第11話 ひめた過去
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勝敗はともあれ、酒席は他愛のない会話を重ねながら和やかに進んでいった。
そうして幾らか時計が進んだ頃のこと。私の戦場に加わる者が現れる。新たな来訪者は幼馴染みの堀内陸と彼の恋人の村山奈々実だった。
「お、菜っちゃん、いたいた!」
二人は私の実家で居場所を聞いてここに来たと話した。
陸君の提案によりテーブル席に移り四人で一緒に飲むことになった。
「で、なんなの、陸君、何か用事?」
「あ、ま、まぁね。ところで、こちらの男性は? えっと、確か、病院でよく見かけてるんだけど……」
陸君は、うーん……、といって首を傾げた。そこで私が、あのね、と健太君を紹介しようとしたのだが、不意に奈々実さんが割り込んで健太君の名を呼んだ。
「高木先輩」
「え?」
「え?」
驚いて見ると、奈々実さんに名前を呼ばれた健太君が、まぁまぁといった感じで苦笑いを浮かべる。
「二人は、お知り合い?」
「ええ、高木先輩は、同じ大学の先輩です。先輩、いつまでこんなところで燻ぶっているんですか。しかも、佐藤菜月と一緒だなんて、先輩はどこまで――」
「村山さん、それ以上はダメだよ」
奈々実さんが私を睨む。敵意むき出しの態度にも驚かされたが、彼女の言葉を強い語気と厳しい視線で遮った健太君にも驚いた。
「お、おい、奈々実、ちょっと待って。今日、こうしてわざわざ菜っちゃんに会いに来たのは、君の誤解を解く為なんだから」
陸君は、慌てて奈々実さんを
「ええっと、陸君?」
「あ、ああ、ごめんね。えっとその、どう話そうか……」陸君は少し戸惑うような仕草を見せた後、思い切るように話し出す。「菜っちゃんは、奈々実とは花見の日が初対面だよな?」
「え、ええ」
「実は、あの後さ、奈々実が君のことを知っていると話したんだ」
「え? そうだったの?」
チラリと奈々実さんの顔を見る。彼女は納得出来ない様子でふて腐れていた。
「それで、その、あの、奈々実が、悪い女だと聞かされているって言うものだから、それで訳を聞いてみたら……。奈々実は今、君が前に勤めていた会社の顧問をしている法律事務所に勤めててさ。それでその、菜っちゃんが……色々とあって……辞めさせられて。だから……」
陸君は皆まで話さず言葉を濁した。重い空気が場を包む。奈々実さんが陸君に話したのは、私が起こした不祥事に関することで間違いない。陸君は何かの間違いだと擁護してくれているようだったがしかし、あの一件は、真相はともかく表向きは不祥事であり、私に弁解の余地はない。
「菜っちゃん、ごめん。悪口を言いに来たんじゃないんだ。僕は、何かの間違いだと言ったんだけれど、奈々実は、君のことを凄く評判が悪い人物のように聞かされていて納得しないんだ。それで埒もあかずで。だから今日はこうして、直に会って本人に事情を聞けば解ってもらえると思って」
陸君には感謝してもしきれない。彼の厚意はとても嬉しくて勇気を与えてくれるものだ。この古い友人は、私のことを掛け値なしで信じてくれている。
しかしながら、奈々実さんの話している事が現実である。信じてくれている陸君には申し訳ないが、友人であればこそ嘘をついて取り繕うのは嫌だと思った。
「あのね陸君、その話だけどね、実はその話は全部本当――」
「違う!」
健太君が私の言葉を遮った。
「え? あの、健太君?」
「嵌められたんだ。菜月さんは嵌められた。菜月さんは悪事なんて何一つ働いていない!」
健太君は強い口調で言い切った。
強引とも思える話の転換に驚いていた。テーブルの向かい側に座る二人も目を丸くしていた。
「……高木先輩」
「村山さん、僕は今、その一件について調べているんだ。そして僕は、その不祥事の真相を究明する為に司法試験を受けた」
「え! 高木先輩、試験を受けたって。ではやっと、やっとその気になったんですか!」
「え? 二人とも何を言ってるの?」
話が健太君と奈々実さんの中で完結してしまい状況が飲み込めない。
あれ、この件は私が当事者であるはずだが?
真相究明? ようやく今年、受験した? その気って? あれ?
「おいおい、そりゃないよ奈々実。僕があれだけ説得しても信じてくれなかったのに、高木君の一言で信じちゃうわけ?」
「あ、ああ、ええっと……」
「それにしてもさ、高木君、その“真相”っていったい何なの? 菜っちゃんに何があったっていうのさ」
やれやれ、といって陸君が笑う。ホッとしながら胸を撫で下ろしている様子が見て取れた。
「僕は、五月の初旬に池上優斗と妻の葵に直に会って言葉を交わした」
「池上優斗? その妻? って誰?」
陸君が首を傾げて尋ねた。だが健太君はその問いに対して沈黙で答えた。
「ま、いいか。うん、それで?」
陸君は、健太君の含みを匂わせる無言を、軽く眉を持ち上げて了承したあと、興味深そうに話の先を促した。
「実は、僕は今年の二月頃から二人のことを色々と調べていたんだ」
健太君は自信が満ちるような表情で状況を語った。
それにしても……、
私は彼の言葉を聞いて唖然としてしまった。
――何? 健太君、わけが全く分からないんですけど……。
「菜月さんの一件については、色々と疑わしいことが浮かんではいたのだけれど、それでも僕は確証を得るに至れなかった。だけどあの時、池上葵の口からはっきり聞いた。僕は言質を取った」
いって健太君がICレコーダーを取り出す。
「え? 健太君、あなた……」
何だ、この人? どういうこと?
