25枚目 ヤケ酒とその後と
『しっかし、やりすぎじゃないか?』
会社からすぐ近くの飲み屋。
将英の真正面に座っている片桐が、枝豆をつまみつつ言葉を紡ぐ。
あの後部下と手分けして(途中から片桐も手伝いつつ)、三十分足らずで終わらせた。
部下は終始半泣きだったが、終わったと同時に逃げるように退勤。礼を言う間すら与えてくれなかった。
『まぁ……な』
頼んだノンアルを舐めつつ、将英は
凄んだ自覚はあるが、将英にとって可愛い部下だ。休み明けの日に菓子折りなりを持って、謝罪と礼を言いにいこうと心に決めた。
『で、なんだよ話ってのは』
自由人な同僚のために、まっすぐ帰ることを諦めたのだ。それ相応の理由があって将英を誘ったに違いない。
『ん? 話があるのは八坂の方だろ?』
何言ってるんだ、といった顔で片桐は小首を傾げる。
当の将英はといえば、頭にはてなを浮かべていた。なんなら持っていたジョッキを取り落としそうになったほどだ。
(おい待て、俺の話は今朝言った事で全部のはずだろ。それをどうしてまだあるって踏んだ)
呆れたらいいのか、笑い飛ばしたらいいのか。
実際のところ、片桐に話したことが全てだ。それ以上何かあるのなら、将英がどれほど早希を愛しているかということだけ。
我ながら独り身の同僚に
『あれは今朝で終わりって言っただろ。今更──』
『携帯見てみな』
『……ん?』
言葉を遮られたが、片桐に言われるがままにスーツの胸ポケットに入れていた携帯を取り出す。
『なん、だ……これ』
『うわ、こりゃ酷でぇな』
言葉が出ないとはこういうことを言うのだろう。
ひょいと片桐が携帯を覗き込み、
そのどれもが四宮朝陽からのもの──と思われた。
将英は携帯を仕事用と身内用に分けている。その身内用に有り得ない表示があった。
仕事をしている間は携帯をマナーモードにしている。
昼には早希と二、三往復のやり取りをするため一度携帯を起動しているが、当たり前ながらその時は何も無かった。
それが今、こちらが引くほどの着信履歴には朝陽の名前がフルネームで表示されていた。それだけならばまだ、多めに見積もっても可愛いものだと思えただろう。
驚くべきことはメッセージアプリだ。数十件の催促がなされ、最新の表示には「お酒飲んでた時はあんなに可愛かったのに〜」と吐き気がする文面。
そんなの知るか、と突っ込まざるを得なかった。
『…………片桐、俺を信じてくれるよな?』
ズズズ、と某映画のおどろおどろしい効果音が付くほどの声音で、真正面に陣取る片桐に問う。
『も、もちろんに決まってるだろ! 俺とお前は親友なんだからさ──ほら、飲め。早希ちゃんには俺から連絡入れておくから』
ポン、とテーブル越しに将英の肩を叩く。
弾けんばかりの笑顔で言う片桐を見ていると、今まで悩んでいたことが馬鹿らしくなった。
『……今日は飲んで飲んで──飲みまくるぞーー!』
将英はジョッキを高く掲げ、声高に叫んだ。
◆◆◆
『で、潰れちゃったってことね』
はぁと溜め息を吐いて、早希は将英の頭を撫でる。
頬が林檎のように紅潮しており、気持ち良さそうに寝息を立てている。それだけならまだしも、時折「早希」と呼ぶのだから怒るに怒れそうもない。
『そうなんだよ……。ま、俺が
将英が酔った事情を玄関先で掻い摘んで説明し、役目は終わりだとでも言うかのように片桐は
『毎回ごめんね。ありがとう、
『いいってことよ。んじゃ、またな』
早希が申し訳なさそうに眉尻を下げる。けれど片桐はなんら気にしたふうもなくニカッと笑う。
将英の交友関係は狭いが、その分長く太い。
早希と出会った当初は、真面目を体現したかのような男だった。だからか、酒の席ではハメを外しすぎてよく酔い潰れていたことを覚えている。
そんな将英を何度か介抱して、やがて付き合うことになった。けれど、まさか結婚してから介抱する頻度が増えるとは。
片桐とは高校時代からの親友らしいが、将英が片桐自身を「親友」と呼んだことはただの一度もない。
(話しにくいことを私よりも月冴くんに話すあたり、信頼してるのよねぇ)
仕事の愚痴やあれそれを早希に言って、負担にさせたくないのは分かる。けれど早希としては、不安なことがあったら吐露して欲しい、というのが本音だ。
そんなことを考えていると、パタンと戸が閉まる音が聞こえた。玄関先には未だ潰れた将英と早希の二人だけになった。
『まさくん、起きて。こんな所にいちゃ風邪引いちゃう』
ゆさゆさと将英の肩を揺さぶる。さしずめ早希でも大の男を寝室まで運べない。
『んん……早希ぃ』
『お水いる? 持ってくるけど』
『ん、いる……』
『じゃあ手を離してくれるかな』
早希の右手は将英に握られていた。片桐が居た時からこれだ。
すぐに振り解けそうなほど弱い力だが、早希の方から離しても捕まえてくるのだからどうにもできなかった。
『戻ってくる……?』
『うっ』
早希の言葉に、今まで閉じられていた新緑色の瞳が開かれる。その目は酒に酔ったせいか、とろりと
酔った将英を見るのは何度もあったはずなのに、幼子のように甘えてくるのは初めてだ。
(可愛い、じゃなくて! しっかりしなさい私!)
将英に酔った後の記憶が無いとはいえ、少しときめいてしまう自分が憎い。
『戻ってくるから、離してくれる?』
さらさらと指通りのいい頭を撫で、ゆっくりと語りかける。
『ん、待ってる』
撫でられるのが気持ちがいいのか、将英はゆるゆると手を解放する。そして『早希』と甘えた声で、幼い子供がするようににこりと笑うのだから、早希の心はキャパオーバーしそうだった。
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