84枚目 いつもの事
「よし、食べるか」
「頂きます」
茶碗に白米をよそい、テーブルに着くと二人揃って手を合わせる。
こればかりは日本人として染み付いたものなのか、
「そういえば母さんと父さん、前も一緒に出掛けてたわよね」
生姜焼きを口に運びながら、葵は真正面に座っている千秋に問い掛ける。
「先週だっけ、確かに行ってたけど……それがどうした」
「スパンが短いなって。ほら、前は一回行ったら二週間くらい空けるのに」
貴仁は外交官として世界中を飛び回っている為、あまり家に帰る事は無い。
その代わり、妻を労るべく結婚記念日とクリスマスになるとディナーに行くのだが、今回は帰ってから二回デートをしている。
元々両親は家では口数が多くない。しかし二人の時となると違うのだろうか。
貴仁は子煩悩でうるさいと思う時の方が多いが、反対に百合は家と仕事の線引きをしっかりとしている反面、貴仁にすこぶる甘い。
惚れた弱みというやつか、両親の間には葵も経験のある雰囲気があった。
「今回は休みが短いんだろ、多分」
一瞬考えた後、千秋が興味無さそうに言う。
こちらはこちらで貴仁に対して辛辣だ。
それもこれも千秋が前世で家族に愛されなかった
(あ、しくじった……?)
タブーだというのは頭のどこかで理解していたが、予想の遥か斜め上をいく冷めた声音に背中を冷や汗が伝った。
「でも二人で行くくらいなら、連れて行ってくれてもいいと思うの」
しかしここで打ち切るのも何か後味が悪い気がして、葵は言葉を続ける。
合間に食べるおかずの味がしないのは、この際無視だ。今は何としても、この淀みつつある空気を浄化したかった。
「反抗期かと思えば、そんなこと言ったり忙しいな。……構って欲しかったら俺が居るんだ、どっか行くか?」
葵の必死な剣幕がおかしかったのか、千秋がくすりと小さく笑う。
僅かだが、普段通りの妹を想う優しい兄に戻った気がした。
「兄さんには可愛い彼女がいるでしょ」
少し澄ました口調で言い、その子とデートすれば、と続ける。
数秒の間を置いて、千秋が箸を取り落とした。
(もしかしなくてもまた、駄目なことを言った……?)
葵は内心で頭を抱えたくなった。
つくづく自分は大事なところで空気が読めず、それは時として人を呆れさせるのだから、今のこの状況は冷や汗でいっぱいだ。
高らかな音が二人だけのリビングに響き、どちらも何も発さない為か、箸を落とした余韻が長く残る。
(な、何か言いなさいよ! 気まずい。……気まずいじゃない!)
リビングの時計が静かに秒針を刻み、どれほど経っただろう。
いよいよ葵が限界になった時、ようやっと千秋が唇を開いた。
「…………は?」
たっぷりと時間を溜めて出た予想以上の素っ頓狂で短い呆れ声に、葵は文字通り目が点になる。
「一体何を仰っている?」
心底分からない、という表情と声音に葵は今すぐ逃げ出したくなる。
いや、仮にこのまま逃げたとて、もう一度同じ事が繰り返されるだけなのだ。
「……違うの?」
だから葵は素知らぬ顔で、さも『知りませんでした』というふうを貫く。昔も今も、すべてそうして来たから通るだろう。
「はぁ……お前は本当に顔に出やすいよな」
やや憐憫の眼差しを向けてくる、千秋以外には。
(ば、バレてる。やっぱりバレてる……!)
