第15話 球技大会 其の5

さて、まずは、秀と明との特訓です。


「それじゃあ、始めようか、明」

「今、俺のことをなんて呼んだのかな、秀」

「えっ、明を“明”と呼んで、何かまずかったかな」

「ふざけるな、俺のことは“教官”と呼べ。この、地球上の、どんな女と比べても、俺が付き合いたい人間ランキングが上になることはない、最低最悪の男のカスが。今から、お前が口のしていい言葉は、『教官、了解』だけだ。どうだ、お前みたいな、見てくれだけはいい、頭が空っぽな能無し野郎にも覚えられるように、言葉を選んでやったぞ。嬉しいか、嬉しいだろう、嬉しいと言え……どうしたんだい、秀。とりあえず、鬼教官風に行こうと思って、適当な罵倒文句ばとうもんくを、並び立てたんだけど、なんだか、ちっとも悔しそうじゃないね。それどころか、表情がにこやかと言うかなんと言うか……」

「いやその、明……じゃなかった。教官が、このわたくしめをそんな具合に、ののしっていただけるのも、これはこれでぞくぞくとして、気分が高揚こうようしてくるものでありまして。それに、見てくれがいいなどと、最高のお褒めの言葉までいただいてしまって……」


秀のマゾヒスティックな言動に、明は態度をあらためます。


「うん、秀がそういう性的嗜好なら、別に俺が無理して厳しく当たる必要もないや。普通に行こう」

「そんな、教官。そんなご無体な。特訓じゃないですか。しごきじゃないですか。理不尽な命令をじゃんじゃん与えてくださいよ。このわたくしめの顔を、苦痛にゆがませてくださいよ。教官は、わたくしめに言ってくださったじゃあありませんか。教官にできないことを、わたくしめがやらせていただくのは素敵なことだと。それを今、実行しようじゃあありませんか。教官が加虐かぎゃく的で、わたくしめが嗜虐しぎゃく的となる。教官が言ったのは、そういう事じゃあないんですか」

「わかったわかった。今回の球技大会の件が上手く行ったら、たっぷり可愛がってあげるから。それまで我慢しなさい、秀。とりあえず、今は一生懸命、ボールを追いかけようね」

「本当ですか。約束ですよ、教官。わたくしめは、素晴らしいご褒美を期待していますからね」

「おおよしよし、いい子だから待っていましょうね。それから、もう教官なんて呼ばなくていいよ、いつも通り、明でいい」

「了解です、明」


明は秀をあやしつつ、特訓をし始めます。秀と明が、それぞれコートの反対側に陣取ります。


「それじゃあ、まず初めに、秀、そこで素振りして見せてよ。フォアハンドで。フォアハンドはわかる、秀?」

「ああ、いわゆる普通の打ち方だな。それじゃあ行くよ、いち、に、さん」


ぶん!


秀のスイングは、フォームだけを見れば、なかなか様になっています。それを見た明は、感心の声をあげるのです。


「へええ。悪くないじゃあないか、秀。見事なスイングだよ」

「それはもう。澄とのテニスの前に、鏡の前で散々素振りの練習をしたからね。いかに美しくラケットを操れるかを意識して」

「ふうん。一流のテニスプレーヤーは、素振りひとつ取っても、二流や三流とは一味違うらしいし、見た目を意識した、鏡の前での練習は、理にかなっているのかもな」

「そうかい、明。でも、一度ボールが飛んでくると、そのボールを目で追いかける事で、途端に頭が追っつかなくなっちゃって、フォームがバラバラになっちゃうんだけどね」

「なるほどお、それは問題だけど、素振りに問題はないんだから……秀、そこから、右方向に、いち、にの、さんで、右足、左足、右足と出して最後の“さん”でラケットを、フォアハンドで振ってくれる。秀は右利きだから、それでいいはずだよ」

「わかった。じゃあ行くよ。いち、にの、さん」


びゅん!


秀のサイドステップからのスイングを見て、明は何かを心に決めたようです。


「じゃあ、一旦元の位置に戻って、秀。そうそう、それで、今度は、目をつぶって今と同じ動きをしてみてくれ」

「目をつぶっちゃうの、明? だけどそれじゃあ……」

「つべこべ言わないの。さんはい」

「わ、わかったよ、明。いち、にの、さん」


明は、秀を元の場所に戻らせて、さらに妙なことをさせます。その言葉に秀が、訳もわからずに従ってラケットを振ると……


ぱかん!


景気の良い打球音がして、秀がラケットで打ち返したテニスボールが、明のいる方のコートに飛んでいきました。秀は、何が何やら分からないと言った様子で、ただ興奮するばかりです。


「明、明。なんか、今、すっごく気持ちよかったよ。僕、今何したんだい。目を閉じていたから分からなかったよ。ねえ、けちけちせずに教えてくれよ」

「別にたいした事じゃあないよ。秀の振るラケットに、当たってこっちのコートに戻ってくるように、俺が位置とタイミングとスピードを調整して、ボールを打っただけさ」

「それって、とんでもなく難しい事なんじゃあないのかい、明」

「そうかな。ま、実際にこうして上手くいったんだから、難しいとか簡単とかは問題じゃあないのさ。今問題なのは、いかに秀が、華麗に球技大会でテニスを披露できるかってことさ」


あっけらかんとして、とんでもないことを言い放つ明に対して、秀は今にも嬉し泣きをしそうです。


「明、君って人間は、なんという……」

「おっと、泣いている暇はないよ、秀。まだまだこれからだ。いいかい、俺のサーブを返すことも必要なんだよ。秀はまず、一番後ろのベースラインの、そのまた後ろに待機してろ。俺がサーブを打つと同時に、まっすぐ前に向かって、目をつむったまま、右足、左足、右足と走り出して、三歩目と同時に、フォアハンドでラケットを振れ。秀はボールのことなんか考えずに、ただ、自分を美しく見せることだけを考えてればいい。他のことは全部俺に任せておけ。バックハンドもやらなきゃな。バックは普通と逆だからな。左足、右足、左足で、三歩目でスイングだ。いいか、秀。お前がやるべきことはひとつだ。俺が打つと同時に、あらかじめ決めておいた方向に、三歩走ってラケットを振るんだ。そのことだけを考えていろ」

「わかった。なにもかも明に任せるよ」

「それじゃあ、サーブリターンからだ。行くぞ、秀」


秀と明との特訓は、なんとか軌道に乗ってきました。

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