第6話 いみふめいな通知

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 四月八日

 花見の日、見ごろはとうに過ぎていたが、花の散る様にも風情はある。ときおり舞い落ちる花弁を目で追うのは儚くも味わい深いものである。

 疎らに残る桜を見ながら、紙コップに注がれたお酒をちょっぴり口に含む。

 会社の花見は私が想像した通り花よりもお酒で、周囲には賑々しく弾む声が溢れていた。みんな楽しそうだった。

「あ、ああ、いや、その、菜月さぁ」

 話しかけられてハッとする。浅田さんが私の名を呼び捨てにしていた。顔を見ると、少々酔いが回っているのだろう、うっすらと頬が赤くなっている。

 気安く呼ばれて戸惑ってしまったのだが、どこか朗らかな彼の様子を見れば、そのことを取り立てて言葉にする気にもなれない。だから聞き流すことにした。

 もっとも、彼は無下に人の名を呼び捨てにするような人物ではない。普段はちゃんと「佐藤さん」と呼んでくれている。今は無礼講ということだろう。お酒の力を少しばかり借りて、という具合ではあったが、嫌な気持ちは全くない。呼び捨ても親しみを抱いてくれてのことだと理解していた。

 そんな事よりも……、

 恋愛ミッションのことである。

 取説では対象の人物を幾人か与える、ということだったが、それは何を基準にして選ばれるのか。

 ――浅田さんと出会った時も、話をしていても、通知音って鳴らないのよね……。

 何故だ? 私は嫌いでは無いぞ、と妄想する。一口、二口、チビチビと唇を湿らせながら、あれやこれやと理由を考える。

 相手は、与えられるだけなのか……私には主導権が無いのか。

 これから先、何人の対象者が現れるのか。

 頭が痛くなる……、誰でも彼でも手当たり次第に捉まえて、音が鳴ってしまうのも困りものだ。これは先の長い話である。闇雲に数多の男を与えられても収拾を付けられないだろう。それこそ私の日常は大変な事になってしまう。それに何より、私は飢えていない。今は恋することが億劫で仕方がない。

「菜月さ、こないだ俺より飲めるって言ってなかったか? それにしちゃ全然飲んでないみたいだけど?」

「知ってますか? 飲めない女の方が可愛く見えるんですよ。こんな年増でもね」

 酔う口を軽口で切り返すと、浅田さんが目を丸くし、「ええっと……」と次の言葉を探す。彼は口篭もり落ち着かないそぶりを見せた。どうやら、威勢の割には女性と話す事には慣れていないようだ。

 そんな彼の様子が可愛らしく思えて、悪戯心のままにちょっと揶揄ってみる。

「浅田さん? 私を酔わせてどうするんですか? 私まだ独身なんですよ。ちゃんと責任を取ってくれますか?」

 浅田さんとは気安く会話が出来た。父とよく似た職人気質には親しみを感じるし、通知音が鳴らない男性だったので変に意識せず自然体でいられた。

「そ、そりゃ、菜月は美人だし……。俺なんかとは釣り合いとれねえけど、あー、何いってんだ俺は」

「あんたの負けだよ、竜矢。菜月ちゃんを嫁さんにって考えるなら、もうちょっと男を磨きな、あはははは」

 谷本さんがそっと助け舟を出した。

 朗らかな谷本さんと浅田さんの様子を黙ってみていた。私は心の中で話した。真心がある男性は信頼が出来ます、あなたは素敵な男性ですよ、と。

 口が上手な男性より無口な男の方が余程値打ちがあるっていうものです、と、言葉を掛けようとしたのだが、子供みたいにしょげる浅田さんが谷本さんに慰めてもらっている姿を見て止めた。