どうやら葵が無表情を貫こうが、それはあくまで『
「違うも何も。──あの馬鹿もややこしい事を」
ぽそりと呟かれた言葉に、葵は首を傾げる。
「どこをどうしたらそう思うんだか。じゃあ聞くけど、俺が一度でも『彼女出来た!』って報告してきた事あったか? ……無いだろ。というか言ったらすぐにでも母さんに言うだろ」
それが嫌なんだ、と千秋は続ける。
「で、でも兄さん、ここ何日かはずっと私よりも遅くに起きてくるじゃない。あれじゃあ朝食当番も意味無いし……」
五月になってからずっと、それこそ麗と千秋が今世で出会った時からだった。
普段は葵が起きる前にキッチンに居るはずが、この数日は冷蔵庫に適当にあるもので朝食を済ませている。
弁当も作らないといけないがそんな時間は無いため、もっぱらコンビニか学校の購買部でパン一つを買う毎日だ。
本来であれば『もっとちゃんとしたものを食え』と母親のように小言を言うはずが、それが無いから葵は少し怖くもある。
(まさかだけど私が作ってって言うのを待ってる……?)
自身が前世の記憶を取り戻す前ですら、あれよあれよと手を焼いてこちらが嫌だと言っても聞かなかった千秋が。
今世では兄として、出来うる限り前世の罪を償わせてくれと言った、あの千秋が。
(それはなんだか……可愛い、かも)
もう朝からやんわり諫められる事も、急かされる事も無いのは寂しいが、そうだとすれば葵がしっかりしなくてはいけなかった。
「あ、それはすまん」
「謝罪が軽い!」
軽く片手を上げただけの言葉に、思わず葵は突っ込んだ。
「ちょっと面倒な事があってな、しばらくは朝飯作れない」
言うの遅くてごめんなぁ、と間延びした語尾で言う口振りには覚えがある。
そして前言撤回だ。
こうなった時の千秋は、その面倒事が終わればすぐさま元の生活に戻るだろう。
そして兄らしく世話を焼いたかと思えば、母親のように口を酸っぱく小言を言うのだ。
(何が可愛いよ、やっぱり兄さんは緋龍でしかないのに)
はぁ、と葵は深く長い溜め息を吐く。
毎日が平和過ぎて忘れつつあるが、やはり千秋の中身はどう足掻こうと前世の人物像そのまま、もしくはそれ以上にタチの悪い性格なのだ。
「あ、それと一週間くらい家空けるから。母さんに言っといて」
取り落とした箸を拾うと、千秋はキッチンの流しに立った。
箸を洗いつつ、なんでもない事のように言う。
「え」
今度は葵が素っ頓狂な声を上げる番だった。
「なんだよ。……ああ、成程」
葵の態度に何か合点がいったのか、次第に千秋は瞳を輝かせる。
「……そうか、葵はお兄ちゃんがいなくて寂しいのか」
素直になれよ、と口元を隠してニヤニヤと喜びを抑えきれないでいる千秋のさまに、ぴくりと葵の頬が引き攣った。
「──に」
「ん?」
ガタン、と葵は椅子から立ち上がる。
そして箸を洗って戻ってきた千秋に向けて、人差し指を突き立てた。
「別に寂しくなんかないし! 寧ろ兄さんなんか、いなくてせいせいするわよ!」
文句ある!? と、我ながらツンデレなことを言った自覚はある。
しかし、撤回しようにも今更口を出た言葉は巻き戻せない。
「ふ〜ん? へぇ〜?」
「な、何よ。さっきからニヤニヤして」
にこにことこちらが嫌になるほど美しい笑顔に、葵は堪らず着席する。
「まぁそう思っておいてやるよ。あ、生姜焼き食う?」
くすりと小さく笑いながら、千秋は葵の返答を待たずして更に生姜焼きを一枚乗せてくれる。
「何も言わなくてもくれるんでしょ。……食べるけど」
つん、とそっぽを向いきつつ葵は小さく「ありがとう」と呟いた。
「おう、いっぱい食べてでっかくなれよ」
よしよし、と葵の頭を撫でて子供扱いするまでがワンセットなのは止めて欲しい、と思う。
ただ、葵の頬は千秋に撫でられている間ほんのりと色付いていた。
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