78枚目 使用人の秘密

 郁が持ってきたものは、手作りしたと一目で分かるクッキーだった。

 形が崩れているものもあれば、店で出したのかと思うようなものもある。


「これ、郁くんが?」


 葵がさもワクワクした口調で言う。


「そう、僕と歌月ちゃんで作ったんだ!」


 葵に聞かれて嬉しいのか、郁は少し自慢げに胸を張った。


「へぇ。見た目はまぁ……悪くないな」


 寧ろ小学生にしては上手く出来た方だろう。

 千秋はそっと崩れかけたクッキーをつまみ、口に運ぼうとした。


「あの」


 ひっそりとした声は、千秋の真正面──扉の前でちょこんと佇む歌月から発されたものだ。


「……それが私で、こっちが郁くんで」


 千秋の方を、次いでクッキーの入った皿を指さした。


「え!?」


 どう足掻いても逆だろ、という言葉はすんでのところで飲み込む。


(ってなると上手いな郁!? 普通の子供ならこうはならない……はず)


 千秋とて最初から上手く料理が出来た訳ではない。

 母である百合ゆりや祖母の手先を見様見真似で何度も練習し、やっと形になったと言う方が正しかった。


(俺ですら昔は料理の『り』の字もなかったのに。お前は何者なんだよ)


 にこにこと葵や麗にクッキーを勧める郁を横目で見つつ、先程とは打って変わってオドオドしている歌月に違和感を覚えた。


「すみません、お菓子作りはした事がなくて……うぅ」


 今にも泣き出しそうな、申し訳なさそうな表情で言われると千秋の中の庇護欲をくすぐられる。


「……良かったら俺が教えましょうか?」


 気付けば口から出ていたのは、葵が言うところの「お節介」だった。

 元来、歌月のように背格好が小さい小動物系の異性に弱いきらいがあった。


「まぁた始まった」


 葵がぽそりと呟いた言葉は、真横に座る麗にさえ聞こえていないだろう。


「いいんですか!?」

「え、はい。料理はよくする、んで……?」


 歌月の反応に少し仰け反りつつ、千秋は僅かに後悔しそうになった。


(ただクッキーの作り方を教える、ってだけなんだけどな。さっきとギャップが違い過ぎるだろ)


 千秋は普段から本能のおもむくままに振る舞ってはいるが、ころころと表情が変わる人間が苦手だ。

 何を考えているのか分かりやすいところはあるが、前世で相手のペースに振り回されたトラウマがあるからだろうか。


(終わったらすぐ帰ろう、そうしよう)


 元々郁の前世を知る為に来たが、その予想を遥かに超えている豪邸にあまり長居するつもりはない。


(メモでも書いて質問なりがあれば教えて、無理矢理でもいいから葵と麗を連れて帰る。よし、これで行くか)


 葵は分からないが、麗は今すぐにでも帰りたがっていたから簡単だろう。

 ある程度言うことが決まれば、普段と同じく人好きのする笑みを顔に貼り付け、千秋は口を開く。


「じゃあ──」

「ありがとうございます! ではキッチンにお連れしますね!」


 紙とペンを、と言おうとするよりも早く、歌月がぐいと千秋の手を取って立ち上がらせた。


「え、ちょっ」


 驚いている間も歌月は千秋の背を押し、半ば無理矢理部屋から退室させる。


「行ってらっしゃい、兄さん」

「僕も後で見に行くね〜!」

「……精々頑張れよ」


 葵と郁の能天気な声と、麗の小さくもよく通る声を最後に扉が閉まった。



「なぁ、歌月……さん」


 長い廊下を進み、キッチンへと続くだろう所で千秋はようやく口を開いた。

 歌月にはもう背中を押されてはいないものの、何故か嫌な予感が背筋を駆け巡ってならなかった。


「なんですか〜?」


 その名の通り歌うように問うてくる歌月に、段々と苛立ってくる。


「なんですか、じゃない! わざわざ部屋を出る必要なんかないだろう!?」


 菓子作りの為に、と付け加える。

 初心者でも失敗せず出来る作り方は頭の中にある為、それを教えようとした。

 だから何かメモを執るものを、と言おうとした途端これでは何も出来ないだろう。


「何か郁に聞かれたくない事でもあるのか、お前には」


 前を歩いて先導していた歌月が振り向いた。


「私はあるんです」

「っ」


 にっこりと微笑んだ歌月に、空恐ろしいものを感じたのは何故だろうか。


「郁くんの秘密、知りたいんでしょう?」


 一歩、また一歩と距離を詰めてくる歌月からゆっくりと後退あとずさる。


「何故そう思った」


 確かに知りたいが、それは他人から聞いていいものではない気がした。

 あくまでも自分から聞き出したい、そんな願いとも言える言葉は心に留めておく。


「ふふ、分かっているでしょうに」


 くすりと小さく口角を上げた歌月の表情に、千秋は目を見開く。


「お前、は……」


 そこから先の言葉は紡げなかった。


「教えて差し上げます。あの方のことも──私のことも」


 カツン、と歌月の履いているヒールがひそやかに音を立てる。

 使用人一人すら通らない長い廊下の真ん中で、千秋は歌月という『人』に頭を引き寄せられ、唇を重ね合わせられたのだから。

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