12. 俺の変わりゆく日常
85枚目 小さな苦悩の種
「……はぁ」
今日もその
最初こそ千秋の気の所為とも思いたかったが、二人の空気感はどこかおかしい。
葵もそれに気付いている可能性はあったが、あの性格ではこちらの表情を見て嘘を吐いている場合も少なからずあった。
(大方……俺が混乱するとか、気を遣わせたくないとか、そういうくだらない理由なんだろうな)
まったく呆れる、と小さく独り言ちる。
何でも言ってくれていいのに、葵はどこかで明確な線引きをしていてそれ以上は決して踏み込んで来ない。
こちらから歩み寄らない限りそうなのだから、時として困惑する事も多々あった。
(いや、俺が神妙な顔で言ったからだ)
感情の機微にはこと疎い方だと思っていたが、どうやら千秋の表情から、葵は何がしかの違和感を感じたのだと予想付ける。
自身はあまり感情が顔に出る方ではないと自負しているが、その予想が当たったとすればしくじった。
いや、そもそも不自然に隠そうとしたから葵に気付かれたのだ。
あれで中々鋭いところのある妹は、どこか
面倒な事を一切せず、お互いがお互いを受け入れたらいいだけなのだが、両者にはそれ相応のプライドというものがあった。
(まずは俺の方から大人になるべきか)
はは、と知らず乾いた笑いが漏れる。
「……それが出来れば苦労しないんだ」
ごろりと寝返りを打ち、千秋は目を閉じた。
今日一日で色々と考える事があったからか、もうどうにでもなれとさえ思う。
(郁は後々何か行動するだろうし……一旦保留にしておくとして)
どうしても気になれば
あまり年頃の小学生になりきれていない麗は、渋々ながら郁の学校や家での様子を教えてくれるだろう。
(あいつの今の見た目はめちゃくちゃ可愛いんだけど。やっぱ警戒されてるよな)
前世からの因縁とも言えるそれは、未だはっきりと麗に許してもらっていない。
そもそも二人で話せるような場面が無いというのもあるが、麗が千秋を避けているというのも否めない。
(ちょっと家行ってみるかな)
どちらであっても千秋が行動を起こしさえすれば、麗はそれに応えざるを得なくなる。
今世で再会して少し話した時、麗は義理堅い人間だとなんとなく理解したからだ。
「手ぶらもなんだしクッキーでも作って、あとは……」
ちらりと見えた麗の今世での母親に挨拶も兼ね、やや重く感じられるかもしれないが、菓子を持って訪ねてみようと思うのだ。
なんと言っても麗はそう遠くない未来、名実共に自身の弟になるのだから。
規則正しく鳴るスマホのアラームの音で、夢の中にいた千秋の意識がゆっくりと浮上する。
ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返し、もそりとベッドから起き上がった。
枕の横に無造作に置かれ、小刻みに振動を起こすスマホは時々鬱陶しい。
まだ眠っていたいというのもあるが、アラームを切ってからが面倒だった。
(今日は来てないよな……?)
恐る恐るスマホの画面をスライドし、アラームを切る。
すぐさま通知欄が表示され、うっすらと目を細めながら千秋は画面を見た。
「あ、良かった。何もない」
ほっと千秋は胸を撫で下ろした──のも束の間、画面にメッセージが表示された。
『おはよう千秋』
『寝落ちてた』
『今日大学来る?』
『同じコマだよな、いつものカフェで待ってる』
『あれ、起きてる?』
以下、『おはよう』と手を上げてにこにこと笑う太陽のスタンプが連投されていく。
「うわぁ……」
ひくりと千秋の頬が知らず引き攣る。
バイブ音が立て続けに鳴り響き、耳を塞ぎたくなるほどだ。
げんなりとした心の内はそのままに、気乗りしないながらもメッセージアプリを開いた。
『おはよう』
ただ一言、そう簡潔に打ち込む。
『おはよーーーーー!』
『今日は天気いいよ!』
続けざまにポン、と目をハートにした太陽のスタンプが送られた。
「……元気だな」
無意識に年寄りのような言葉が口をついて出る。
朝っぱら、それも五時前にこれなのだ。
時々千秋がアラームを切った時にメッセージが送られてくる事があり──相手はいつ寝ているのか知れたものではないが──、こちらの身にもなってほしい。
おおよそ今日も飲み歩いていたのだろうが、千秋はほぼ寝起き同然の有様だ。
まだ頭がぼんやりとしているが、少しイラつきこそすれこうした憎めない性格の相手は、後にも先にもいないだろう。
本音は叶うならばすべてを投げ出してしまいたい。
しかし、そうも言ってられないのが今世での
「あー……休みてぇ」
ガシガシと頭を掻きつつ、小さく
のろのろと部屋から出て洗面所で軽く身支度を済ませると、千秋はキッチンに立った。
どうやら両親ともに葵もまだ寝てるようで、誰もいないキッチンに少し冷たい空気が漂っている。
今月二度目の
千秋はそれを温めている間、冷蔵庫からロールパンを二つ取り出してそのままかぶりつく。
未だ止む気配の無いメッセージを薄目で読んで返して、を何度か繰り返していると、鍋が小さく音を立てた。
少し深めの皿によそい、行儀は悪いが立ったままスプーンで食べる。
じゃがいもや人参が大きめに切ってあり、これはこれで食べ応えがあった。
「……美味い」
当たり前だが、百合の作る料理はれっきとした母の味なのだ。
百合にレシピを聞いて手ずから作ってみる時もあるが、やはりこの域にはまだ達していない。
「まぁ当たり前だわな」
千秋は小さく自嘲する。
前世で生きたうちの大半はあまり料理をして来なかったせいか、今世では美味いものを沢山作ろうと意気込んでこれだ。
葵は笑顔で美味しいと言ってくれるが、個人的にはまだまだだと思う。
そう言葉にすれば、『料理人にでもなるつもり?』と引かれそうだから言わないが。
(……いっそそれも楽かもしれんが)
料理をするのは好きだが、あくまでその知識を増やすのが楽しいからだ。
勉強も同じで、きっと大学を卒業したら大学院に進学するだろう。
ただ、その間の人間関係ほど面倒なことはない。
「まずはこいつをどうにかするか」
毎日毎夜、こちらの都合も知らずに性懲りも無く突っかかってくる相手をどうにかしなければ、残りの学生生活が危ぶまれるのだ。
はぁ、と嘆息して千秋はスマホのメッセージアプリを閉じた。
『たいよう』と表示された相手は、千秋がポトフを食べている間メッセージは一切来ていない。
大方、カフェへ着くまでの道中を歩いているのだろう。
その間に素早く身支度を済ませると、時刻は五時五十分を過ぎたところ。
まぁこんなもんか、と呟いて冷蔵庫のホワイトボードへ『ポトフごちそうさん』と書き置く。
玄関を開けると、空の向こうで眩しい太陽が顔を覗かせようとしていた。
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