第7話 ふかかいな警告
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五月六日
あれから一ヶ月が過ぎたが、新たな恋人候補発見の知らせは届いていない。あの煩わしい通知音は一度も鳴っていない。それはつまり、現時点では彼ら以外に相手が見つかっていないことを示している。これから先も私の選択肢は高木君と陸君の二択なのか、それとも、別の誰かが現れるのか。
振り返れば、四月のミッション開始からこれまでの間に適齢の男性と出会わなかった訳ではない。営業という仕事柄と年度初めという時節柄、私は結構な数の男性と出会っている。しかし、いずれも通知音が鳴ることはなかった。
私は、人と出会う機会が思いのほか多いことに気付かされた。これまでは認識が薄かった。それは無意識に己のテリトリーに入れる人間を選別していたからかもしれない。
五月になった。ミッション開始当初は、男性との初対面の場において緊張を強いられた。相手の様子を窺いながら出会いの通知音を警戒する日々が続いた。しかし、それは無用の心配だった。誰彼おいそれと音は鳴らなかった。私は、そんなものか、と次第に慣れていく。
そもそも「最良の相手」が大量に見つかることの方がおかしいのだ。それに、焦る必要も無い。まだまだ時間も十分に残されているし、一々気にしていても仕方がない。
とはいえ、現状はどうなのかというと、高木君とは事務所の入り口でぶつかって以来一度も顔を合わせておらず、
……どうやら縁は薄そうだなぁ。だとすれば、あちらか、うーん。
陸君とは度々顔を合わせていた。作業療法士である彼は偶然にも父が入院している病院に勤めていた。
だが、それだけのことだ。進展などあるはずもなく彼との関係は良い友人のままである。
と、このようにミッションは特に何の進展もしていない。
もう、いっその事このままでいようか。無理に恋愛なんてしなくても生きていけるし。ミッションによって押しつけられた恋で幸せになれるとも思えない。
ひとまず気持ちを切り替える。
私はこの日、父のお見舞いに行く前に所用で会社に来ていた。
このことを、大型連休に予定も色気も無い独り身の寂しいことだとは思いたくない。なぜなら私は今、乗り気で無いにせよ最良の恋の相手を探している最中なのだから。
「おお、菜月、連休中だってのに出社か、寂しいじゃねえか」
寂しくはないと思っていたところに、寂しい奴だと声を掛けられた。休日なのに工場に来ていた浅田さんだった。
「浅田さんこそ、何やってるんですか? 出社してもお給料は出ませんよ」
満面の笑みで応じてやった。
あのお花見の日以来、浅田さんと話す機会は増えていた。彼は会社の中でも気を許せる人間の一人となっていた。
「あ、ああ、なんていうかさぁ、うーん、なんていうか、正直やる事ないんだわ、あははは」
「浅田さんこそ、寂しい人じゃないんですか?」
「お、おう、まぁ、そうだな、そうだよな、独りだしな」
普段の掛け合いとは違って、この日の浅田さんは言い返してこなかった。
「じゃ、はやく恋人でも見つけないとね」
張り合いがなかったのでもう少し軽口を言ってみる。それでも浅田さんは苦笑いを返すだけでまたも言い返しては来なかった。
「あ、あのさ菜月。この後、何か用事あんの?」
「え、この後ですか、えっと、この後は、父のお見舞いに行くつもりですが」
「ああ、そう言えばそうだったな、親父さん怪我してんだったな、で、どうなの?」
「うん、もう大丈夫みたい。来週には退院して後はリハビリに通うだけ。でもねぇ、あれは病院に入れておかないと好き勝手に動き回っちゃうからなぁ、昔からジッとしていられない性分なんだよね」
「そうか……でも分かる、分かるよ。職人ってのはそういうもんだ。ところで、菜月、その……よかったら送っていこうか? 病院まで。俺、今日は車で来てるし、その、暇だし」
「え、ホント? すごく助かる」
と、喜んだところまでは良かったのだが、いきなり目の前にイエローカードが出現した。――な、な、なんですと!!
意味が分からなかった。確かに浅田さんは待ち人の認定を受けていなかったので、こうして距離が近づく予兆に対してイエローカードが出る理由も分からない訳では無い。
どうして警告が出るんだ?
なぜ浅田さんではダメなんだ?
浅田さんは、私が昔から欲しかった、お兄ちゃんのような存在だった。何より好感が持てていたし、年齢的にも恋人の条件としては申し分ないようにも思えるのだが……。
はて、どうなのだろう?
