第25話 いざなう残秋

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 黄色に染まった街路樹を眺めながら歩く。秋の好日に、季節の変遷を感じながら和む。

 辺りに流れる穏やかな情景。目に留まるのは帰宅の途に就く学生や買い物袋を手にした主婦の朗らかな様子。雑踏から聞こえてくる声や音は耳に心地よかった。

 ――ところで、せっかく頂いた余暇ではあるが……。

 むむ、やはりこうなるか。

 これといった趣味もなく、物欲もない。寄り添う人もなく、誰かの為に時間を費やす必要もない。手持ち無沙汰の情況は、持たない私には如何ともし難かった。

 ふと、あの雨の日のことを思い出した。

 ……そう言えばあの日も直帰だった。

 遭遇した奇妙な出来事――私は「最高の恋」という神様のギフトを与えられた。

 これといった音沙汰はないが、忌ま忌ましい恋の喪失へのカウントダウンは今もなお続いているはず。私は呪いのような与太話に縛られたままで……振り返ればもう、あの日から半年以上の月日が流れている。

「なんかもう、どうでもよくなっちゃったな……」

 大体あれは一方的に押し付けられたミッションである。

 それにだ、妖精なんてものは実在しない。リアルではありえない。

 足が止まる。溜め息が出た。

 よくよく考えるまでもないだろう。これは相当に痛い話である。間違えても「私、妖精を見たの」なんて口に出せない。 

 そもそもである。――果たしてあれは現実だったのか。

 私しか見ていない、私しか知らない、となればこれは、病んだ心が見せた白昼夢という可能性が大いにあり得るわけで……それならば、医学的にも心理学的にも証明できるわけで……。

 妖精との出会い、止まった時間、トンチンカンな通知音、イエローカード、それら辻褄の合わない事の全てを自らが作り出した幻想とするならば理に適う。結論はやはり、失恋で病んだ心が作り出した中二病的空想……。

「うおっ!」と、おかしな声が出た。あまりに唐突だったもので驚いてしまった。

 それは、得た結論を確定しようとした途端に出た。久しぶりに残り日数と残り時間の表示が現れた。

 恨めしく頭上を見上げる。――まったく、何なのよ。

 とりあえず、本物かどうか試す為に手で振り払ってみた。

 くそ、やっぱりか。

 頭上にある表示は消えてくれなかった。

 見ているのは現実感に乏しい絵面。私の心はまだ、このような幻を作り出してしまうのか。

「キンコーン♪ キンコン、キンコン、キンコーン♪」……なぬ?

「夢じゃない。逃・げ・ちゃ・ダ・メ・テへっ(絵文字)」

「ぬぬ、こいつ、マジか」

 やっぱり現実なのか、と今更ながらに認識させられてガクリと肩を落とす。胸の奥の一番深い所から溜め息が出た。

 私は既に恋愛ミッションに対して興味を失っている。もうどうでも良いと思っているのに。

 ――ん? ちょっと待てよ、これは何だ? 

 私は表示に違和感を抱いた。

 枠が青色から黄色に変わっているような……うん、間違いない。色が変わった。

「まったくもう、あの妖精、こういうところはご丁寧なんだよね」 

 落ち葉が香り立つ雑踏で、三十路女が怪しげに独り言を吐いていた。

 仕方なく時を数えた。既に三分の二が経過し、ミッション終了まで四ヶ月あまりとなった。それでも、全く焦る気持ちが湧いてこない。

 投げ出せるものならば、今すぐにでも止めていいと思うのだが、表示は、急げ、と催促するように点滅しながら急かしている。

 ああ、頭が痛い。

 これは、望まぬ恋愛を強いる神様のギフト。誰の為に、何のためにやらされているのか、と自問してみるが答えは出ない。分かっているのは、決して呪縛から逃げられないことと、失敗するとペナルティーが課せられるということ。

