11枚目 繋がる想い

 ──美和。俺の愛しい人。


 名を呼ぶたび、笑みを浮かべて和則の傍に居てくれた。

 病床に伏せた時も、安心させるようにずっと手を握っていてくれた。


 そして今。目の前にいるその人は、光の加減によって黒くも蒼くも見える瞳を、めいっぱい見開いて麗を見つめている。

 桜の花弁はなびらのように慎ましやかで、可愛らしい唇。それが今は、ほんのりと色付いている。

 紛うことなき記憶と同じ『美和』だ。

 違うことといえば、身にまとう服くらいのもの。

 そもそも、前世で愛し合った人を間違えるはずがない。麗はどこかで確信めいた自信があった。


 「かずさま……和則かずのりさま、なの」


 その声を聞いた途端、トクトクと心臓が早く脈打った。

 多少声は震えていたが、鈴の鳴るような声音は美和そのもの。

 だからか、口をついて出そうになったのも仕方ない。


 「俺は」


 八坂麗、そう言うのか。いや、あの反応を見る限り麗が『和則』だと気付いている。

 けれど、どうしてか今世での名を言うのは躊躇ためらわれた。


 既にお互いは新しい人生を歩んでいるのに。

 何がそうさせるのか。

 何が麗の言葉をはばむのか。

 答えは簡単だ。


 (怖いんだ、俺は)


 名を告げれば、今世を精一杯生きようとしている美和の負担になってしまう。他でもない麗自身が。


 晩年、病床に伏せってしまったとはいえ、麗の身体は完全に丈夫になったわけではない。

 毎年季節の変わり目には体調を崩すし、早希に心配をかけた事なんて数え切れないほどだ。

 ここに美和が加わる事だけは避けたかった。

 もう泣かせたくはない。愛しい人の涙を見るのはごめんだからだ。

 泣かないにしても、困惑させたくない。

 そんな想いとは裏腹に、口をついて出たのは小さな、小さな言葉だった。


 ──出会えて良かった。


 きっと、この言葉は風に攫われて聞こえていない。

 そんな時だ。


 「──い……麗、どこにいるのー!?」


 どこからか声が聞こえた。

 今度こそ早希が心配して探しにきたのだ。

 物心がついてすぐ、麗はよくここに来ていたから。


 (もっと話したかったんだけどな)


 今どうしているのか、いくつになったのか、麗を……和則を覚えているのか。

 伝えたいことは沢山あったが、時間が来てしまったようだ。

 仕方ない、と諦めてキョロキョロと辺りを見回す。


 「……母さん?」


 俺は此処だ、とでも言うように少し声を張り上げて。


 「麗!」


 すると、声が届いたのだろう。まだろくに髪をセットをしていない早希が現れた。

 麗の姿を見つけると、足早に駆け寄って抱き締める。


 (本当に……この人は過保護だな)


 今世の母からのハグを何とはなしに受け入れ、ぼんやりと場違いなことを思った。

 しかし、心配を掛けた事に違いはない。せめてこのまま好きなようにさせたかった。


 「いきなり走っていくんだから……。探したのよ、勝手に居なくならないで」


 心底安堵した、という声音で早希が言った。少し声が震えているのは、気のせいではないだろう。


 「……ごめんなさい」


 ぽそりと一言呟いた。

 せめてもの謝罪と、おずおずとながら早希の背を抱き締める。腕が短いから、首に捕まっているようなものだが。


 そして早希からは見えないが、美和らしき人──いや、美和がこちらをじっと見つめている。

 その顔は、なんとも言えないような感情がぜになって表れていた。


 (今、何を思っているんだ)


 今にも泣き出しそうな、そんな表情だ。

 いや、本当に泣いていたのかもしれない。

 どちらにしろ、麗が次に取るべき行動は決まっていた。


 くるりと踵を返そうとするその人を、黙っていられるほど大人ではないのだ。


 「あの!」


 自分でも大きな声が出たことに驚きつつ、これだけは伝えなければと思う。


 ──美和。俺はお前と……。


 また一緒に生きていきたい。

 たとえ年が離れていても、目の届く所に居てほしい。考えたくはないが、麗以外の男と結婚する未来があったとしても。


 「俺、八坂麗っていうんだ。い……お姉さんの名前は?」


 口をついて出た言葉は、麗が一番知りたいことだった。名を聞いていたら、繋がりができるからだ。


 早希が居る手前『今の名前は?』と聞くことはできない。

 それに、形だけとはいえ『年の離れた友達』として傍に居ることができる。

 そんな麗の言葉の裏を汲み取ったのだろう、なんとも可愛らしい声音で言葉を紡いだ。


 「私は……烏丸、葵」


  小さな声音で紡がれたその名を、麗はずっと忘れないだろう。

 そんな予感がした。

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