私は浅田さんのことが好きなのだろうか。友達ではなく恋人のように好きなのだろうか。うーん……。
束の間に考えてみたが、自分の気持ちが分からなくて少し戸惑ってしまった。
「菜月、裏に車を回して来るよ、そこ行って待っててよ」
弾む声を聞いて彼の方を見ると、飛び跳ねる勢いで駆け出して行く背中が見えた。
その後、恨みを込めて目線を少し上げる。頭上に浮かんでいるこのイエローカードに一体どんな理由があるのだろうかと再び考え込む。
取説では確か、これ以上進むとミッションロストの危険性がある場合に出る警告ということであったが、ではその危険性というものがどういう基準で判定されているのかが分からない。詳しく説明を聞かなかった事をここでまた悔やむことになった。
それでも……私は単純だった。
「まぁいいか、何かの間違いだろう。間違いじゃないにしてもまだレッドカードじゃない。このまま行っちゃえ!」
病院に着くと、浅田さんが帰りも送ってくれると言ってくれた。それなら一緒に病室まで来るかと尋ねようとしたのだが、そこで二枚目のイエローカードが出る。
「……」
全く意味が分からない。カードはまるで浅田さんを待ち人認定から除外するかのごとく邪魔をする。
何だか釈然としなかった。それでも矢継ぎ早に二枚目が出たということで、少し警戒して彼の申し出通り車の中で待ってもらうことにした。
「すぐ、戻ってくるわ」
「いいよ、ゆっくりしてきなよ」
後ろめたさを感じながら浅田さんの顔を見る。穏やかな笑顔があった。彼は本当に良い人だ。
病室に着くと、父はリハビリ中で不在だった。ならば頑張っているところでも見に行こう。思い立ち、私はリハビリ室へ向かった。
付いてくれている職員を困らせていなければいいが、と苦笑しながら父の様子を思い浮かべる。一つ目の角を曲がると、向こうの通路から車椅子を押して近付いて来た高木君に出くわした。
ハッとして身を固めた。健太君の押す車椅子には若い女性が乗っていた。
――綺麗な子……。
それにしても、若いなぁ。二十歳そこそこかな?
っていうか、このお嬢さんって、まさか高木君の彼女? おいおい高木君もなの?
ちょっと待ってくれよ私のミッション。
どうなっているの? と、私は頭を抱えた。
お花見の時に通知音が鳴った陸君には恋人がいる。第一待ち人の高木君にも恋人らしき人物がいた。
これはあれか? 取られたから取り返す。略奪愛がこの恋愛ミッションの趣旨なのだろうか。
あの日、突如現れた妖精は最高の恋を探すことが私の望みであると言った。しかし略奪が最高などとは絶対に思わない。私は断固としてそれを否定する。思うだけで吐き気がする。誰かの心を踏みにじってまで幸せになろうとは思わない。絶対にそれだけは嫌だ。
あのとき妖精は、この世の中では、誰かが幸せになればその影響で別の誰かが不幸せになることがあるとも言っていた。だが、仮にそのような事があったとしても、私の恋愛においてはあり得ない。絶対にだ。
意図せず思索にふけってしまった。
ぼやける視界の中で人物が動く。
私は高木君がこちらを見て会釈をしてきたことに直ぐに反応出来なかった。
慌てて頭を下げた時、下を向いた私の耳に小声が届く。車椅子の彼女の声だ。
声に不安の色が混じっていることを感じ取る。
私は「大丈夫よ、心配しないで」と心の中で言った。
人の恋路を邪魔するほど野暮では無い。彼女にこれ以上の余計な心配をさせないように他人行儀を装った。私は完璧な営業スマイルを見せたあと、その場に社交辞令を残してリハビリ室の奥へと向かった。
「おう! 菜月、来てくれたのか!」
私を見付けて父は嬉しそうに手を振った。この日も父は至って元気であった。
「どう? リハビリの調子は?」
「どうって、この通り、ピンピンしてるさ! これなら来週退院しても、すぐに仕事が出来そうだ」
「何言ってるのよ父さん、無理してまた病院に戻ることになったら大ごとよ、これ以上母さんに心配をかけないでよね」
「そうですよ、おじさん、菜っちゃんの言う通りです。退院してもまだしばらくはリハビリに通わなきゃいけない体だということを忘れないでくださいね」
陸君が私達を見かけて声を掛けてきた。
「おーい、陸ちゃんまでそんなこと言うのかい、勘弁してくれよ」
「とにかく、ちゃんと陸君の言う事を聞いて、しっかりリハビリしてね、頼まれてたものは病室に置いておくから」
「お、もう帰るのか?」
「会社の人に車で送ってもらって、外で待ってもらっているの。あまり長く待たせるのも悪いから」
「ほう、そりゃ男か? どうせならおめえ、連れて来りゃいいのによ」
「そんなんじゃないわ、じゃ、しっかり療養するように!」
「あいよ、デート、楽しんで来いよ!」
どこか嬉しそうな父の顔を見て、本当に彼氏ではないのよ、とは言えなかった。
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