クラスのあの娘は一発屋
雪世 明楽
第1話 少年、一発屋と出会う
僕は時おり、自分が透明な瓶の中に閉じ込められているように感じることがある。
教室で楽しそうに歓談にふけるクラスメイト。
街で幸せそうに手をつなぐ恋人たち。
そんな光景を目にすると同じ世界に生きているのに、自分はどうしてもあんな風になれないという劣等感と隔絶感にさいなまれるのだ。
学習性無力感という言葉を知っているだろうか。
あるサーカスに象が飼われている。彼は小さなころから杭に鎖で縛りつけられ、何度も自由になろうと鎖を引っ張り続けてきたが、何度挑戦しても杭を抜くことはできないので諦めてしまう。
やがて彼は成長し今や何メートルもの大きさになり、杭を抜こうと思えば力ずくで引き抜けるだけの力を手に入れる。しかし自由になれるだけの力を持っても、子供時代から「どう頑張っても自由になれない」と思い知らされている彼はもう鎖を引っ張ろうとすらしなくなる。
つまり失敗を積み上げた結果、努力をする意思までもなくしてしまう心理的な状況のことだ。
だが、それは悪いことなのだろうか。
サーカスの象の例えならば、実は自由を獲得するための力を持っているが、現実には自分が苦悩から逃れ幸福を手に入れられるかどうかが判らないのである。
そして人は見た目や才能、生まれつきの環境で手に入るものは決まっている。憧れたものや幸福がどうあがいても手に入らないのだとしたら、それを望むなんて苦しみでしかないではないか。
僕はずっとそう考え続けてきた。
子供のころから何をやっても得意分野が見つからず、自分に回ってくる役は常に他人の引き立て役だ。
世間の多くの大人はこういうのだろう。人生に目標を持て、努力をしろ、と。
だが努力をし続けてもそれが徒労に終わったとしたら。
自分をさげすんだ人間たちが幸せをつかみ、自分には何も幸せが手に入らない現実にぶち当たった時、誰が責任を取ってくれるというのか。
だからいつしか僕は透明な瓶の中でさえ動かず、何もしない生き方を選んでいた。
しかしそんな僕の小さな世界を壊し、引っ掻き回して広い世界へ無理やり引きずり出す一人の少女が現れたのである。
そう。これから僕が語るのはそんな彼女の話だ。
彼女の最初の印象は、少し目立つクラスメイトの一人といったところだった。
何が目立つのかといえば彼女のまとう雰囲気だろうか。
髪の毛はボサボサで顔の上半分を隠しそうな勢いで、黒縁メガネをかけて制服の上に実験用の白衣を羽織って、時おり一人で薄ら笑いを浮かべている。
それでいて授業態度そのものは普通で、成績は実は学園上位に入るらしい。
ステレオタイプにキャラクター付けするならば、「不思議ちゃん」と「ガリ勉」を足して二で割ったような感じだろうか。
こういった人間は普通、周りから腫れもの扱いされそうなものだと思う。しかし、意外なことに彼女には時おりクラスメイトが話しかけてくることがある。それも色々なタイプの人間だ。
体育会系のスポーツマンに、勉強よりもお洒落に興味がありそうな派手なギャル系の女子。そうかと思えばクラスでは大人しいが絵を描くのがうまいと噂の文化系少年に軽音楽部に所属しているミュージシャン志望の女の子までさまざまだ。
高校に入学して同じクラスになった当初は僕と同じ人付き合いが苦手で特に取り柄もない外れ者なのかと思っていたのだが、実は違うらしい。
一体どういう人間なのだろう。
他人への興味が薄い僕でさえ、少し気になっていた。
ある日、僕は数少ない友人の
友人といえば聞こえはいいが、小学校が同じだったという縁でこの高校で再会した時に連絡先を交換した程度である。そしてお調子者でムードメーカーという風情のある彼には僕以外にもたくさん友達がいるが、僕の方には彼くらいしか話しかけられる相手がいない。そういうニュアンスでの「友人」である。
「あの、さ。柳田。ちょっと聞きたいんだけど」
「おう、えーっと」
彼はとっさに僕の名前が出なかったらしい。僕にとってはよくあることだ。
「
「あー、そうだった。どしたんだ?」
「あの、ほら。いつも白衣着ている花咲っているだろ? あの子ってどういう奴なんだ? いや悪い人間じゃないのかもしれないけど、いろいろな人間に話しかけられているから、どんな立場なんだろうと思って」
「ああ。それか。……あいつ、実は『一発屋』らしいんだ」
一発屋?
その言葉に僕は首をかしげてから重ねて質問する。
「ということは、アレなのか? 今はああだけど昔は天才子役でテレビに出ていたとか?」
「いや、違う」
「え? それじゃあ、音楽か何かやっていたけれど一枚CDを発売しただけでそれ以降全く売れなかったとか」
「いいや。別にそういうのでもないが」
僕は訳がわからず思わず眉をひそめた。
いわゆる「一発屋」といえば、何かの分野で一度は大成功を収めたもののその後は鳴かず飛ばずでパッとしない芸能人などを指す俗語ではなかっただろうか。
「それじゃあ、一体どういう意味なんだ?」
「うーん。何か行き違いがあるな」
そう言いながら悩まし気に柳田はポリポリと頭を掻いた。
「つまりさ。パン屋には何が売っている?」
「それは……パンだろ」
「うん。時計屋には何が売っている?」
「そりゃ時計だ。……何だ、からかっているのか?」
「そうじゃない。つまりだ。それを踏まえて説明するが、俺はあいつを『一発屋』だといっただろう?」
「ああ。言ったな」
え? つまり?
「うん。あいつは『一発』を売るんだ。相手に人生を変えるような『一発』を売っているんだ」
僕はほんの数秒間、思考停止して何も言えなくなる。
やはりからかわれているのだろうか、という疑念が頭をよぎった。
「……馬鹿を言うなよ。じゃあ、なにか? さみしがり屋さんの家には『孤独感』とか『寂寥感』に値札が付いて売られているのか? 恥ずかしがり屋さんの店先には『羞恥心』が並んでいるっていうのか?」
呆れて問いただす僕に柳田は憮然とした顔で舌打ちをする。
「信じないなら、それでもいいさ。でもほら、見てみろよ」
そう言って彼は教室の片隅に佇む花咲を指さした。僕も目線を向けるとそこに一人の気弱そうな少年が近づいていくのが目に入った。
「あれは……」
確か、
小柄で大人しくて運動も苦手らしく、体育でバスケットボールなどの球技をするときにはコートの隅っこで棒立ちしているところを見かける、そんな少年だ。その彼が花咲の席のところで何やら話しかけていた。
話しかけられた花咲は相も変わらすニヤニヤ笑いを浮かべながら「判った。場所を変えよう」と立ちあがり廊下に出て行った。
「今のは……」
「あいつもおそらく花咲の客の一人なんだろうな」
そんな馬鹿なと一笑に付して否定したかったが、柳田の目は本気だった。
「よし、ついて行ってみるか?」
そういうと柳田は立ち上がり、僕を誘うように振り返り見る。
僕も釈然としないままに席を立った。
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