第二幕:ひとりぼっち

 ふ、と気付くと目の前は真っ白でした。視界に見える床も天井も壁も、何もかもが白い白い建物の中に、私はひとりでぽつんと立っていたのです。

「こんにちわ!」

 大きな声を出しました。誰かに聞こえるよう何度も何度も挨拶の言葉を出しました。けれども何も返ってはきません。何の音もしません。私はなんとなくそうなる事がわかっていたようでした。何も悲しくありません。

 立っていても仕方がないので建物の中を探索する事にしました。周りにあったのは、真っ白。テーブルもソファーもテレビもカーテンも写真立て、その中の写真すらすべてが真っ白でした。扉を見つけ、移動するためにドアノブを回します。

 ノブを掴む私のその手は真っ赤に染まっていました。ノースリーブのワンピースから見える腕にはいつからあったのか切り傷があり、そこからどくどくと血が流れています。 振り向くと点々と血の跡があり、私が立っていた場所には血溜まりができていました。

 汚してしまった。私はぼんやり考えました。けれどもそれも些末な事です。何故ならここには私しかいないのですから。

 点々と赤い跡とつけながら私は家の中を歩きます。ひんやりとした床の場所につきました。白いタイルの床と壁、そして湯船、お風呂場です。

 そこはお湯は張られていませんでしたが鏡がありました。その鏡には『私』が映り込んでいました。無作為に伸ばした黒い髪、青白い肌、少し垂れ目がちの目。血がついた白のノースリーブのワンピース、血だらけの腕。白い汚れのない何も履いていない足。そして首からぶら下げた白い鍵。映っているのはそれだけで、なんだか少しだけ残念な気持ちになりました。

「私ってこんなんだっけ……」

 鏡に手を伸ばせば当然に冷たい感触しかせず、そして鏡を汚すだけです。シャワーで流してしまえばいいはずなのに、私はそれをしません。不思議とその汚れを落とすのは勿体なく思えたのです。

 そこを出て、すぐ横に階段がありました。なんとなくそこは避けたい気もしましたが、自然と私はその階段に足をかけます。ぺた、ぺた、ぺた、ぎし、ぎし、ぎし。上がるたびに鳴る音に少しだけほっとします。

 階段をのぼりきれば、目の前に扉がありました。ノブを回せばガチッと何かが引っかかる感触がします。鍵がかかっているようでした。鍵はひとつしかもっていません。なんの気なしに鍵を鍵穴に入れればカチリと音がしました。

 その瞬間、私はとても嫌な気分になりました。他の場所へ行こうと思いました。そこは何故かわかりませんが私は行きたくなかったのです。

 開けないで、と頭の中で叫びます。ぼんやりとした意識の中を切り裂くような強い感情に胸が張り裂けそうです。

 それなのにゆっくりと堂々とした私の手は勝手にノブを回します。腕をいくら引いても、傷のない手でドアノブから指をはなそうとしても、どれだけ足で踏ん張ったって私の手は勝手に扉を、開けてしまいました。

 目を閉じようとした私に流行りのアイドルの曲を耳が拾いました。ハッとしてそちらを見てしまったのです。

 そこには、高校生の女の子が1人座っていました。

 いつものTシャツにGパンで小さく三角座りをしています。きっと誰かのメッセージに手で持っている携帯で返信をしているのでしょう。

 大して興味のないアーティストのポスターは友達が好きだから合わせて購入した物。漫画も、ぬいぐるみも、服も、全部、誰かが好きな物。

 泣きながらメッセージの返信をしているのは、彼氏からのつまらないからという別れのメッセージ。


 そこに、ここにいたのはつまらない、空っぽの私でした。


 何もない、私。……だから苦しかった、私。

 何もかも忘れて、いちからやり直したかったんだ。楽しい事、好きな物、沢山のものに囲まれて私は普通になりたかったんだ。みんなみたいにちゃんと笑って、怒って、泣いて。真似しなくてもちゃんと表現できる私になれると思ったんだ。

 でも、わかってたんだよね、私。だから鍵を持たせたのでしょう?

「苦しんでる私は、ちゃんと『私』でしょう?」

 私は静かに近寄って、小さくなり閉じこもっている『私』を抱きしめました。腕の傷がズキリと痛んだのは、私がこの傷が私の痛みだと認めたから。自然と頬に暖かく伝うものを感じました。だから私は、より強く目の前の『私』を抱きしめたのです。

「大丈夫だよ、『私』 ……。ちゃんといたんだよ、ここに。だから、私達のいる場所に帰ろ?」

 それは縋るような、包み込むような、今まで自分が出したことのない暖かい声で、ぎゅうと抱きしめる腕に『私』の体温を感じさせてくれます。苦しんで苦しんで、今まで見てあげれなかった『私』はようやく振り向きました。

「今度はちゃんと、大切にしてね?」

 「努力するよ」 と返事をすれば、私達は困ったように、けれどもしっかりと笑いました。その笑顔を見ると安心したのか私の意識は遠のいていき……。


 目を開くと目の前は真っ白だった。真っ白な天井……いや、よく見たら少しシミが見える。……と、云うことはここは現実なんだろうか。

「目が覚めましたか?ご自身の名前は言えますか?」

 声が聞こえる方に目をやると、そこには見覚えのない中年の男性が座っていた。白衣を着ているので多分医者。……ということは病院?

 片腕が動かない。ちらりと見ればギブスをつけている。ベッドに横たわる私から見える窓には、小鳥が飛んでいるのが見えた。

「私、飛び降りた気がします」

「はい、入り組んでいる橋だったので奇跡的に道路ではなくその隣の河に落ちました。腕は折れてしまいましたが、綺麗に折れていたのでしっかりとくっつきますよ」

 自殺しようとしたが、助かったのか。ちらりと気まずい気分になって医者を見る。

「すいません、あの、なんかお手数おかけしまして……」

「いえいえ、助かって良かった。私は助かってくれて良かったですよ。ラッキーです」

「はあ……?」

「命あっての物種です。目の前で人が死ぬより生きてくれたほうが私にとっては嬉しいのです。……君は違ったかな?」

 自殺しようとした人間に不思議な事を聞く人だ。変わっている。変わっているけど嫌いじゃない。

「生きちゃったからには生きるしかないなぁと思いました」

へへ、と思わず医者に笑うと医者は優しく微笑んで私の頭を撫でてくれた。

「やっぱり私はラッキーです。君の命が救えて良かった」

 助けてくれてありがとう。少しだけ言おうかと思ったけれど、なんだかそんな事よりも私は私の気持ちを優先することにした。

「せんせい、私の名前は霧島 みなせ。お腹が空きました!」

元気に言ってからへへへと笑ったら、さっき大事にしてねと言った私が笑ったのか、私の胸が温かくなるのを感じた。

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