を果たしてから数日後。


 クラスにはある噂が流れ始めていた。


 それは「金巻を病院送りにしたのは日頃からいじめられていた鴨井で、その背景には『一発屋』こと花咲美空が一役買っていた」というものだ。


「あいつに頼めば人生を一発逆転させてくれるらしい」

「あの鴨井も一発やり返したくて花咲に頼んだんだってよ」


 何人かのクラスメイト達がそんな風に囁きあっていた。


 元々、一部でそういう話が出てはいたものの本気にするものは少なかった。だが今回の一件で急に真実味が出てきたようで、クラスメイトたちの何人かが人目に付くところ付かないところ関係なしに花咲に「一発」を売ってもらうようになったのだ。


 例えばクラスメイトの一人、果部かぶの場合はこうだ。


「なあ、花咲。俺、実は貯金貯めて株のトレードしているんだけど、なかなか儲けが出なくてさ。何とか一発当てたいんだけど、どうにかならないか」


 ある日の学校の昼休み。


 キツネを連想させるつり目を媚びるように細めて、後ろになでつけた髪を掻きながら彼は花咲に頼み込んでいた。


 彼の言葉に彼女は「いいとも。お安い御用だ」と二つ返事をして「これを使いたまえ」と何やら携帯端末のようなものを手渡した。


「なんなんだ。これ」

「言ってみれば、簡易的な未来予測装置だ。それで天気や気温、人口の推移といった調べたい項目を入力すれば今後の推移データを表示してくれるようになっている。もちろん君の知りたい株式の数値もだ」

「本当に? ……しかしどういう仕組みなんだ?」

「君は『ラプラスの悪魔』という言葉を知っているか?」

「いや? なんだそれ?」


 果部はきょとんとしたような顔で首をひねる。


「近代の物理学で提唱された概念だ。フランスの数学者ラプラスによると、世界に存在する全物質の位置と運動量を知ることができるような知性が存在すると仮定した時、その存在は、計算によりその先の世界がどのようになるかを完全に知ることができるという話さ。……要は『過去』と『未来』が対照的な概念であり、『過去』が確定している以上、これから『未来』に起きることも全て確定しているんだよ」

「よくわからないんだが」

「つまり、君がグラウンドでソフトボールを校舎に背を向けて投げたとする。どこに落ちると思う?」

「うーん。……だいたい投げた方向に二十メートルくらいかな?」

「おおまかな話ならそうだろう。しかし事前に君の投げるフォーム、天候、風の向きと強さ、体力的なコンディションといったすべての状況を全部計算に入れれば、どこに落ちるのか数ミリのずれもなく正確に予測することができる。いや既に投げる前から落ちる場所が決まっているというべきかな」

「じゃあ。まさか、これは」

「ああ。ここ数十年間の間の世界中の気象データはもちろん、人口の推移、農作物を含めた植物や動物の統計データ、政府や財閥の要人の人間関係と行動パターンも含めたビッグデータから計算した予測数値を表示できるようになっているんだ」

「……信じられないが。そんな計算が可能なのか?」

「私の家は元々研究所だからね。世界最速の計算速度を誇る量子コンピュータにアクセスできるんだ。そこで計算したデータをその端末で受信できるようにしてある」

「へえ! しかしよくそんなものを準備良く持ち歩いているな?」

「なに。君が今日頼みごとをしてくることもコンピュータで予測済みだった」

「すごすぎる!」

「代金は五万円だ。……払えるかい?」

「それくらい。これを使って得られる金を思えばどうってことないさ」


 僕はその会話の一部始終を教室の片隅で聞いて、果たして上手くいくのだろうかと内心興味深く思っていた。


 しかし、その数日後。


 果部が浮かれた様子でクラスの女子の何人かに「大金が入ったからアクセサリでもブランドのバックでも何だって買ってやるよ」と自慢げに声をかけている場面が目に入ってきた。


 どうやら彼も「一発」当てることができたようだ。







 あるいはミュージシャン志望の女子クラスメイト、宇田うだの場合はこうだ。


「ねえ。花咲さん。あたしさあ。自分で歌を作って動画サイトにアップしているんだけど。どうしても再生数が伸びなくて」


 とある日の放課後。


 髪の毛を派手に染めて付けまつげをした彼女は、白衣を着こんでスマートフォンをいじる花咲にそんな風に声をかけた。


 僕はまたか、と思いながら花咲の出方を窺ってみる。


「なるほど。そういうことなら、この作曲ソフトを使いたまえ。……このヘッドセットも一緒に」


 彼女はカバンから小さなメモリスティックとヘッドフォンに複雑な装置が付いたような機械を取り出す。


 準備が良すぎるが、例によって自分に誰がどんな依頼をしてくるのか予想していたらしい。


「なんなの? これ?」


 宇田は目を見開いてまじまじと手渡された機械を凝視する。


「人間にとって、心地いい感覚をあたえる旋律や曲調というものはある程度パターンが決まっている。実際、大ヒットした曲を数百ほど比較すると別の人間が作ったものでも、二十から三十の決まったパターンに区分できるし、たまたま似ているメロディーラインが二つ三つ出てくるんだ」

