30枚目 小さな変化

 ピーチチチッチチッ。


 小鳥のさえずりが、どこかから聞こえてくる。

 外では太陽が燦々さんさんと輝いていた。時折風が吹き、それも相まってポカポカと気持ちのいい陽気だ。


 暖かく心地よい日差しが、過ごしやすいこの季節が、麗は好きだ。


 それは勿論、前世でも同じだった。

 前世で麗──和則かずのりは病におかされる前まで、剣術の鍛錬を欠かさなかった。大正の世になっても、いつ何処で襲われるのか分からない。それに、身体を鍛える事も兼ねていた。


 息抜きに庭を散歩する事もあった。

 その傍には当然、葵──美和みわも居た。


 二人手を繋いで、今日こんな事があった、あんな事があった、と話したものだ。

 にこにこと話を聞く美和が女神のように見えて、それが和則にとって眩しくもあった。

 けれど、幸せな日々は唐突に終わりを告げる。


 結核をわずらってしまったのだ。江戸の頃より不治の病と言われ、年間で数万人が亡くなってしまったという病を。


 そんな病に和則は冒されていた。日に日に痩せ衰えていく身体が辛く、代々の華山かやまの家に伝わる短刀で切腹してしまおうと思ったほどだ。


 最終的には妻を遺して逝くのが怖くなり、自然に任せるように死んでいった。

 死ぬ間際に『来世こそ一緒に生きて幸せになろう』と遺したが、ずっと気掛かりなことがある。


 その『呪い』は美和にとって重荷にはならなかったか、苦痛を与えてはいなかったか。そんなことを転生した今も時折思い出しては、罪悪感に駆られてしまうのだ。


 和則が愛した人はあれでいて芯が強く、明るい女性だ。それは再会してからも変わっておらず、寧ろ夫婦だった頃よりも頼もしくなった気がする。


 「きゃー、待ってー」 

 「外行こー」

 「──ちゃん、一緒に帰ろー」


 バタバタと教室内を走る音と少し高めの声が次々に響き、麗の思考はそこで止まった。


 (……現実逃避してる場合じゃない)


 がくりと手を組み、項垂うなだれる。

 小学校へ入学してひと月。普通の子供なら、一ヶ月も経つと性別関係なく友達が沢山出来ているはずだ。


 けれど元来の性格ゆえか、はたまた近づき難いオーラを子供たちが無意識に感じ取っているのか。麗はクラスの中であまりにも馴染めずにいた。


 しかし中身は成人しているのだ。一人は慣れているし、なんなら一人で居る方が気楽でいい。


 それに、誰にも邪魔されず自分の思考に没頭出来ることは麗にとって貴重だった。

 もっとも、麗の頭を埋め尽くすものは主に葵だけだが。


 「あの、麗くん」

 「うん?」


 軽く服の裾を引っ張られ、反射的に振り向く。まさか百面相しているところを見られていたのか、と恥ずかしくなった。


 「あ、君は確か……」


 少しくせっ毛のある茶髪。ほんのりと上気した頬に笑みを貼り付け、話し掛けてきた男の子。


 その子供には見覚えがあった。隣りの席に座っているから、視界にずっと入ってくる。麗にとっては、可愛らしい同級生だ。


 「金城かなしろいくだよ! ね、一緒に帰ろ?」


 くりくりとした大きな紫の瞳が、麗をじっと見つめていた。


 郁は純粋に麗と帰りたいのだろう。そして、あわよくば仲良くなりたい。そんな思いを悟ってか、麗の心がゆっくりと浄化されていく音がした。


 (ま、眩しい……)


 その声音が、瞳が、あまりにも純粋で、思わず手で顔を覆う。


 ついこの間まで幼稚園に通っていたはずが、今日この日になって小学生相手に己の汚さを自覚する事が来ようとは。

 さすがの麗でも予想出来なかっただろう。


 「うん、帰ろっか」

 「やった!」


 にこりと笑って了承すると、郁は先程よりも笑みを深めた。


 膝に置いていた麗の手を両手で掴み、感情に任せてブンブンと上下に振る。

 それも小学生かと思えないほどの強い力で、だ。


 「は、ははっ……」


 さすがの麗でも、今の身体では痛い。けれど、そんな郁に愛想笑いを返す。


 今だけは笑顔で上機嫌なものの、子供の感情は時として変わりやすいのだ。麗はその事を、前世で充分なほど身をもって知っていた。

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