 浅田さんは、なんとも可愛らしい人である。

 確か歳は自分よりも一つ上だったな……。

 ――ハッ、いけない。

 浅田さんの年齢を思い出している自分が、また男性を値踏みしているように思えて少し反省した。


 アットホームな宴会は進む。何やかんや賑やかに和んでいた。

 しばらくすると、男女の二人連れが近づいてきた。花見に来たカップルが何の用事かしらと思うと、近付いてきたカップルのうちの男性が私の名前を呼んだ。

「もしかして、菜っちゃん?」

 呼ばれて顔を見て驚いた。

「あれ? もしかして陸君?」

「いやー、こんなところで会えるなんて」

「本当ね、何年ぶりかしら?」

「えーっと、高校を卒業してからだから……」

「まて! 陸君、もうそれ以上は言うな!」

 陸君は「分かってる」と言って笑顔を返してきた。

 高校卒業以来久しぶりに再会した堀内ほりうちりくは幼馴染みでもある。彼とは小学校、中学校、高校までも一緒だった。

 幼い頃から長い付き合いのある彼は、自然と気心が通じた貴重な友人の一人であった。

「ところでそちらの方は? 陸君の彼女さん?」

「あ、ああ、紹介するよ、村山むらやま奈々実ななみさん」

『キンコーン♪ 第二待ち人発見しました』


 全くの無防備状態でその音を聞いてしまう。


 思わず呆気に囚われそうになったのだが、すかさず、少し待て! と思う。

 いったいどういう基準で音を鳴らすのだ。しかも、タイミングが悩ましい。

 ――それにしてもだ。

 女性を紹介された時に通知音が鳴るなど思いもしなかった。

 この女性が対象ということでは無いとは思うが……それでは何だ?

 音がズレただけなのか。だとすれば、恋人候補は陸君という事になるのだが。

 いやいやいや、待て。陸君は今まで一度も異性として意識しなかった男である。それに、仮にでも先程の通知音が陸君を候補として示していたとしても、それこそ断固として拒絶せねばなるまい。恋人がいる者は完全に対象外アウトだ。


 ――う、うう。


 頭が痛くなった。どちらにしてもこの二人だけはありえないと思った。

 困惑した。恋愛対象者を示す通知音であるが、これではあまりにいい加減過ぎるではないか。

「どうしたの、菜っちゃん?」

「あ、い、いえ、なんでもないわ。それより良かったね陸君、こんな綺麗な彼女さんが出来て」

「あ、うん」

 答える陸君の顔を見る。少し照れた顔が昔のままで懐かしかった。

 近況を聞けば、彼は今、近くの総合病院でリハビリの先生をやっているということだった。

 陸君と彼の恋人の奈々実さんと三人で話をしたあと宴席に戻ると、早速、谷本さんの事情聴取が始まる。男性の方は幼馴染みであり、一緒にいた女性は彼の恋人であると答えると、谷本さんはすぐさま浅田さんの方にクルリと顔を向けてニコリと笑った。

「よかったじゃないか、竜矢。さっきの男の人、彼女連れでさぁ」

 いって谷本さんは浅田さんの背中を叩いた。

「痛た! なにすんだよ、おばちゃん」

「おばちゃんじゃないよ、谷本さんと、ちゃんと呼びな!」

 その様子を見ていた社員が一斉に笑う。

 桜の花びらがほろりと落ちて空に揺れる。春の夜風が温かく頬を撫でた。


 ――帰宅後、私は湯に浸かりながら白い湯気の中で今夜の通知音のことを考えた。

「あの、キンコーン♪ってやつ、なんとかならないかしら……」

 スマホの着信音ならば、鞄の中やポケットの中といった少し離れたところから聞こえてくるからまだいい。だが、あの「出会いの通知音」は頭の中に直接響く。鳴るタイミングも今日みたいに微妙にズレることがあるようで、しかも不意に鳴らされるといった具合だ。

