12枚目 愛しい子、どうか

 言葉には言霊ことだまが宿ると言う。

 何度も何度も唇にのせることで、言葉そのものに霊力が交じるのだ、と。古来からそう信じられてきた。


 (烏丸葵、それが今世での美和の名か……)


 じんわりと心にみてくる。強く、優しかった美和にぴったりの名前だと思った。


 「葵……葵、かぁ」


 自然と口角が上がったのが分かる。

 嬉しくて嬉しくて、麗の頬はほんのりと赤く色付いた。

 きっと麗はこの名を呼んで、何度も何度も愛しい気持ちになるのだろう。

 そうして口の中で反芻はんすうし、やっと実感した。


 (今度は何があっても離さないから。だからどうか、お前も離れないでいて)


 そんな想いと共に、ふんわりと笑う。大輪の花が万を満たしてほころぶかのように。

 わずかにだが、麗を見つめる葵の瞳が見開かれた。


 何を思っているのかは本人にしか分からないが、きっと麗と同じで嬉しいのだろう。そう思うことにした。

 前世の、百年以上の時を経てまた巡り会ったのだから。これが嬉しい以外のなんだというのか。


 「さ、麗。ずっとここに居たら冷えてしまうから帰りましょ」


 やがて早希が麗の肩に手を添えて、先をうながした。

 よくよく考えれば、随分長い間外に出ていた事を思い出す。

 春とはいえ、朝の空気はまだ肌寒い。


 無意識のうちに身体が冷えていたのだろう。服越しに添えられた早希の手が、じんわりと熱かった。


 「……ん」


 名残り惜しいけれど、帰らなければならない。

 葵と話したいけれど、この身体がまだ丈夫ではないことは、麗自身がよく分かっている。

 こくりと首肯し、麗はきびすを返した。


 「葵ちゃん、だったかな? 良かったらこの子のこと、よろしくね」


 麗が葵に背を向けて歩き出したとき、母から葵に放たれた言葉を麗が聞き逃すはずもなかった。



 ◆◆◆



 「さ、麗〜。お待たせ……って、あら」


 三面鏡と長い間睨めっこしていた早希が、ややあって麗の方を振り向く。

 すると、そこには麗が規則正しくすやすやと眠っていた。

 時折むにゃむにゃと幸せそうに、唇をほころばせている。


 そんな息子に愛しさが溢れるが、部屋の時計は九時三十分に差し迫ろうとしていた。

 入学式に遅れてしまう前に、そろそろ家を出なければならなかった。


 ふぅ、と苦笑しつつ、麗を起こすべく肩を軽く揺さぶる。


 「麗、起きなさーい」


 何度か揺すり動かすと、わずかに高い声が麗の口から漏れ出た。


 「ん、んん……」


 丸く大きな瞳がゆっくりと開かれる。


 「おはよう、麗。準備出来たから行こうか」

 「ん……うん」


 まだ夢の中にいるのだろうか。

 頷いたはいいものの、もそもそと目を擦る麗の行動がいつになく子供らしくて、早希は一層頬に笑みを浮かべた。

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