「はいはい、分かったわよ、残り三分の一ね」

 投げやり気味に言って一歩を踏み出すと、承知したというように表示が消えた。

 ――だけど、どうなのよ。急かされたところで、「最高の恋」なんて、そう簡単に成せることでもなかろうに。

 それに……私は未だ相手を与えられていないではないか。

 通知音はあった。しかしそれは悉く的を外している。改めて残りの時間を考えれば、攻略不可能の無理ゲーをやらされている気分にもなる。


 そうこうしているうちに書店に入っていた。

 勿論ただの気分転換と暇つぶしである。なので手にした雑誌の記事もたいして頭に入らず、興味も持てなかった。

 ――ダメだなこれは、少し早いけど家に帰ろう。

 雑誌を棚に戻し、出口の方へ向くと不意に足元を風が駆け抜けていった。

 なんだろう……目で後を追うと、足元を駆け抜けていった風が躓いて転んだ。

 直ぐに駆け寄り、投げ出されていた大きな絵本を拾い上げる。倒れて伏せる女の子の小さな体を抱き起こした。

「大丈夫? 痛いところはない?」

 声を掛けると、顔をまじまじと見てきた女の子が口を噤んでコクリと頷く。

 円らな瞳に今にも零れ落ちそうなくらいの涙を溜めていた。

「もう大丈夫だよ」

 なるべく優しく声を掛け、女の子の膝を払っていると、後ろから声が掛けられた。

 母親の顔を見付けた途端に女の子が泣き出す。

 母親は私に向かって頭を下げると直ぐに子供を抱き上げ、仕方ないわねと微笑んでからレジの方へ向かっていった。

「あの子の勝ちね」

 欲しいものを欲しいと言える子供の素直さが少し羨ましく思えた。

 絵本を読み聞かせる母親と嬉しそうに笑う子供の様子を思い浮かべる。母と子の何気ない日常の一幕を見て心が温められた。――私もいつか、あんな可愛らしい子を持つ母になるのだろうか……。

 私は苦笑いを浮かべていた。明るい未来を思い浮かべながら、心には明白な諦めがあった。

 やれやれ、と気持ちを切り替え立ち上がろうとした時だった。上を向いた私に運命が悪戯をする。 

「――え?」

 すぐ目の前に健太君が立っていた。

 なんで?

 彼の柔和な笑みがこの身に注がれる。

「こんにちは、菜月さん。いや、もう、こんばんは、かな?」

「……あ、ああ、こんばんは、です」

 返事がおかしくなっていた。

 何でこの人はいつもこんな不意を打つタイミングで登場するのか。

 急な場面転換について行けず、私の心はふわふわと寄る辺を失い浮ついていた。

 ――ダメダメ!

 私は心を落ち着ける為に無理に言葉を継いだ。

「えーっと、何か用事で? 仕事? 事件?」

 分厚い本を何冊も抱えている様子が目に留まり、咄嗟に口に出した言葉だった。的外れもいいところだ。ここは書店である。事件事故の現場ではない。用事は買い物にきまっている。恥ずかしさに顔が熱くなった。何をやっているのだ私は。

