第17話 球技大会 其の7

「ええ、祥子、いきなり何をするのよ。わたし、まだサーブを成功させていないのよ。なんで、ご褒美タイムみたいになっているのよ。それも、こんな公衆の面前で」

「違うから、澄。そう言う事じゃあないから。いいからあたしの言う通りにしなさい。ほら、左手でボールを持つ。そして、右手のラケットを、ボールのすぐ下で構える。それで持って、ラケットでボールをポンと打つ。はい、こうしてこうしてこう」


祥子が、澄の体の後ろに立って、澄の右手と左手を、自分の右手と左手でそれぞれつかんで、アンダーハンドサーブの動きを、澄に実際にやらせます。すると、澄はボールをラケットで打つことができました。その方向は見当はずれでしたが、澄は大喜びです。


「わあ、わたしにも、ボールが打てた。どういうことなの、祥子」

「ええとね、澄。落ち着いて聞いてね。テニスのサーブにはいろいろな種類があってね、澄がやろうとしてもできなかったのは、オーバーハンドサーブって言うの。それなりの大会に出るような選手だと、たいていこれをやっているわね」

「うん、祥子。だから、私もそのまねをしてみようと思ったんだけど、ちっともうまくいかなかったわ」

「で、あたしがやったのは、アンダーハンドサーブって言って……」

「そう、あんな凄いの、私初めて見ちゃった。やっぱり、祥子ねえ。あんなことやってのけちゃうなんて」

「じゃあ、今度は澄だけで、今あたしとやったように、アンダーハンドサーブをやってくれるかな」

「だけど、さっきは祥子が手伝ってくれたから、うまくボールがラケットに当たったけれど、普通のサーブもできないわたしひとりじゃあ、祥子みたいな凄いこと、とてもじゃないけど、できないと思うんだけど」

「いいから、とりあえず、やるだけやってみなさいな、澄」

「祥子がそう言うなら、やってみるけど、失敗しても笑わないでね」

「はいはい、笑わない笑わない。さあさあ、早くしなさい、澄」


 祥子にそう言われて、澄は緊張した面持おももちで、アンダーハンドサーブの構えを取って、左手に持ったボールをじっと見ていたかと思うと、おもむろにラケットを振り始めます。


 ぱこん!


 先ほどまで、自分一人では、ボールにラケットをかすらせることすらできなかった澄でしたが、今回は、ラケットでボールを前に飛ばすことができました。祥子に手伝ってもらった時よりも、さらに輪をかけて明後日の方向に ボールは飛んでいきましたが、澄のはしゃぎようは大変なものです。


「当たった! 当たったわ! ねえ、ほら、祥子。見てくれた。ボールが前に飛んでったわ。こんなの初めてよ。なんで? どうして? なんでこんなわたしが、こんな祥子みたいに、すごいことができちゃうの」

「その理由を今から説明するから、まずは冷静になってね、澄」


 すっかり、喜色満面の澄に向かって、落ち着くように言い含める祥子です。


「それじゃあ、行くわよ、澄。このアンダーハンドサーブはね、いわゆる初心者向けの方法でね、どれくらい初心者向けかと言うとね、中学生の地方大会レベルでもね、これを試合でやったら、周りに『おいおい、あいつ、試合でアンダーハンドなんかやってるぜ』『うわ、だっせ』、って言われちゃうレベルなの」

「へえ、そうなんだ」

「だからね、このアンダーハンドサーブはね、澄が言うようなすごいものでも何でもないの。それで、これを澄が球技大会でやってもね、観客が『澄さん、素敵』『あのサーブは何? あんな華麗なサーブ見たことがない』、と言う事には絶対にならないの。で、あたしはそのアンダーハンドで、サーブを成功させられるように、澄に練習してほしいんだけど……」

「うん、わかったわ、祥子。それじゃあ、さっそく始めるわね」


 澄への特訓内容の提案に、澄が気乗りしないと考えて、今一つ押しが足りない祥子です。しかしながら、その提案をあっさり受け入れて、すぐに実行しようとする澄でした。


「そうよねえ、嫌よねえ。澄にもイメージというものがあるもんねえ。そんなイメージをぶち壊すようなまねはできないわよねえ……ええっ! やるの、澄?」

「だからそう言ってるじゃあない、祥子」

「だけど、さっきも言った通り、アンダーハンドサーブは、テニス初心者がやる、へたくそだってことが、まるわかりになっちゃうサーブなんだよ。それを、華麗で気品あふれる澄がやるなんて……」

「何言ってるのよ、祥子。いくら、フォームを格好良くしたって、ボールがラケットに当たらなきゃあ、何の意味もないじゃない。それに、祥子言っていたじゃない。『今回は、スポーツが苦手な彼女を、彼氏がフォローする』、と言う路線で行くって。祥子が、本当はテニスができるのに、テニスがあまりできないという体裁ていさいでやるんだから、わたしだけわがまま言うわけにはいかないじゃない」

「で、でも。あたしは、普段、かわいいアイドル系の千沙川祥子を演じているんだから、少しくらいテニスがへたくそでも、そのイメージに大した傷はつかないわ。だけど、澄は違うじゃない。いつも、あんなに凛としている澄が、そんな道化どうけみたいなことをするなんて。それに、その体裁だと、澄は秀君に助けられるっていう筋書きになるんだよ。澄はそれでいいの?」

「だから、良いも悪いもないじゃない。何はなくとも、サーブを成功させなきゃあならないんだから。それに、そもそも、わたしが、球技大会でいい格好をしようとしたせいで、祥子に迷惑をかけているんだから、祥子は、私のイメージとかそんなことを、いちいち気にしなくてもいいの。秀が見せ場を持っていくのは、少ししゃくだけれども、この際どうだっていいわ」

「澄。あたしは、今回の一件、全然迷惑だなんて思っていないからね。結構楽しんでいるんだから。だからその、澄も、そんなに気を回さなくてもいいんだからね」

「あら、ありがとう、祥子。それじゃあ、さっそく遠慮なんかしないで頼み事しちゃおうかな。わたしがアンダーハンドサーブをうまくできるようになるまで、しっかり指導してくれるかな」

「うん、わかった、澄。あたしの指導は、厳しいわよお」

「おお、怖い怖い」

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