第2話 一発屋、クラスメイトの復讐を後押しする
「なるほどねえ。つまりアレかい? 君はあの
「……う、うん。情けないけどそうなんだ」
屋上へ続く階段の踊り場から二人の会話が響いてくる。
僕は柳田につられて二人の後を尾行した。その結果、校舎の端の階段の下で男二人で静かに佇むことになったという顛末である。
鴨井は声をつっかえつっかえ、どもりながらも彼の抱える苦しみを訴えている。
会話に出てきた「金巻」というクラスメイトは太い眉と刈り込んだ髪が特徴で、空手をやっていたとかで何となく粗暴な雰囲気のある男子生徒だ。
入学して間もないころ心細かった鴨井はたまたま席が近かった彼に話しかけた。だがそれが彼の失敗だったのだ。友達が欲しくて声をかけた鴨井だったが、金巻の方は気弱そうな鴨井をいいカモだと思ったらしく、「友達になってやるから」と言いながら良いようにパシリとして使うようになった。
だが気が弱い鴨井はどうしても金巻に逆らうことができず、また学校で他に味方になるような人間もいないため一方的に寄生されるような状態が続いていた。ついには金を貸すように頼まれて十万円以上もの金を巻き上げられているという。
当然、貸した金は一銭たりとも帰ってきていないという訳だ。
僕自身何度か、鴨井が金巻に小突かれながら教室の外に一緒に出ていく場面を目にしていたが、そんなひどい目にあわされていたとは知らなかった。
「このままじゃあ、駄目だと思って。でも、でも僕にはやり返す力もない」
「それで?」
「だ、だから一発でもいい。あ、あいつにやり返したいんだ。やられっぱなしの自分じゃあないって思い知らせたいんだ」
「良いだろう。君にその『一発』を売ってあげよう」
花咲は当然のように頷いてみせる。
「ほ、本当に? でもどうやって?」
「ベトナム戦争時の米軍の逸話だが、訓練された兵士でも実際に生きた相手に銃を向けて引き金を引くとなると、命中率が下がる。あるいは撃つことすらできないなんてケースがある。まあ、人を撃つのは恐ろしいし、相手に殺されるという戦場の恐怖もあるからね。そこで、そういった人間を躊躇なく相手を攻撃できる殺人兵器にしてしまうために兵士の恐怖心や罪悪感をマヒさせる薬が使われたそうだ」
そう言って花咲は白衣のポケットから何やら錠剤が入った瓶を取り出した。
「要は君に必要なのは『身を守るためなら何を犠牲にしても構わない。危害を加えてくるなら絶対にぶっ殺してやる』という気迫だ。全力で抵抗すればたとえ勝てずとも相手は君をイジメの標的にはしなくなる。……これを使いたまえ」
「ま、まさか、これがその話に出ていた米軍で使われていた薬?」
鴨井は息をのんで花咲の手の中の瓶を凝視した。しかし彼女は笑いながらその言葉に首を振る。
「いやいや、これはただのサプリメント錠剤だ。成分はカフェインやタウリンなどで市販の栄養剤と大差ない」
「えっ?」
「しかしこれと併用すれば話は別だ」
続いて彼女が取り出したのは何かのデータが入っているらしいメモリスティックである。
「この中には、人間の深層意識に作用するトランス系の音楽が入っている。そして聞いたものには暗示がかかるようにプログラムしてあるんだ。『この錠剤を飲めば自分は勇猛な戦士になる。どんな相手でも目ではない。痛みも恐怖も感じはしない』という内容のね」
彼女は小瓶とメモリスティックを見せつけるようにつまみあげて、目の高さで軽く振って見せる。
「これを使う前の就寝のときに聞いておけばいい」
「だ、大丈夫? それって副作用は?」
「安心したまえ。私が調整してある。効果は一時的なものだ」
「そ、そうなんだ。……す、すごいな。何でこんなもの、持っているの?」
花咲はハンと鼻を鳴らして肩をすくめた。
「うちの父は元々脳神経関係の研究をする機関で働いていたからね。だからこの手の研究データを譲ってもらったんだ」
「で、でもお高いんでしょう?」
「ああ。一万円だ。だが、人生を変える一発だと思えば安いものだろう?」
鴨井は彼女の言葉を聞いて一瞬逡巡するように黙りこんだ。だが、数秒後には迷いを断ち切るかのように彼女に向き直る。
「わかった。買うよ! いや、売ってください!」
「はい、毎度あり。……それと、この取引は誰にも言ってはいけない。秘密厳守で頼むよ?」
そういって彼女は薄い笑みを浮かべて薬を鴨井に手渡した。
会話が終わるのを察した僕と柳田はその場を急ぎ足で立ち去った。
「な? 俺が言ったとおりだっただろ?」
校舎の廊下を歩きながら柳田は口の端を上げつつ僕を見やる。
「いや、しかし。まだ本当に人生を変える一発を売っているのかはまだ判らないじゃないか」
ひょっとしたらインチキなんじゃあないか。
自分の人生を一発逆転する何かを売る?