「それで?」

「このヘッドセットを君の頭に当てると脳波を読み取って、いくつかのパターンのメロディーを作曲ソフトが選択して流してくれる。さらにその中で君が聞いていて最も心地よいと感じるメロディーラインを自動的に選択し、曲を作り上げてくれるんだ」

「ええっ。じゃあこのヘッドセットをつけて、作曲ソフトを起動させるだけでいい曲が作れるってこと?」

「そういうわけだ。……代金は三万円になるが」

「貯金おろしてきたからそれくらいなら大丈夫だよ! いやっほう! ありがとう!」


 宇田が喜び勇んでヘッドセットとメモリスティックを受け取ると、満面の笑みで背を向けて教室を出て行った。


 そして、その数日後。


 宇田が作曲した歌は、動画サイトで一千万回以上の再生をされることになり、彼女は教室のクラスメイトに「あたし、大手レコード会社からスカウトされちゃった!」と自慢げに話しているのが耳に入ってきた。


 彼女もまた「一発」当てて見せたようだ。







 そして、また別の日。


 今度はなんと、あの僕の「友人」である柳田が花咲に声をかけているところにでくわした。


 僕が放課後の廊下を歩いていると、彼が白衣の少女を呼びとめているのが目に入ってきたのである。


 盗み聞きしようと思ったわけではないのだが何とはなしに二人の会話に耳を傾ける。


「花咲。頼みがあるんだ」

「ん? 何かな?」

「うちのクラスに河合美穂子かわいみほこっているだろ」

 花咲は一瞬考えてから「ああ」と口を開く。

「あのバレーボール部所属の彼女だね」


 河合美穂子は花咲の言うとおり、バレーボール部でレギュラーをしていて、クラスで一番の美少女として知られている。スタイルも抜群に良く、男子クラスメイトの憧れだ。


「俺、あの子と『一発』やりたいんだ。頼む。何とかできるか?」


 僕は聞いていてずっこけそうになった。


 そろそろそういう事を頼む奴も出てくるかとは思ったが、お前かよと内心で呆れる。


 男子として気持ちはわからないでもないが、いくら浮世離れした不思議系キャラとはいえ女の子にそういう事を普通頼むものだろうか?


 だが、花咲の口から出てきたのは僕の予想に反して「なるほど。構わないよ」と快諾する言葉だった。


「えっ。ほ、本当か?」

「ああ。これを使えばいい」


 そう言いながら彼女が取り出したのは、液体が入った小さなガラス瓶だ。


「これは? 惚れ薬みたいなものなのか?」

「まあ、そう考えて良いよ。生物はフェロモンという異性を惹きつける臭いを発生させることがあるのは知っているだろう」

「ああ。それくらいは聞いたことがある」

「人間にも勿論フェロモンがある。といっても理性が強いからなかなか影響されにくいがね。それに個人ごとの遺伝子で惹かれる臭いが異なることがある」

「それじゃあ、もしかして。その瓶に入っているのは」


 柳田は期待するような熱のこもった目で、花咲が手に持っている瓶を見つめる。


「ああ。河合さんの遺伝子に合わせて調整したフェロモンを配合した香水だ。二人きりの状況でこの香水をつけて強引に迫れば、まあ拒むことはできないよ」

「おお! 本当か?」

「代金は一万円だが……」

「それくらい、これであの河合と一発やれるなら安いものだぜ」

「そうかい。……毎度あり」


 僕は今回ばかりは胡散臭く思えたのだが、これについては当事者にその結果を聞くのもなかなかためらわれる。


 かといって現場を覗き見するのも趣味ではない。


 あえて何も聞かなかったことにして僕はその場を立ち去った。





 それからも花咲の所を訪れる人間は後を絶たなかった。


 最初は疑っていた人間も実際に成功を手にした者を見ると自分が乗り遅れている気分になるのだろうか。次第に先を争うように彼女に相談事を持ち込むようになる。


 そして一か月が経過したころ、その事件は起こった。

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