第4話 であいの音

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 四月六日

 失業したうえに婚約破棄されるという憂き目に遭った私であるが、幸いにして次の勤め先は直ぐに決まり新生活をスタートさせることが出来ていた。

 入社当初は不慣れな営業職に辛さを感じることもあったが、それでも周囲の人達は皆良い人ばかりで、今ではこのようなアットホームな会社も悪くないと前を向いている。

「お、早いねー、菜月ちゃん」

「あ、おはようございます。山本さん、菜月ちゃんはやめてください、もうそんな年じゃありませんから」

「いいじゃねえか、俺んとこの娘と同い年なんだから、菜月ちゃんも俺の子供みてえなもんだ。ガハハハハ」

 山本やまもと正明まさあきさんは、私を我が子の様に扱う。彼は、歳はとっくに定年を過ぎていたが社長の右腕として業務全般を取り仕切っている。若い奴には負けねぇよ、と言ってガッツリと人一倍働く白髪頭のイイ感じのおじさんだ。

 元気な人が周囲にいると何だか自分も元気になれる気がする。

 ただ……やはりあの失恋は自分にとっては酷く辛いことであり、

 いや失恋というより裏切りか……。

 周囲に合わせて元気を装うことは出来たが、ときおり思い出しては苦い感情がこみ上げた。

 それでも、そんな私を救ってくれたのは今のこの会社の人の温かさだろうか。幸いだったと思う。ここに来なければきっともっと人間を信じられなくなっていただろう。

 それと……。

 今はもう、あれやこれやと悩んではいられない。私にはやらなければいけないことが出来た。それは、あの『最高の恋』の件だ。

 今朝も目が覚めたときに昨夜のことを思い返してみたのだが……。 

 妖精を見たなんてバカバカしい、これは夢、幻、与太話として片付けようとしたのだがしかし、記憶から抹消しようとすると唐突に視界の斜め上の方にメッセージアプリのウィンドウのようなものが現れた。

 次の瞬間、その可愛らしい画面に言葉が浮かぶ。

『与太話じゃないよー、真面目にやってね。でないと、マジに一生恋が出来なくなっちゃうよ』

 ――そう、あの脅迫はやはり現実だった。

 しかし絵文字付きってどうなのだろう。確か妖精とか言っていなかったか?

 ぽかりと口を開けている自分に気付き、これではいけないと頬を叩いた。

 私は心を落ち着けて昨日の妖精が言ったことを思い出そうとした。

 ――確か取説があったな……。

 すると、新たなメッセージが表示された。

 内容を見てまた呆れる。「最高のコイをするためのお約束」と可愛らしい絵文字付きの表題までついていた。

 溜め息をついた後、仕方なしに期限はいつまでだっけと考えると、別枠で表示が現れる。そこには「364」と、残りの日数が示されていた。

 これが神の使いのすることか。まったくもってご丁寧なことである。


 山本さんとの会話の途中で、何気なくタイムリミットを気にすると残り日数の横にデジタル表記で時計の表示が現れた。

「おいおい、秒まで表示するって、なんか急かした感じだよね……」

 呟いて、頭の上を手で払いのける。

「お、なんだい? 虫か?」

「い、いえ、何でもありません」

 やばい、私、おかしい人になってる。

「そりゃ若いお嬢さんだからねー、悪い虫も寄ってくるってものさ」

 事務の谷本たにもと美津子みつこさんが陽気な声で話に入ってきた。

「アハハ、そうだよなー、谷本のおばちゃんには虫はもう付かねぇわな」

「あら、そうでもないわよ。年増好きってのも世の中にはあるんだよ。知ってっかい。それに私もまだまだ現役よ、色恋ことなら何でもお任せあれー」

「おいおい、お前さん孫もいんだろ、お婆さんじゃぁなぁ」

「あら山本さん、あなたそれセクハラだわよ、あはははは」

「おお、そうか、これがセクハラってやつか、ガハハハハ」

 軽口を言った方も、受けた方も普段から気心を知った者同士である。二人ともが揃って大きな口を開け会話を笑い飛ばしていた。

 ここにはハラスメントがない。家族のように気を許した間柄だからだろうか。いや、違うか。そもそもここでは日常の中でハラスメントを意識することがないのだ。だからといって相手を不快にさせるような行為は一切ない。ここには他人の気持ちが分からないバカ者がいないのだ。