よもやあのような諍いの最中に……冷静にそのような行動を取っていたとは。思いも寄らぬ事に呆れる。もう開いた口も塞がらない。
瞬きを繰り返して健太君を見つめる。私の視線に気付いた彼は悪戯な微笑みを浮かべた。心臓がドキリと躍る。なんだ、なんだ、なんだ。
「思った通りだった。菜月さんは何も悪くなかった。菜月さんは池上夫妻に嵌められたんだ」
健太君は話を続けた。戸惑う私を置いてけぼりにして。
「嵌められたって? おいおい、マジかよ」
「これは間違いないことです。今、僕の中では断定されている」
健太君が自信を見せた。と、そこで陸君の目が嬉しそうに光った。
「それにしてもなんで二月からなんだい? 高木君」
「え? そ、それは……」
高木君の意気が急に萎んだ。皆から視線を外した彼は内にこもるようになりモゴモゴと言葉を濁した。
「高木先輩、それで? どうして先輩は?」
奈々実さんの追求と、私と陸君の視線。
その場が固唾を呑んで静まったとき、健太君の父親と社長が私達の会話に参加してきた。
「続きは、わたしどもから話させて頂こうか」
高木弁護士が事の初めから話し始める。
社長と父は古い友人であり、高木弁護士と父も社長を通じて古くから面識があったということ。社長は私が入社する前から父に娘の事情を聞かされていたということ。
父は社長に話したそうだ。娘が弁済した借金は自分が娘の婚約者から個人的に借り入れたものだったと。それがいつの間にか会社からの借金になり、娘はその責任を負わされて会社を辞めることになり、結婚もダメになったと。
「菜月さんの身の上を赤裸々に話してしまって申し訳ない。しかし、ここに居るのは村山弁護士と信頼の置ける友人と健太だ。皆が菜月さんの味方ならば打ち明けて構わないと判断しました。申し訳ない」
「い、いえ、構いません。私から話そうと思っていましたから」
話を終えてみれば、どこか胸のつかえが下りたようにスッキリしていた。
「菜月さんは何も悪くない。利益相反行為、もしくは背任で問われることも、業務上横領の疑いも何も無い。菜月さんは潔癖であり会社を辞める必要はなかった。むしろあの会社には菜月さんが必要だった」
健太君の威勢が戻る。場は一様に彼の言葉に納得するよう、うんうんと頷いた。
「い、いやぁ、私なんてぇ」
私を持ち上げる空気に気恥ずかしさ覚えて、すっとぼけてみたのだがスベってしまう。皆が呆気に取られている場で、陸君だけが下を向き笑いを堪えていた。
「菜月さんのことを慕っている社員があの会社には本当に数多くいるんだよ。もっと自信を持っていいんです」
「は、はあ……」
「ほらね、奈々実、俺の言った通りだろ。菜っちゃんが不正義をやるなんてあり得ないんだ」
「あ、うん……ごめんなさい菜月さん」
奈々実さんが改まってお辞儀をした。
「あ、いえいえ気にしないで。どうせもう辞めた会社のことだし、終わった事だから」
「いや、菜月さんさえ良ければ、僕は訴え出て名誉を回復させたいと思っている」
――はぁ!? 訴訟ですって? まったく。あなたってば当事者の私を差し置いて何を言い出すのか。
「高木先輩、それで!」
おいおい、待て待て奈々実さん、あなた何を喜んで。
「ああ、そうだよ、僕は弁護士になる事に決めた。ただし、試験に受かっても直ぐに仕事が出来るわけじゃないから、父さんの力を借りることになると思うけどね」
「ちょ、ちょっとまって健太君、私は別にそんなつもりは」
「菜月さん、どうか健太の好きなようにさせてもらえないだろうか」
この通りです、と言って健太君の父親が口を添え頭を下げた。
「いや、でも……」
「私からも、お願いします。こんな先輩を見るのは久しぶりで、私も出来れば応援したい。先輩は本当に凄い人なんですよ! あんな事件さえなければ今頃、――あ! ご、ごめんなさい!」
「ん? 事件?」
「な、なんでもありません! 今のは忘れてください!」
「は、はぁ……」
何? と確かめるように見ると、健太君は、困った人だと話ながら優しい眼差しで微笑んでいた。
「ま、あれだな、さしずめ高木君は
「は? なんじゃそれ?」
「能力のある人が、やっと本気になって立つ! みたいなことだよ」
「利口ぶっちゃって、それって本当に合ってるの? 間違えてたらすごく恥ずかしいんだぞ」
鼻高々に自慢をしている陸君を揶揄うと周囲で笑いが起こった。
私の抱えた事情が、知らないところで一人歩きしていた。健太君は私の名誉を回復させたいと話すがしかし、それは私が望んでいる事では無い。あれはもう終わったことなのだから。
それにしても……。
いったい何故、彼はこのような行動を取っているのか。私は知人の会社に勤めている一女子社員でしかないのに。見ず知らずの女なのに。
分からない。父からも訴訟のことは聞かされていない。これは誰が思いついたことなのか。健太君か、それとも弁護士の父親の考えなのだろうか。
――そういえば、今年になって試験を受ける気になったとか何とか。私は、てっきり不合格を繰り返しているものだと思っていた。だけど違った。彼は、易々と司法試験に合格してしまうほど優秀な人物だという。
はて、ならばこれまで試験を受けてこなかった理由は?
何が彼を、現在のような境遇に……。
口を滑らせて狼狽した奈々実さんの顔を思い出した。
そう言えば、あんな事件さえなければ、とかなんとか言ってたな……。
――事件って、なに?
もしかすると、健太君が抱えている問題の方が大ごとなのではなかろうか。
高木健太が内包する暗い影を、私は垣間見たような気がしていた。
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