∞ 彼女のシニフィエ

 元号が変わり、彼女は永遠になって、私はつまらない大人になった。

 私は四年制のつまらない大学を五年かけて卒業し、くだらない自己欺瞞的な就職活動をやって、何の面白味もない社会人になった。

 毎日同じ時間に起きて、同じ時間に会社に行って、事務的な挨拶をして、まったく面白くない他人の話を行儀よく聞きながら、同じ時間に帰ってきて同じ時間に眠る。

 子供のころ、「大人ってどうしてこんなにつまらないのだろう」と考えていた。

 自分が大人になってようやく分かった。全ては時間なのだ。私たちは時間の波に押し流されて、少しずつ角を削られていく。時間の絶対的な圧力は確固たる〈私〉を摩耗させる。

 私はグーで、時間はパー。

 絶対的な上下関係。

 そういうことを自分の身で実感するようになってから、私は彼女とのあの輝かしい黄金の日々を振り返ることが出来るようになった。


 私たちは時間に勝ちたかった。

 私たちは永遠に続く〈特別〉の中にいたかった。


 だけど、私たちは朽ちゆく時間の中を生きているから、その力には抗えない。

 時間の矢は、暗がりに潜む肉食獣のように眈々と、永遠に縋る私たちを付け狙っていた。

 そしてその鷹の目で些細な変化を見逃さず、彼女を「普通」の地平線へと引きずり込んでしまおうとしていた。

 山に登ったとき? ストラップを買ったとき? 学校に泊まったとき?

 彼女がいつ、自身の変化に気付いたのかは分からない。

 だけど一つ言えることは、そのことに「気付いた」というまさにその瞬間、時間の浸食は真に始まってしまったのだ。

 そして彼女も、自身が「気付いてしまった」ことに気が付いた。自身の手が時間の灰色に染まり始めていることに気付いてしまった。

 そうして〈彼女〉という特別性は、人間へと接地していく。

 彼女が人間になってしまったら、必ず時間は彼女を丸呑みし、津波のようにどこか別の場所へと押し流す。それは〈人間〉という性質に元々付帯されている回避不可能な事故みたいなものだ。人間である以上、私たちは歳を取るし、変化し、劣化していく(加えて述べるならば、あの唯一無二な日々たちを、私がこうしてここに言語化できてしまっているという事実そのものが、私の時間的摩耗の顕れであると言えるかもしれない)。

 だから彼女が、私たちが、時間に勝つには「存在」になるしかなかった。存在とは、常に在り続けるもの。永遠である。彼女は時間に打ち勝ち、永遠になろうと死を選んだ。

 彼女の行動はとても正しかったと思う(「正しさ」という言葉を選んでしまう時点で、私の手は灰色に染まりきってしまっている)。彼女はチョキを出したのだ。

 一方で私はあの日、彼女の手を放した。

 そもそも〈私〉がいなければ世界は始まらない。私が存在しなければ誰もそこに存在があると気付かないし、時間が流れているなんて考えもしない。存在を感知できなければ、永遠になった彼女を、永遠として取り扱うこともできない。

 だから私はグーを出した。時間に負けることを覚悟で、存在に勝ちに行った。

 もしかしたら私が死んでも世界は消滅せずに、存在は存在のままで、何の支障もなく回り続けたかもしれない。だけど、彼女が〈彼女〉であったことは誰にも気づかれないだろう。

 人間なんて冬休みの二週間もあれば跡形もなく消失させられるのだ。全校集会で「二名の生徒が自殺しました」と教頭が発表し、二三日教室がざわざわなってそれで終わり。二週間後にはもう誰も覚えていないし、机に花も飾られない。

 死んでいくものを見るのが好きで、自宅に死ぬためのグッズをたくさんコレクションしていて、記号的要素が好きで、意味深なことを言っているようで雰囲気だけの言葉を面白そうに弄ぶ彼女の存在性を、時間はいともたやすく世界から消し去ってしまうだろう。

 だから私は、時間に勝つことを選んだ彼女を負けさせないために、あの日彼女の手を放したのだと思う。

 結果として、私は時間に負けてつまらない大人になってしまった。

 だけど、私が〈私〉である限り、彼女の永遠性は保たれる。だからきっと、私たち二人は勝てたのだと思う。

 時間に迎合した今の私には、あの日の私たちがなぜそこまでして時間に勝ちたかったのか、本当はもう分からない。

 永遠とは、時間や規範に勝つこととは、それほど重要なことだったのだろうか。

 分からない。

 分からないけれど、あの日の私たちがあれほどまでに勝ちたかったのだから、それはきっと勝ちを狙いに行くだけの価値のあるものだったのだろう。私はそう信じることにした。


 仕事を終えて、帰宅して、コンビニで買ってきた温い弁当を食べた。

 シャワーを浴びてベッドに入る。

 部屋の電気を消す前に、霧吹きでベッドサイドのプランターに水を与える。

 彼女が永遠になったあと、私は彼女のマンションの郵便受けを開けに行ってみた。

 詰め込まれたピザのチラシやお試し用の新聞の下に、宛名のない封筒が置かれていた。

 中身は、植物の種。

 その日から十年間、私はその種をプランターに植えて毎日水を与え続けている。

 発芽の気配はまだない。

 ベッドサイドの引き出しには、彼女の家の合鍵と、木彫りのキーホルダー、一本の白髪、それに当時使っていたひび割れたスマートフォンが入っている。あの日以来写真は撮っていないから、今はもう目覚ましの代わりにしか使っていない。

 目覚ましを六時にセットする。

 あの日撮った彼女の写真を眺める。

 それはとても綺麗な横顔で、私は彼女に「おやすみなさい」と声をかけてから部屋の電気を消した。



                                      

(了)

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彼女と私のシグニファイア 真江紗奈 @sanaesana

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