 微笑ましい光景を見て肩から力が抜けた。私はスッと息を吐いて仕事に取りかかった。さてと、今日はどこに行くのだっけ?

 スケジュール表を確認しながら効率的な外回りのルートを考えた。

 それから……、

 カウントダウンのことも忘れてはいけない。ペナルティーがあるあのミッションは神様からのギフトとはいえ強制的に恋をさせる言わば呪いのようなものだ。

 確か良い人を与えるとかなんとか言っていたが……と考えたとき。

『キンコーン♪ 最良の相手を与えます』

「ちゃ、着信音まで鳴り出した」

 思わず声が漏れ出た。

『キンコーン♪ 通知音は変えることが出来ます。好きな曲を思い浮かべるだけでいくらでも変更が可能です』

 ――駄目だ私。

 世界にただ一人、このような珍妙な事情を抱えていることが絶対的におかしなことだと思った。私は軽い眩暈を起こすと同時に頭を抱えた。

「どうした菜月ちゃん、谷本のおばちゃんに呆れたかい?」

「い、いえ、そんなんじゃありません」

「あらまぁ、若い娘さんにはちょっと刺激的だったかねぇ」

 山本さんと谷本さんの陽気な笑い声が事務所に響くと、他の社員も社長もその様子を見て笑っていた。

 とにかく、なんとかせねばなるまい。

 もちろんミッションのことだが、それでも、奇っ怪な出来事に惑わされて仕事が疎かになることがあってはいけない。

 むやみに深く考え込むのは禁物だ。いつまた通知音が鳴るか分からない。いちいち反応して不審者に見られてもいけない。ともかく妖精の件は邪念だ。仕事はきちんとしようそれがまずは第一だ。

 気を取り直さねば。

「では、行って参ります!」

 どこかぎこちない動き。大きな歩幅で歩いている自分に気付いた。やはり恋愛ミッションが気になるのだと自己を分析し、気負い過ぎだと考えながら外へ出る。するとそこで、事務所に入ってきた男性とぶつかってしまった。

 目の前で苦笑いを浮かべてあたふたしている青年は高木たかぎ健太けんた君。この会社の顧問をしている高木弁護士の息子であった。

「ご、ごめんなさい」

「い、いえ、こちらこそ、ぼっとしちゃってて、すみません」

「あ、いえいえ、こちらも同じです。ちょっと考えごとをしながら歩いていたもので」

 どうにも上の空であったことを反省して、高木君に向かって深く頭を下げた。

 ――早々にやってしまった。

 床に散乱した書類を拾い上げながら顔を上げると目と目が合った。彼は急にあたふたと慌てる素振りを見せた。その後、眼鏡を持ち上げぎこちなく笑顔を作ってみせる。そんな彼を見て思った。如何にも人が良さそうな好青年だが、少しおどおどしていて気が弱そう。

 そこで私はハッとする。

 何気に彼を値踏みしていたことに気付いた。頭が痛くなる。

 これでは、まるで男を求めてガッツいている女みたいではないか。

 先程の気合いはどこへいったのやらと溜め息をついて肩を落とす。

 するとその時、完全に私の不意を突いてミッションが発動する。


 やって来た。

 通知が来た。

 何の前触れも無く、盛りの付いた猫の首に鈴をつけるかの如く。

『キンコーン♪ 第一待ち人を発見しました!』

「げっ!」

 こうして私の「最高の恋」探しが始まった。


 残り時間  364日と11時間3分41秒








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