「え、ああ、まぁそんなところです」

 健太君は微笑みを浮かべ、私の珍妙な問い掛けをスルーした。

 そんな健太君に苦笑いしか返せなかった私。首を傾げると彼の後ろから強い光が差す。逆光の中にシルエットが浮かぶ。

 時が止まった。

 彼の顔をジッと見つめてしまっていた。

 暫くの間、訳もなく言葉を失う。

「菜月さん?」

「え? ああ、なんでしょう」

「せっかくの機会ですし、少し話がしたいのですが、この後お時間はありますか?」

「あ、ええ、直帰なので大丈夫ですが」

「良かった。そんなに時間は取らせませんので宜しくお願いします」

 私は健太君と共に書店を後にした。

 日の傾きと共に空気がヒヤリと冷たくなった。

 火照った頬に冷たい風が心地良い。色づいた木々の枝を抜ける斜陽に目を細める。オレンジ色の光がキラキラ輝いていた。

 黄昏時にゆったりと穏やかな時間が流れて、帰宅時に健太君が隣にいて、同じ方向に向かって歩いていて。

 時折り、横並びに歩く健太君の手に手が触れた。

 男性の歩幅に合わせられず、遅れかけてあたふたした。

 まるで少女の頃に戻ったよう。私の心は初々しくも忙しい。

 離れれば淋しい。近づけば嬉しい。誰かの背中を追いかけることに懐かしさを覚える。そうして、追いついては隣にある顔を覗き込む。

 不思議だった。何だろうこの感じは。心はどこかこそばゆい。

 ――いい歳をして、男性と共に家路を歩んでいる事に浮かれているなんて……。

 帰路を思いながら苦笑を浮かべる、と、はたと疑問が湧いた。

 そういえば私達はどこへ向かっているのだろうか。

「あの、健太君?」

「はい」

「話をするって言ったけど、どこでお話を?」

 疑問を口に出すと健太君が「え?」と言って固まった。どういう訳かと尋ねると、彼は慌てて身振り手振りを繰り返す。

「す、すみません。僕はてっきり菜月さんがどこかご存じの喫茶店とか、ファミレスとか、まぁそのようなところに向かっているものだと……」

 彼の言葉を聞いて思う。おいおい、君は確かに半歩前を歩いていたぞ。それなのに話をする場所を私に任せてしまっていたのだと? 

 なんと間の抜けたボケなのだろう。私はツッコミも忘れ拍子抜けしてしまった。

 だが、脱力している場合でもない。健太君に言わねばならぬことがある。追い打ちをかけるようで申し訳ないのだが言わねばならない。ここまで来てしまえばもう、辺りには喫茶店や飲食店は無い。

 事を告げると、健太君は更に動揺を見せた。

 まったく、この人はしっかりしているのだか抜けているのだかよく分からないな。

 暫し立ち止まったまま考える。戻るか……進むか。 

「な、菜月さん、ど、どうしましょう」

「本当にあなたったら、頭が良いんだか、ぼっとしてるんだか。あっ」

 考えていたことが思わず口から出てしまって慌てた。聞いていた健太君はきょとんとして棒のように立っていた。

 それから……一つ間を置き、私達は顔を見合わせたまま同じタイミングで笑った。

「いいわ、私の部屋、直ぐ近くだからそこで話しましょう。コーヒーくらいなら出せるわ」

「え? 菜月さんの家ってこの辺だったんですか」

 驚く健太君に私は頷く。彼の肩に少し緊張が見えたのは気のせいだろうか。

「で、でも、菜月さん、夕食は未だですよね。買い物とか、外食にしても、ほら何だ。話は直ぐに終わるので僕はお茶くらいでって、あ、そうだ。なんなら戻ってお店を探しましょうか」

 慌てて言葉を並べる健太君。

 動揺しながらの逃げ腰。

 彼の様子を見て意地悪な私が登場する。

 私はフフと笑いを溢す。

 さぁ、どうする高木健太、と細い眼で試すように顔を伺った。

「買い物は明日でいいわ、簡単なものなら買い置きがあるし」

「そ、そうですか……」

 健太君が小さくなった。

 ――おいおい、高木健太、何故そこで肩を落とす。女子に招かれることは男子にとって普通は嬉しいものではないのか? と心の中でツッコミを入れる。

 それでも、まぁいいわよね。何かあるわけでもなく、子供でもないのだから。二人とも分別のある大人なのだし。

 反省した。発想がなんとも節操のないことであったから。だから私は直ぐに考えを正した。つまらないことを考えるなと。

「――無いかぁ、まぁ健太君だもんね。あ!」

 心の声が口から零れてしまう。また、やってしまった。

「…………」

 言葉の意味を瞬時に理解したのだろう。私の顔を恨めしそうに見返すと、彼は口を固く結んで一言も話さなくなってしまった。

 私は笑って誤魔化す事しか出来なかった。

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