8. 前世の俺の一目惚れ
52枚目 前世の覚悟とその想い
ガタンゴトン……、ガタンゴトン……。
帰りの電車に揺られつつ、
(兄さんは兄さんで、どうして言おうと思ったんだろう。あの日は……そんな素振りなかったのに)
授業中や部活中に考えることはないにしろ、こうして一人きりでいると、数日前に
『次の金曜日、その事話すから』
葵が訊ねた時は、はぐらかされたように思った。
けれど、千秋が自分からそう言ったということは自身には前世の記憶があり、すべてを話す決意をしたという事になる。
葵の中にある「答え合わせ」をする分にはありがたい。けれど、その日から奇妙な違和感が葵の頭の中から離れなかった。
(えっと、今日は水曜日だから……
毎日朝食を兄妹で交代して作る、というルールがあるからか、ある程度の予定は朝食を食べるついでに把握している。
今日は遅くなる、明日は早めに出る、といった具合に、大雑把とだがお互いの予定は分かっていた。
しかし、毎週の金曜日は、本来ならバイトを入れているはずだ。
シフトは先の月末に申請済みで、今は五月の半ば。
明後日のバイトが無いという事は、まるで「こうなる事が分かっていた」と言っているようなものだった。
(って、そんな訳ないわよね。きっと「予定が出来たから」って誰かと変えてもらったんだわ)
頭に出かかった疑問を打ち消す。
あの日から一週間近くが経っているとはいえ、ここ最近の千秋は少し抜けている時はあれど、心優しい兄の顔をしていた。
しかし、ふと神妙な顔付きになるのが葵は怖かった。
まるでじっと見ている、と暗に示しているようで。
(でも……)
千秋に前世の記憶があると仮定して、もしも葵の前世と面識がある人物だったら。
それが合っていたとしたら、千秋はどんな心境だったのだろうか。
考えていることは本人にしか分からないにしろ、もしも葵が千秋の立場なら気まずさが残る。
どう接していけばいいかということは勿論、相手も前世の記憶を持っているとは限らない。
もしも面識のない人間ならば、端から悩む必要はないだろう。
葵も本心ではそう思っているのに、どうしてもあの「男」が脳裏に浮かんでしまうのだ。
(私は私だけれど。兄さんが緋龍であれば私は……)
ぎゅ、と無意識のうちに吊り革を強く掴む。
それだけはやめてくれと祈るように。
◆◆◆
千秋が言っていた金曜日になった。
今日一日は一向に気が休まったことがない。
学校で授業を受けている間も上の空で、何度か教科担当の教諭──特に|数学教師で担任の
そんな普段と違う葵を心配してか、
気にしないで、と苦笑混じりに言うと、そこまで追求してくることはなかった。
親友にまで迷惑を掛けてしまう自分に、罪悪感が湧き上がったのは言うまでもない。
(全部兄さんのせいよ、そう……兄さんのせい。私が授業の内容すら入ってこないのは、兄さんのせい!)
元からあまり勉強は得意な方ではないが、今回ばかりは千秋のせいにしても罰は当たらないだろう。
ふぅ、と一度深呼吸をして心を落ち着ける。
この扉を開けてしまえば、もう後には戻れないのだ。
葵は重い手を奮い立たせ、千秋の部屋のドアをノックする。
しばらくして「入っておいで」という優しい声が聞こえた。
「学校お疲れさん」
振り向きざまににこりと微笑みを浮かべた千秋が、今まで勉強していたであろう椅子から立ち上がった。
「……兄さん、も。お疲れ様」
何か返さなければ、という思いで俯きがちにそんな言葉を口にする。
「おいおい、俺は一日家に居たんだけど?」
覚えてないのか、と千秋がおどけた口調で言う。
「そ、そうよね! 駄目ねぇ、私ったら。勉強ばっかりでもう忘れてるみたい」
普段となんら変わらない声と口調に、葵の緊張しきっていた糸がゆっくりと
この際、千秋のせいで授業に身が入らなかった、というのは伏せておいた。どう足掻いても最終的には百合に伝わるからだ。
「けど、洗濯やら掃除やら頑張ったからなぁ。お兄さまを
言うと、千秋はわざとらしく両手で顔半分を隠し、ちらちらと葵の方を見る。
「それって兄さんが褒められたいだけでしょ」
「いーや、違うね。俺は純粋に……」
ほとほと呆れてしまうが、これでも一日中家のことを頑張ってくれたのだ。少しは言う通りにしてもいいかもしれなかった。
調子のいいところがあるが、憎めない人間というのが千秋だ。
「……ふ、ふふっ」
「あ、笑うなよ! 俺は本気で言ってるんだからな!?」
今日あった小さな事で言い合っていると、笑いが込み上げてくる。
そんな葵につられてか、しばらくして千秋も堪えきれない、というように表情を崩した。
(やっぱり兄さんは兄さんなのね)
こうして千秋とくだらない事で言い争ったりしてると、平和だと思う。
それと同時に、やはり千秋は「兄」なのだと思う。
今日この日、何を言われるのか知らないわけではないのに、だ。
「──さて、葵」
「うん」
お互いが落ち着いた頃、千秋が冷静な声音で切り出した。
立ったままではなんだから、と千秋は自分の椅子に、葵はベッドの上に腰掛けている。
「俺がこうして部屋に呼んだ理由、分かってるよな?」
じっと葵を見つめる、自分とよく似た海のように深い瞳は、怖いほど真剣だ。
「勿論」
葵も負けずと瞳に力を込め、見つめ返す。
ここで逃げていては、何も始まらないと分かっていた。
「……本当にいいのか?」
千秋は最後の忠告とでもいうかのように、もう一度聞いてくる。
心なしか、今から言うことを
「大丈夫。覚悟ならできてる」
それでも葵の意思に、瞳に、迷いはない。
葵が後に引かないことを悟ったのだろう。
千秋は小さく溜め息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「お前が予想してるように、俺は緋龍だよ。──いや、
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