第3話 れんあいミッション

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 初めは空耳かと思った。だが、その不思議な声が続けて私に話しかけてきた。

「どうしちゃったのさ、そんな濡れネズミになって」

 声色から小さな女の子の姿を思い浮かべる。

 一瞬、お化けが出たのかと思ったが違和感に首を傾げた。聞こえてきたその声に恨めしい感じは無い。いや、むしろ弾むような抑揚があり口調も軽妙である。

 これはどういうことだろう。もしも本当に小さな女の子であるならば、それはこのような時間、このような場所と状況には相応しくない。しかしお化けにしても、想像するおどろおどろしいものとは違って声色が陽気すぎる。

 私は一度強く息を吐き、ギュッと瞼を閉じて首を振った。

 気を取り直して周囲を見回す。

 声の主は見つからない。

「うん、当たりだ! 君にはあたしの声が届いたんだね」

「――誰?」

 虚空に向けて尋ねた。これはやはり幽霊かと思った。

「誰が幽霊だ! 失礼しちゃうなもう。でもまぁ仕方ないか、そう易々とあたし達に出会えるものではないからね。それより上を向いてごらんよ」

 言われるままに上を向くと、そこに暖色系の丸い光が見えた。

 どうやら声はその丸い光の中から発せられているようだ。

 手でひさしを作り目を細める。光の中を目を凝らして見た。

 ――驚いた!!

 翅を生やした小さな何かが、わりふわりと揺れながら宙に浮かんでいる。

「なんだこれ?」

 目の前にいる不思議なモノを二度見して確認する。

 頭はそれを理解しなかった。心はぼんやりとしてしまって、まるで夢の中を漂うようであった。

 二度三度と首を振った。正気を取り戻そうとして辺りに現実的なものがないかを探した。と、そこで更に虚構に陥る。大粒の雨も、人も車も、何もかもが動きを止めていた。

 嘘だ! こんなことって! ……ヤバいなこれは、とうとう私、頭がおかしくなっちゃったのかな?

「大丈夫だよ、君の頭も心も体もみんな正常さ」

 小さな生き物に思考が読み取られていた。

「そうだよ、言葉を音で出すのも、心の声も同じように全部聞き取れるのだよ。もちろん、君が本心を隠したってお見通しさ」

「なに? どや顔? 虫のくせに?」

「ブーン、ブーンって誰が虫だ!」

「おお、ノリツッコミとかやるんだ」

「……」

「それで、虫さん、なにか私にご用ですか?」

「虫じゃない! あたしは妖精!」

「よ・う・せ・い?」

「まったくもう。あたし達に出会えるってことはとってもラッキーなことなんだよ、特に君の様に失恋を引きずっている後ろ向きな人間があたし達に出会うことなんて本当に稀なことなのよ」

「……」

「――んんん。それがどうしたって思ったな今。もう、これだから近ごろの人間は……。いいかい、よく聞きなよ。あたし達と出会えたなら特典として一つだけご褒美が与えられるんだ。すごくない? これってすごくない?」

「……」

「おいこら! 要らないとか考えるな! それじゃ、あたしが出てきた意味がなくなるだろ!」

「――あの……それで? 何を頂けるのかしら。急に出て来て、特殊詐欺まがいに特典ですとかご褒美ですとかっていわれても……」

「と、特殊詐欺って!」

「違うんですか?」

「違うわ! まったく、神の使いに対してなんてことを……」

 妖精は「心外だ」といって頬を膨らませた後、なにやらブツブツと独り言を始めた。


「あ、あの……すみません。話が先に進まないので……」

「あ、ああ、失礼」

「それで、私は何を頂けるのでしょうか? 急に欲しいものを考えろと言われても思いつかないのですが」

「あ、そのことなら大丈夫。これは当人には選べないものだから」

「はあ……」

「これは神様の力なの。神の使いたるあたしが、あたしに出会えたご褒美に君が今一番欲しいと心から望んでいるものを与えるのさ。そして、その与えられるギフトというのは、君が今は意識していることではないかもしれないけど、ちゃんと心の底で願っているものだから心配することもない」

「すみません、必要ありません」

「そ、即答かよ! お、おい、マジか! これは神のギフトなんだよ、断るなんて勿体ない。まったくもう」

「押し売りなんて結構です。それに、このような場合、そのような甘言には、迂闊に乗っかってはいけない。これは社会人としてはもはや常識です。私、これでも一応、以前は取締役なるものをしておりましたので、そのようなことに関する分別はわきまえているつもりです。なのでお断りいたします」

「なぬ……」

 妖精さんは少し考え込むようにして困り顔を見せたが、すぐに気を取り直したように表情を明るくして笑顔を作った。

 小さな彼女が小さな胸を反らして私に告げる。

「あたしは決めた! もうこの際だから決めてしまう。いいかい、これは神様から与えられたチャンスなんだ。あたしとの出会いは、君に取っては幸運との出会いに等しいんだよ。そして、神の使いとして出てきたあたしにもプライドがある。君にこの神のギフトをプレゼントすることにしたよ!」

「また虫さんがどや顔」

「ブーン、ブー」

「あ、それ、要らないです」

「……」

 妖精さんは動きを止める。

 空中でオブジェのように固まっている姿は、まるで某電気屋街で売っているフィギュアのようでもあった。

 見ようによっては愛らしいと言えるかもしれない。

 しかし、その不思議な生き物がこうして私に向かって会話をしている状況は怪しげだ。それはとても現実感に乏しい光景であった。

「何度も言うけど、これは現実なのよ。それをちゃんと受け止めてよね。それにあたしは可愛いの! 絶対的に愛らしいの! そんなこと決まってるじゃない!」

「……すみません」

「はぁ、まったくもう君って変わってるよね……。でも仕方ない。ともかく本題に入ろう。いいかい、よくお聞き。人はね、後ろ向きでは絶対に幸せになれないんだよ。そして自分の力だけが自身を幸せにするんだ。重ねて言うけど、これは君にとってはチャンスなんだ」

