83枚目 微かな違和感

(なんだか拍子抜けしちゃう)


 千秋がフライパンで玉ねぎを炒め、葵は隣りでレタスを切っていた。

 百合の書き置きを伝えてからすぐに料理に取り掛かったのはいいが、それまで会話の一つしていない。


 普段ならば会話をし、時として料理が焦げたり時間が経っているのも忘れたりするのに、だ。

 心なしかぼうっとしているようにも見え、二重の意味で葵は気が気じゃなかった。


(でもそうか、郁くんと歌月さんの事をはぐらかしたと思われてるから……呆れられてるのかも、きっと)


 千秋はあまり気分の波がある方ではない。

 かと言って寡黙でもない為、その加減が時々分からなくなる。

 

 馬鹿なふりをしていようと、騙せるのも一時だけで千秋には必ず気付かれる。

 人の感情を察しやすいと、冷静に物事を見られるものなのだろうか。


(どっちにしろ私には到底無理だもの。たまに空気読めてないよ、って一華いちかにも言われてるし……)


 はは、と自然に乾いた笑いが出る。

 ズバズバとものを言う親友は時として残酷な反面、その言葉がありがたくもあった。

 葵は考えるよりも先に言葉が先に出るから、諭してくれる人間が近くに居ると救われるのだ。

 

 しかし住む世界が前世の時点で違うと、こうも性格に差が出るものなのかと恨めしく思う。

 

 千秋は出会った頃は簪屋の店主で、その出自は侯爵という遥か彼方の人間で。

 その逆に自分と麗は一般的には裕福だったが、どこにでもいる庶民となんら変わらない生活を送っていた。

 

(兄さんとの違いって結局は教養なのかしらねぇ)

 

 一度に色々な事を考えると、頭痛がしてくる。


(にしても、父さんのあの紙……適当に破って捨てたけど)


 貴仁が殴り書きをした手帳か何かの切れ端は、千秋を呼びにリビングへ行く前に手近にあったゴミ箱へ投げ入れた。

 ただでさえ千秋との関わり方だけでもやきもきしているのに、郁と歌月のことに加えて貴仁との話──もとい説教が、これから待っているのだ。


 何時に帰るのかは分からないが、貴仁とて久しぶりに帰ってきたから遅くなる事は必至だろう。

 そもそも、百合とデートに行く時は互いにめかし込んでお高い店へ行くという。


 ディナー形式がほとんどだと、百合が幸せそうな顔で惚気とともに言っていたから、早くても二十時から二十一時には帰宅すると葵はみている。

 酔って書き置きの内容を忘れてくれていると大変ありがたいが、貴仁は基本的に酒豪だ。


 ちょっとやそっとでは酔わないし、普段から素面しらふで帰ってくる。

 そして、憂鬱なのはここからだ。

 乱雑な筆跡から、大体の内容の予想は付いていた。


 きっと、ここ数日前に葵が少しお洒落をして出掛けたから貴仁は心配なのだろう。

 年頃の娘の父親らしく、その気持ちは分かる。

 分かるが、今回ばかりは説明する事そのものが面倒くさい。


(絶対に何があったか細かく聞くつもりだわ。ネチネチネチネチ……しつこいくらいに)


 小学生と付き合ってます、と正直に言えるならここまで苦労はしていない。

 一般的に見れば、葵にソッチの気があると取られてもおかしくはないのだ。


(あ、考えたら胃が)

 

 きりきりと腹痛がする気配に、ひくりと頬が引き攣る。

 ここまで来たら文字通り腹を括って貴仁と対峙する他ないといえた。

 

「──い、あおい……」


 ぐつぐつと何かが煮える音と自身を呼ぶ気配に、葵の思考はそこで止まる。


「っ」


 はっと手元を見ると、いつの間にかレタス一玉がこんもりとまな板の上にあった。


「ご、ごめん」

 

 葵は考えるよりも先に謝罪する。

 半分ほどサラダに使い、残りは切らないでいいと言われていたが、自分でも気付かないうちにすべて切っていたらしい。


「……いや。ひとまず残りはスープにでも入れるから、そのままにしておいてくれ」


 苦笑しつつフォローされる事が、今日ほど申し訳ないと思った事はなかった。

 千秋としてはなんら気にしていないふうだが、それでもまとう空気にどこか違和感があるのは事実だ。

 普段ならば葵が考え事をしていても、わざと茶化したりとぼけたりするのに、それがない。


(やっぱりおかしい)