まるで週刊誌の裏表紙に載っている胡散臭い通販の広告みたいな話だ。
あの花咲という少女はそれっぽいものを売りつける詐欺師なのではないか。
そう考える僕の心を読み取ったのか、柳田は小さくため息をついてから笑った。
「まあ、お前の気持ちもわかるぜ? 実は俺もそれまでサッカー部でシュートがへたくそだった奴が試合でゴールを決めた、とか成績の悪いやつがテストで高得点を出したなんて噂を耳にしただけで実際にあいつから『一発』を買うやつを目にしたのは初めてだったんだ」
「そうだったのか?」
てっきり、何度も実例を目にしているのかと思ったが。
「あいつに話しかけた人間がその後で色々成功しているのは目にしたが、本人に直接尋ねても何も答えてくれなかった。……なるほどなあ。あいつの家がどんな研究をしていたのか知らないが、あの手の薬を売っているとなれば法律的にもグレーなんじゃないかって気がするしな。依頼人に口止めしていたわけか」
「……」
「何にせよ、明日か明後日あたりに何か起きるかもしれないな」
そう呟いて彼は何かを期待するように熱を帯びた瞳で宙を見ていた。
翌日の昼休み。
窓の向こうには新緑が息づいて、初夏の香りが漂い始めていた。さわやかな陽光が教室の中を照らし、何も知らない人間からすれば穏やかな昼下がりでしかなかっただろう。
だが、全ての人間がそう感じているわけではない。少なくとも僕は昨日の一件が気にかかって一波乱起きることを予感していた。
僕は本を読みふけるふりをしつつ、何とはなしに鴨井を観察する。すると髪の毛を短く刈り込んだ粗暴な雰囲気の男子クラスメイトが彼の席に近づいてくる。
金巻だ。
彼は鴨井になにやら話しかけて、鴨井もそれに何か答えた。
その返答に金巻は一瞬ポカンとしたような驚いた顔になる。
おそらくは「金が足りなくなったから貸せ」とか「購買に行って自分の分のパンを買ってこい」とかいう類の高圧的な言葉を投げかけたが、いつもなら彼に従うはずの「忠実な子分」が意に沿わない言葉を返したのだろう。
だが、金巻はすぐに「やれやれ。奴隷を調教しなおしてやるか」とでも言いたげな嗜虐的な笑みを浮かべて鴨井を無理やり廊下へ引きずっていった。
僕はどうなるものかと気にかかり席を立った。ふと見ると柳田も同じように廊下へ出ていくのが目に入った。
僕が廊下に出ると二人の姿を求めて周囲を見回した。すると、柳田が昇降口を出た曲がり角からそっと校舎裏の辺りを窺っているのが見える。
どうやらあの辺りにいるらしい。僕も近づいて隣に佇む。
「……何だ、お前も来たのか」と柳田が小声でつぶやく。
「この間の話の真偽が気になって、ね。……二人は?」
「あそこだ」
僕は壁の角から顔をそっと出して校舎裏を覗き込む。
「おらあっ」
金巻が鴨井に回し蹴りをたたきこんでいた。小柄な彼の身体はあえなく校舎の壁にたたきつけられる。
「手間かけさせんなよなあ。何が『もうお前のいう事には従わない』だあ? 生意気こいてんじゃねえよ。カモのくせによお」
金巻はニタニタ笑いながら鴨井を見下ろしていた。
体格が一回り大きい人間にみぞおち辺りを狙って腰の入った蹴りをぶつけられたのだ。痛みが走り、戦意を喪失して立ち上がることもできないだろう。
普通ならば。
異変が起きたのはまさにこの瞬間だった。
いつもおどおどしていた鴨井の目つきがギラリとした獣のようなそれに様変わりする。
