72枚目 前世の縁(えにし)
大きめの皿には葵の手の平大ほどのハンバーグと、色とりどりの付け合せ野菜が盛り付けられていた。
その右上にはコーンポタージュが透明な硝子細工のコップに注がれており、涼やかなさまを
「……頂きます」
千秋は小さく挨拶をし、ナイフとフォークを手に取った。
ほんのりと湯気が立つハンバーグにナイフを入れると、じゅわりと肉汁が溢れ出す。
その旨味を逃がさないように、急いで口へ運んだ。
「
「ふふ、そうでしょ。頑張ったんだから残さず食べてね」
向かいに座る葵が満面の笑みで言う。
「誰が残すか。毎日食べてもいいくらいだ」
「頂きます」
千秋の言葉にますます笑みを深めると、葵もナイフとフォークを持つ。
千秋は小さな頃からハンバーグが好きだ。
何故かは分からないが、特に葵の作るハンバーグが大好物なのだ。
年が離れているせいもあってか、葵が高校へ進学するまでは千秋が夕食を作っていた。
しかし、いつの間にか葵は料理の腕を上げ、こうして千秋の口に合うものを作るまでになっている。
(今の今まで、俺の真似をしていたんだろうが……前よりも美味いとは恐れ入るな)
千秋は敢えて口にしていないが、葵は生まれた時から前世の記憶を持っていないと予想している。そして、その予想はきっと当たっている。
記憶を取り戻してからの性格は変わっていないが、今まで以上に思ったことを遠慮なく言うようになった。
千秋がからかえば少し怒って、ほんのり照れるさまは変わらない。
ただ、その口調は時々敬語になり、この数日で格段に料理が上手くなっていた。
千秋以外から見れば、その変化に「年頃だから」と一言で済ませられる事だろう。
両親ですらそう思うほどの些細なものだ。
そして、本人ですら言動の変化に気付いていないように思う。
(無意識なんだろうけど)
葵は心から笑うようになった。
これは確かな事実であり、紛れもない変化だと言える。
自身の前世を打ち明ける前も、葵の笑顔を見る事は星の数ほどあった。
ただ、今の葵が『本当の』葵なのだろうと千秋は思う。
本人も気付かないうちに心に穴が空いており、その穴は『和さま』が埋めてくれたのだろう。
くりくりとした瞳の可愛らしい、少し体の弱い少年。
千秋も昔、
(あんな可愛い笑顔を俺に見せてくれないのは……妬けるな、兄として)
昼間、葵と少年──麗のやり取りを遠くから見て思ったことだ。
葵の心を巣食う前世のしがらみ──飛龍の、ひいては千秋との確執から解放された事で、本当の意味で心に余裕が持てたのだろう。
その事が悪い事だとは思わない。
寧ろ葵にはこの先、何事もなく幸せになって欲しいと願っている。
(今は麗、だっけか)
葵に特徴を聞いていた千秋は勿論だが、麗にとっての千秋は会った事もない初対面の人間のはずだ。
それもこれも全員が全員、前世と同じ姿をしていないからだった。
葵や自分は勿論のこと、麗は小学生の低学年程度だろう。
そんな可愛らしい少年の成りをした「男」は、気の向くまま葵を探しに来た千秋を視界に入れると、双眸を鋭くしたのは遠目にもわかった。
その瞬間この少年が麗であり、葵の前世の夫なのだと完全に理解した。
小さな公園での出来事は、そして因縁の再会は、この先千秋が忘れる事はないだろう。
◆◆◆
葵の行く先が、公園の中にある遊園地だというのは予想していた。
元から来たいと行っていた為、先回りして一人で遊園地内を歩いていると、
両側に小学生ほどの少年らを連れており、片方に少年は知らないが、昨日聞かされた『和さま』の姿もあった。
(許せよ、葵)
自分がストーカー紛いの事をしている事はとうに分かっている。
けれど、そこは前世でも似たようなものだったためか、今の自分に呆れるしかなかった。
俺を恨むならここまでさせる自分を恨め、と千秋は心の中で付け加える。
堂々としていても既に怪しいのか、ちらほらと子供が千秋に向けて指を指していた。
それに気付かないふりをしながらバレないよう、数メートル離れた物陰から見守っていると、どうやら和さま──麗は疲れてしまったようだ。
「よぉ、和則サマ?」
麗が一人でベンチに座ったのを見計らい、千秋は歩きながら声を掛ける。
前世の名を呼ばれるとは思っていなかったのか、千秋の事を元から知っていたのか、麗は瞳を見開いた。
「……なんで、お前が」
小学生にしては低く、けれどどこか甘さを含んだ声で小さく唸る。
「居ちゃ悪いか?」
その問いに千秋は飄々と返しつつ、ベンチに座った。
本来は家族連れで座るものなのか、小学生と大人が座るには人ひとり分の余裕があった。
「……いいや」
そう言ったきり麗は黙り込んだ。
唸ったり溜め息を吐いたり、一人で百面相するさまは駄々をこねる前の子供のそれだ。
膝に置かれた小さな手に、ぎゅうと力が込められた。
(何を考えてるのかは知らないし、興味も無いけど)
麗が俯いたため、千秋はゆっくりと少年の頭から爪先を見つめた。
風に攫われてしまいそうなほど細く、すべてが頼りない。
しかし、その頭の中には大人以上の知識が詰まっている。
知らないふりをして生きる事がどんなに辛いか、千秋には痛いほど分かっていた。
それが小学生の時分では尚更だ。
言われたことを理解していようとも、建前では年相応に行動しなければ怪しまれてしまう。
仮に両親が素の自分を許してくれようとも、外の世界ではそう甘くない。
少しの言動が不信感を抱かせ、場合によっては見せ物にされる事も少なくないのだ。
ただ、麗はそこを上手くやっているように思う。
少なくとも他人の目には、どこにでも居る子供として映っていただろう。
(そんな身体じゃ守れもしないだろうに)
簡単に折れてしまいそうな手も、小枝のように細い脚も、しっかりと発達するまで少なくとも十年は時間が掛かる。
十年も待つとなると遅過ぎる。
葵と再会を果たした時から守ってくれなければ、千秋は安心できないのだ。
葵にもし何かがあれば、千秋はすぐに駆け付けられないだろう。
ずっと傍に居られるわけではないのだから。
「なぁ」
その時、俯いたままの麗が尋ねた。
控えめながらしっかりとした声音は、やはりそこらの子供とは思えない。
どう足掻こうと隠しきれていない、大人の男としての部分が見え隠れしていた。
「お前は俺と同じだ、って言ったら怒るか?」
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