 そう思うと同時に、リビングでのやり取りが引っ掛かった。

 千秋はあの時、何を言おうとしていたのだろう。


『郁もだけど、あの家のメイド。なんかおかしくなかったか?』


 神妙な顔つきで問われたそれは、千秋なりの「確認」なのだろうか。

 自分の考えがおかしいのかどうか、確認をしても葵にすらその真相は分からないのに。


(はぐらかさなかった方が良かったのかな……)


 もしもしっかり答えていれば、千秋はなんと返していただろうか。

 

(ううん、兄さんは必ず一人で抱え込む)

 

 きっと微笑んで、何事もなかったかのように「気にするな」と言うだろう。


 いつもそうだ。

 肝心な事は教えてくれず、かといって悟られないようにするのだから千秋という人間はタチが悪い。

 

 こちらがどんなに「大丈夫だから言ってほしい」と言おうが、それ以上の言葉でね付ける。

 千秋との間に見えない壁があるかの如く、その声は、言葉は届かないのだ。


(いい意味で聖人君子せいじんくんし、悪い意味で人に頼らない馬鹿……ってところかしらね)


 仮にも今世では血が繋がっている兄妹なのに、酷い言い草だと思う。

 しかし、頼らないのは事実なのだから千秋に反論の余地はないに等しいのだ。


(もっと素直になってくれればいいんだけど)


 いつの間にか豚肉と玉ねぎの炒め物が出来ていたらしく、食欲をそそる香りがキッチンに漂っている。

 

 葵は隣りで料理をする千秋を盗み見つつ、不自然にならない程度の行動を心掛けながら手伝った。

 

 スープの具は卵と玉ねぎを入れて完成していたようだが、そこに葵が切り過ぎたレタスを入れて弱火にし、沸騰しない程度に再度温める。


「そういう使い方もあるのね」

「……母さんがやってたのを見てな。普通の卵スープよりも豪華だろ?」


 目線は鍋に向けたまま千秋が言う。

 低く心地良い声はいつもと変わりないが、伏せられた睫毛が頬に柔らかな影を落とし、どこか幻想的な感想を抱いた。


「あとは、そうだな。レンジに生姜焼きがあるから出しておいてくれ」


 ぱっと葵に向けられた瞳に、先程までのかげりはない。

 寧ろ空元気かと思うほどいきいきとして見え、逆に言えば疲労が見え隠れしていた。

 

「わかった」


 しかし、わざわざ指摘しても返って疲れさせるだけだ。

 葵は考えを払拭するようににっこりと微笑む。

 

 サラダは盛り付けるだけだから余ったレタスをさっと洗い、ドレッシングを掛ければ完成だ。

 これだけでは彩りに欠けるから、という千秋の謎のこだわりで、冷蔵庫からプチトマトを取り出して各自皿に盛り付ける。


「待って、いつもより品数多くない?」

「こんなもんだよ」


 キッチンを挟んだテーブルに料理を並べると、二人分だというのに四人掛けのテーブルが半分近く埋まった。

 生姜焼きを盛り付けている皿が大きいだけなのだが、それでもサラダとスープがあるから少し嵩増して見える。

 

「どうしよう、ご飯少しにしておく?」


 言いながら葵はしゃもじを持ち、炊飯器の前に立った。

 葵は部活をしているというのもあるが、甘い物は元からあまり食べない。

 郁の所でおやつを食べたとはいえ、その量は多くないが夕飯を食べ過ぎると翌日の朝練に響く。


 食器棚から茶碗を出しつつ千秋が言った。

 

「いや、いつも通りでいい。どうせ朝は走りに行くから」

「え!?」

 

 図らずも葵は素っ頓狂な声を上げる。

 

「なんだよ」


 じとりとわざとらしい視線を真正面から受けつつ、葵は口元に手を当てる。

 

「珍しいわね。前もやってたけど三日経たず止めたのに」


 どういう風の吹き回しよ、と問うと呆れた溜め息と共にやや視線が鋭くなる。

 

「あのな……俺だって体型くらい気にするんだよ」


 そう言われたものの、シャツの上からでも逞しい腹筋があるのが分かる。

 男女の意識の違いからかもしれないが、これのどこが「気にしている」というのか疑問だった。

 

「本当に気にしてたらお夕飯は少なくするものよ」

「いいだろ、別に」


 葵からの皮肉をしっかり受け取ったのか、唇の端を釣り上げるさまはいっそ小憎らしい。


(あ、元に戻った?)


 ふと思った考えも、瞬く間に霧散する。

 千秋が無言で二人分の茶碗を差し出したからだ。


「いつも通り、ね」


 千秋にも聞こえないように鼻歌を歌いながら、葵の頬にも笑みが広がっていた。

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