9枚目 この想いに誓う

 しばらくして分かった事がある。

 一つ目。今の自身は赤子であること。

 二つ目。大正の時代から現代──平成と言うらしい──へ転生したということ。

 三つ目。和則かずのりれいという新しい名を貰い受けたということ。


 少なくともこの三つは確定しているが、いくつか分からないこともあった。

 美和がこの現代に、転生しているかどうかだ。

 当然、今世での名も違うだろう。和則がそうであったように。


 「さ、ご飯食べましょうね〜」


 今までの思考を停止させるかのように、見れば分かるほど柔らかそうな「何か」を口元へ持ってくる人物が一人。

 和則の──麗の今世での母親だ。名を早希さきという。


 今の和則は、すっぽりと身体を包み込むような椅子に座らされているのだった。

 目の前にあるそれは、ドロリと原型が分からないほど溶けている。離乳食という、生まれて少し経った赤子が食べるものらしい。


 正直、この食べ物だか飲み物だか分からないものが、和則は嫌いだった。

 先程からさじすくわれたそれをぐいぐいと押し返しているのだが、もはや無意味らしい。

 諦めて和則は小さく口を開けた。すると、早希はすかさず離乳食を流し込んでくる。


 もちゃもちゃ……ごくん。


 しかし、この身体は美味いと感じるから不思議な感覚だ。

 ほんのりと味がついている、ということだけ分かるが、最初は味覚がおかしくなってしまったのかと危惧きぐしたほどだ。


 (あぁ、固形物が恋しい。俺は二十代だというのに……)


 今の自分は赤子で、まだ歯も生え揃っていない。仕方ないことだが、柔らかくどろりとした食感が和則には合わなかった。


 「よしよし、いい子ね〜。もう少し食べようか」


 そんな和則の心情を知ってか知らずか、早希は離乳食をもうひと匙掬い、口元へ軽く押し当ててくる。

 当たり前だが、この繰り返しだ。


 まだ小さな赤子は人の手が無いと生きられず、栄養を与えないと命を落としてしまう。

 けれど今の和則には、この時間が苦痛でもあった。

 身体が赤子というだけで、心は二十代のまま変わっていないのだ。

 所謂いわゆる、前世の記憶があるというやつなのだろうか。普通ならば絶対にないであろう感情さえ、心の中では明確に思ってしまうのだから。


 せめて話すことができれば、と何度思ったか数えきれなかった。

 加えてこの身体は、本人の意思に反して思うように動かないらしい。それを知ったのがつい数日前なのだが。


 諦めて時の流れに任せているしかなかった。あと数年もすればはっきりと話せるようになり、自分の脚で立てるようにもなるのだから。


 「んーんっ」


 もう要らない、という意味で匙を持っている早希の腕ごと突っぱねる。

 幸い、赤子とは気まぐれなものなのだ。前世、美和との間にできた子をあやしていたから、多少はどんな行動を取ればいいのかわかる。


 それにしてもあの頃は大変だったなぁ、と頭の片隅でひっそりと思った。


 「あら、もういらないの?」


 早希が努めて明るい声音でそう言うと、麗を抱き上げ、椅子から下ろした。

 まだ座れもしないため、つんいのまま、きょとんとした表情で早希を見上げる。

 すると、慈愛に満ちた瞳で見つめ返された。


 「お腹いっぱい食べたね。偉い偉い」


 ゆっくりと手を伸ばし、さらさらとした髪を優しく撫でられる。

 離乳食は嫌いだが、和則はこの手で撫でられるのが好きだった。

 温かく心地いいこの手は、美和と同じものだ。


 前世で病に伏した時も、時折頭を撫でて励ましてくれた。

 病に打ち砕かれそうになると、和則の手を握って気を強く持たそうとしてくれた。

 早希と同じ優しい声音で「大丈夫、きっと良くなるから」と、何度も言ってくれた。


 仮に転生しているのなら、また美和と出会えるのなら、和則はなんだってするだろう。

 それほど愛していたから。勿論、今もその気持ちは変わらない。


 (……早く美和に会いたい)


 心地いい手の感覚に身をゆだね、和則は今日も一日を生きる。

 すべては美和ともう一度再会し、いつの日かまた夫婦になるために。

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