 せめてバイブ通知みたいに音が鳴らなければいいのに。

 それにしても……ブクブクブク。

 早々に対象者が二人も現れるとは……ブクブクブク。

 これから一体何人の男がリストアップされるのだろうと考えれば先行きが少し不安になる。確かに、対象の相手を幾人か与えるとは言っていたが、

 選択の基準が全く分からない。

 ブクブクブク。

 私の好みは完全無視して良いのか、これは私の恋なんだぞ。

 ブクブクブク。

 相手を示されるとき、そこに私の意思はまるで反映されなかった。

「これはいつの時代のお見合いだ、ったく」

 これでは恋を無理強いさせられ、一年以内に結婚しろと言われているのと同じではないか。

 と、そこで疑問が湧いた。

 これは本当に自分が望んでいる事なのであろうか。

 妖精の言葉によると、確か、私に与えられた神のギフトは、無意識にでも自分が一番望んでいることだといわれていたのだが……。

 どうにも腑に落ちない上に、分からない事だらけ。

「一人目が高木君で、彼は今は未だ二十九歳で、今年三十歳になる。なら二つ下かぁ」

 これまで年下の男性と付き合ったことがない私は、自分の年齢と相まってまずそこに壁を感じてしまっていた。

「で、二人目は陸君で……」

 彼は幼馴染みであり今でも男として見ることが出来ない。しかも彼女持ちなので完全に対象外だった。

 気になるといえば浅田さんだったが、彼に対しては通知音が鳴らなかったので、そこにはきっとなにか理由でもあるのだろう。

「浅田さん、良い人なんだけどなぁ。顔も悪くないし、っていうか男前だしな……。それにしても、何なんだ?」

 一年以内に恋愛を成就させなければならないとは言うものの、何をどうすれば良いのか。「最高の恋」とは果たしてどういうものなのだろうか。

 まずは相手のことを好きになり、次に相手に好きになってもらう。または、誰かに好きになってもらって、その人のことを好きになる。

 どちらにしても恋人になって、それからは……。

「な、なんだこれ!」

 ミッション完結へのシナリオを考えていて、はたと気が付いた。

 重要な事を聞き忘れていたことに気付き愕然とした。

「ゴールが、ミッションクリアの条件が分からんではないか!」

 ミッションのクリアについて、

 私は恋を成就させれば良いと簡単に理解してしまっていたのだが、では恋愛成就が一体いつの時点で認められるのかを知らなかった。

 まさかゴールが結婚ということではないだろうが。

「詰んでんじゃん。もしもそうならば、このミッションはもはや無理だ」

 結婚なんて今日明日にほいほいと成せるものではない。「いや、やろうと思えば籍だけ入れるという手もあるが、待て待て! これってもしかして強制結婚ミッション? いやいやいや、待て、落ち着こう。そうだ! こんな時の為に取説があった」

 バスルーム中に反響する自分の声。

 迂闊だった。こんなにも重要なことに気付いていなかったとは。

 急いで「取説」を頭に思い浮かべた。

 しかし……「あれっ?」いつかのように取説が表示されることはなかった。

 諦めきれずにその後も、何度も念じてはみたのだがやはり結果は同じで、「取説」は表示される気配すら無い。焦りに焦った末に落胆する。

 ブツブツ言いながら湯船に沈み、頭まで沈みながらも考え続けた。それでも、何をどう考えてみても、何の答えも見つからない。ぶつくさと溢した愚痴だけが泡となって水面に上がった。

「くっそー、どうすんだ、これ」

 悩みながら急浮上。半ば諦め、それでも答えは見つけねばなるまいと足掻く。

 のぼせそうになりながら思い悩んでいた時だった。部屋に備え付けの電話の着信音が鳴った。

 気だるさを覚えたままま、浴室から出てパジャマを着た。

 頭にタオルを巻いたまま電話の着信履歴を見るとそれは実家からの電話だった。

 こんな夜にどうしたのだろう、珍しいなと思いながら折り返しの電話をかけた。

「あ、母さん、菜月だよ。どうしたの、こんな時間に」

 何かあったのだろうかと心配しながら実家に電話したのだが、電話に出た母の声が思いのほか落ち着いていたのでとりあえず安堵して用件を聞く。

「あのね、お父さんから口止めされてたんだけど、……だからあんたに知らせようかどうか迷ったんだけどね……」

 母は父の入院を知らせた。父が高い所から落ちて腕と足を骨折したと話した。容体はというと今後の生活や仕事には支障をきたすことがなく心配はないらしいのだが、それでも一度見舞いに行って元気づけてやって欲しいとのことだった。

 このとき母はみなまで話をしなかったのだが、どうやら父は随分と借金のことを気にかけているようであった。

 自分のせいで娘に悲しい思いをさせてしまった。自分の不甲斐なさのせいで娘に迷惑をかけてしまった。返済を肩代わりさせることになり、会社もクビになって、その上に結婚もダメになってしまった。どうもそういう風に自身を責めているらしい。

 そんなことは気にしなくてもいいのにと思った。

 だって私は今、けっこう楽しくやっているのだから。

「よし、元気づけてやるか!」

 濡れ髪をゴシゴシ拭きながら私は独りごちた。

 父に話してあげよう。あの職場の居心地の良さと、そこで働くみんなの様子を、と思ったところで、何故か花見の時のしょげた浅田さんの顔が頭に浮かんできて思わず噴き出してしまった。

 私はもう大丈夫だから、と言って父を安心させてあげよう。

 私はドライヤーの風を心地よく受けた。

 ほろ酔いと前向きな気分。この父の入院が、優斗と私を再び引き合わせる事態に繋がっているとは想像だにしていなかった。


 残り時間  361日と21時間53分20秒

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