「あ? 何だ、てめえ。まだやるってんなら」
金巻はその言葉を最後まで言えなかった。
「うああああ!」
鴨井が絶叫しながら金巻に飛びかかり、殴りかかったのだ。
「何しやがる?」
だが、如何せん体格の差は覆すことはできない。顔に一発いれることはできたものの、そのまま腕を掴まれて引き倒される。
「ふざけやがって」
金巻は苛立たし気に声を漏らすと足で踏みつける。そのままゲシゲシと何度も鴨井の身体にスタンピングストームを食らわせた。
もうこれでおしまいか、と思われたその時。かすかに「ガツッ」と何か音がした。
「あ? ……いてええ!」
声を上げてのたうち回ったのは金巻の方だった。
対照的に凄絶な笑みを浮かべて立ちあがったのは鴨井だ。手には木材に穴を開けるのに使う
「てめえ、何を。ひいいっ!」
鴨井は再び飛びかかり金巻の顔面に錐を突き立てようとした。
「いてえ! やめろ! 馬鹿!」
鴨井が狙ったのは右目の眼球だった。結果的にはそこには刺さらなかったがすぐ横のこめかみ近くに深く刺さったようで金巻の右頬は既に赤く染まっていた。
「やめろと言って、今までお前は殴るのを止めたか? ああ?」
鴨井の顔つきはもはや別人だった。花咲の薬と脳に作用する暗示が痛みを感じなくさせるというのは本当なのだろう。鴨井はあれだけ蹴られていながら何の痛痒も感じていない様子だ。
金巻は流石に何かしらの恐怖を感じたらしい。
「つ、付き合ってられるか!」と吐き捨てて、ほうほうの体でその場から離れようとする。
しかし復讐に身をたぎらせた鴨井はそこで今までの行いを帳消しにしようとは思わなかったようだ。
「逃がすか!」
近くに転がっていた鉄パイプを拾うと、金巻に襲いかかるではないか。
それも重さをまるで感じさせない物腰で振り回して見せる。
「マジかよ」と僕の隣で柳田が呟いた。
火事場の馬鹿力という言葉はあるが、アドレナリンが分泌してある程度の重さも感じないほどに興奮しているのだろうか。
「うわっ! 馬鹿、やめろ。あっ」
逃げ回っていた金巻は校舎裏からグランドの方に続く石段の上で足を滑らせる。
同時にバタンゴトンと重いものが落ちていく音が響いた。
どうやら、全身を打って気絶したらしい。
「やった。一発やってやったぞ! あはははっ!」
復讐を遂げた鴨井は嬉しそうに声をあげた。
その光景を少し離れていたところで見ていた僕と柳田は無言で教室に戻るべく踵を返した。
何も言うまい。僕は鴨井がいじめを通り越して犯罪同然の被害に苦しんでいたことを知らなかったし、知っていたところで助ける力もなかったのだ。
この結果が正しいのかどうかはわからないが、少なくとも傍観者でしかない僕が何か言う資格があるとも思えない。
だが隣を歩く柳田は別の感慨を抱いたようで、感心したようにこう呟いた。
「やっぱり本物みたいだな。あの一発屋は」
僕らが校舎裏を離れた直後、金巻は倒れているところを通りすがりの女生徒に発見され、救急車で病院に搬送された。
放課後のホームルームの時に担任の教師は「何かの拍子に階段から落ちて、打撲傷を負っていたようだ。命に別状はないもののしばらく入院することになった」と僕らに説明したのだった。
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