 妖精が諭すように話してくる。

 どこか夢見心地の私は、その声をどこか遠くの方に聞いていた。

「おい、ちゃんと聞いてるのかい?」

 注意を受けてハッとする。

 慌てて言われたことを頭の中で繰り返す。その意味の理解に努める。

「――でも、あなたの力は神様の力なんでしょ? だったら神様に祈ればどうにかしてくれるんじゃないの?」

「神様は全部の人を救えない。神様はその立場を利用して特定の個を救済してはいけないんだ。利益相反りえきそうはんって言葉を知っているかい?」

「驚いた。えらく現代的な企業用語を知っているんですね」

「オッホン!」

「ドヤ顔、来た! 。あ! でももうボケは要りませんから!」

「……」

 自分から振っておきながら言うのも何だが、妖精のノリが少し煩わしかったので先回りして注意をした。

「それはまぁ、ともかく」

 咳払いの後、妖精が仕切り直す。

「ともかく?」

「正確な企業用語はこの際置いておいて――」

「置いておくんだ」

「神様は全ての人の利益に肩入れできないし、利益が相反する介入はしないんだ。それでも神様は人々の幸福を願っている。しかしながら、この世には事象として誰かの利益が別の誰かの不利益になることがある。だから神様は全ての人に等しく幸福になる為の機会を与えているんだ。機会の平等、とどのつまり、今のその人の幸不幸は己が自ら選択してそうなっているだけのことになるのさ」

「でも、私は何も悪いことなんて……」

「自らを幸福に導くのも自分だけど、自分が被る不利益は他者の利益のせいでもあるのさ。つまり人生は他者からも影響を受けるんだ。でもね、実はそれは何も心配いらないことなんだよ。人は目の前の不幸にばかり囚われてしまうけど、神様は選択肢の向こう側にいつも幸福の機会を用意して下さっているのだから」

「――なんとなくシステムは理解しました」

「シ、システム……。ま、いいか。気を取り直そう。ともかくご褒美だ。じゃあいくよ! 君が今一番欲しているのはこれだ! だからあたしはこれを、この神のギフトを君に与えることにする!」

 言って妖精は自慢げに一枚の紙を出してきた。

「どこから出してきたんだ、そんな大きなフリップ」

 嬉しそうに紙を掲げる妖精と、どこか他所事のように見ている自分。

 これは一体なんなのだ。夢の中に迷い込んでしまったようなその感覚は、とても現実とは思えない。

 しかし確かにそれは今、私の目の前に浮かんでいる。早く読めと催促するような眼差しを向けてきている。だから私は仕方なくその四角い紙に目を通した。すると、そこにはこう書かれていた。

『最高のCOI』

「――最高のコ、イ? 恋? これ、全部漢字でよくないですか?」

「フフフ」

 私の心の中を読み取っていたのだろう、妖精は悪戯っぽい笑顔を見せた。その顔が何故だか妙にムカついた。

「そんなもの要らないわ」

「まぁまぁ、そういわずに。これはもう本人の意思に関係なく決定事項です」

「はあ! 何で?」

「悪いけど、これはそういうものなの。だからあたしに出会っていませんって後で言われてももう無理なんだ。あと、これにはルールとシステムがある、よく読んで必ず守るようにしてね」

 念を押すように言うと、妖精は空中にフリップだけを残してそそくさと消えた。

 気が付けば私は妖精に『最高の恋』というギフトを無理やりに押し付けられていた。


 妖精が消えた直後、私の耳は雨音を取り戻す。次に肌は寒さを感知した。私は一気に現実感を取り戻していった。そんな私が今しがたの奇妙な出来事を振り返りながらフリップに目を通す。

 奇妙なその出来事の中で、妖精なる珍妙な生き物が最後に話したルールとシステム、つまり取り扱い説明はこうだった。


 1、あなたに最高のコイの機会を与えます。

 2、対象の相手を幾人か与えます。しかしその中で選ぶことが出来るのは一人だけです。

 3、過去に失恋した相手は対象としては選べません。

 4、この権利を放棄した場合は今後一切の恋が出来なくなります。

 5、親切、丁寧をモットーにしております。万が一に備え脱落する可能性が生じた場合にはイエローカードを表示して警告します。真に危険なときはレッドカードを表示し選択を促します。イエローは無数に出ますが、レッドは選択次第で一発退場となる場合がありますのでご注意ください。ちなみに退場となれば今後、一切恋が出来なくなります。

 6、有効期限は一年間。終了はこれより一年後の四月五日二十時です。期限に間に合わなかった場合も今後、一切恋が出来なくなります。


 最後まで読むとフリップが消えた。

 ――いやいやいやいや、ちょっと待て、おい!

 最高の恋をプレゼントするとかなんとか言っていっておきながら、何だ! 

 神のギフトとか調子の良いことを言っておきながら、ロストで一生恋が出来なくなるだと。しかも期限付きだと。

 無理だ。そもそも恋する気分にもなれないのに。

 これでは、期限付きで恋愛の死刑宣告をされているようなものではないか!

 げんなりとして肩を落とす。胸の奥の方から深い溜め息が出た。しかしその空しさは土砂降りの雨音でかき消されてしまう。








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