12 それはゾンビの定義にもよるわね


 チェックアウトは十二時だったので、昨日よりもゆっくり起きられた。十時半にやってきたルームサービスのチャイムで慌てて服を着たくらいだ。マーマレード付きのパンを齧りつつ、朝の東京タワーを眺める。やっぱり東京タワーは夜の方が綺麗だな。

 昨日は部屋に戻ってから彼女がピアノを弾いてくれた。曲名は分からなかったけど、たぶんクラシックの曲だ。夜の東京タワーにぴったりの曲だった。あるいは、彼女が昨日この部屋でピアノを弾くことを想定して、東京タワーが建造されたのかもしれない。

 ピアノの良し悪しは私には全然分からなかったけど、彼女の奏でる音色はとても素敵で、それになによりこの演奏の観客は世界中で私だけなのだという優越感があった。その優越感が誰に対してのものなのかはよく分からない。おそらくは、過去の自分。昼休みの教室で寝たふりをしていた私に対する優越感だ。

 こういう話を振ってみたかったけど、彼女は優しい顔でペダルと鍵盤を操っていた。ピアニストは音に感情を込めると読んだことがあるけれど、もしそうだとしたら彼女は今この音色に、何を乗せて響かせているのだろう。ピアノを聞いた経験値が足りないのでよく分からない。あるいはいつものごとく、よく分からない雰囲気だけの音色なのかもしれない。高名な音楽家たちが彼女の演奏を色々解釈しあれやこれや議論している中に彼女がやってきて、「なんか雰囲気だけだったのだけど……」と言い残して去っていったら最高だな。意味がないことに価値を感じられるのは、きっと私たちだけの特権だ。

 朝食を食べて、シャワーを浴びて、ギリギリまで冷たいシーツの上でごろごろしてからチェックアウトをした。きっとまた図書館にでも行かない限り、私がこのホテルに泊まれることは一生ないだろう。そう考えると少し寂しくて、だけどそのおかげで昨日の彼女がこのホテルに関する私の唯一無二の思い出になるなと思い至って、一階まで降りるエレベーターの中での私は、きっと充足感に包まれていた。


 東京旅行最終日だった。正確には東京から帰るのは明日だけど、明日はもう帰るだけだから実質の意味での最終日だ。

 私たちは北千住駅から終点まで四十二分の旅をした。

 つくば駅から北の方角へ歩いていく。やがてコーンとフェンスと立ち入り禁止のテープでぐるりと敷地を封鎖された場所に辿りついた。十年前まである大学があった場所だ。

 敷地が封鎖されているといっても、大学の敷地は縦に何キロもあるから、入ろうと思えばどこからでも入れそうだった。事故から時間が経ちすぎているせいか、監視の警備員や警官も立っていなかった。

 私たちは人と車の往来が一切なくなる瞬間を探して、木々の間から大学の敷地内に侵入した。

 ここは十年前までは普通の国立大学で、学生と研究者を合わせると5万人近くが籍を置いていた大きな大学だったらしい。しかし、ある日どこかの誰かの作ったガス(ということになっている)が不慮の事故(ということになっている)で散布されてしまい、数十名が死んだ。加えてその後の除染作業中に、敷地内の湖から安全値を殴る蹴るしたようなレベルの汚染物質が発見され、大学は一時立ち入り禁止になった。そしてそのまま大学の機能は停止してしまい、それっきりそこだけ時が止まったような世界が出来たのだという。

 これらは全部彼女の受け売りで、私はそんな大学の存在さえ知らなかった。だけど彼女の情報に因るならば、一見の価値はあるように思われた。ある日を境に急に人の消え去った研究棟や、劇物の混じった湖など、見てみたいものはたくさんある。コンクリートが剥がれ落ちていたり、建物が巨大な植物に浸食されていたりすると嬉しい。 

 敷地は広大だった。大きく伸びた木々が見えないところまで続いているし、雨風で掠れた看板によれば、大きな池が二つもあるらしい。遊歩道の左右は膝の上ほどまである雑草が元気よく伸びていて、緑の絨毯みたいだ。スカートで分け入ったりしたら、それだけで脚が痒くなってしまいそうだ。

 彼女の話では、大学の端から端までは五キロ近くあるようだった。もちろん、遊歩道はぐねぐねとくねっていて、最短の直線距離を行くわけではないから、実際に歩くともっと広く感じられるだろう。

 遊歩道には起伏もあって、実質ハイキングのようなものだった。たまに草陰から音がすると思ったら、リスやイタチが飛び出して来たりする。パニックものの映画だったらそのまま襲われてしまいそうなやつだ。遠くには段ボールの塊やブルーシートが見えたから、ホームレスの人が住んでいたりもするのかもしれない。リスの調理方法について思いを馳せたりしてみた。

 点在する建物を眺めながら先へ進むと、大きな建物群に遭遇した。

 色褪せた壁の文字から、右側の建物が体育館や食堂で、左側のは図書館であったことが分かった。図書館の方が近かったから入ってみようとしたけど、入り口のガラスが全部割れて、代わりに机でバリケードのようなものが築かれていて頑張らないと侵入できそうになかった。バリケードの隙間から中を覗くと、受付カウンターだったと思われる場所はツタに占拠されていて、天井から吊るされた「貸し出し窓口」という看板がツルにグルグル巻きにされていた。

「なんでバリケードなんかあるのかしら」

 と彼女が不思議そうに言った。日焼け対策にと駅前で買ったカンカン帽を被っているので、こうして首を傾げていると知的好奇心の強いどこかのご令嬢みたいだ。

「立ち退き反対派の人たちが立て籠もったとか?」

「それは案外説得力があるわね」

「汚染に感染した人たちがゾンビみたいに襲ってきたとか」

「それも魅力的な可能性ね」

 ちょっと進むと、今度は元美術館のような建物があった。遊歩道の上を渡り廊下が走っていて、遠くからだとHの形になっていた。そのHの左側の足部分が全面ガラス張り(だったと思われる)になっていて、兵馬俑の兵隊みたいなのや、実寸大くらいのトロイの木馬みたいなやつ、他にもミロのビーナスやエジプトの壁画にいる二足歩行のイヌみたいなあれの像まである。きっと芸術系の学部があったのだろう。

 外の螺旋階段から降りられそうだったので、入ってみることにした。

「ストップ」

 彼女に襟首をぐえっと引っ張られた。

「なに?」

「しっ。誰かいる」

 二人で気配を殺してしゃがみこんだ。

 確かに何か声が聞こえた。ネコの鳴き声かとも思ったけど、人間の声のようだった。

「ゾンビ?」

「それはゾンビの定義にもよるわね」

 反響でなにを言っているのかはよく聞き取れないけど、女の子の声だった。たぶん二種類の女の子が会話をしているのだと思う。

 彼女が「戻りましょう」と腰を上げたので、私も足音を立てないようにそれに続いた。

 要するに、お邪魔にならぬようという配慮だった。もちろん法的には立ち入り禁止のエリアだけど、案外ここらへんは女の子たちの隠れたデートスポットになっているのかもしれない。あるいは私たちにとっての踊り場のテントみたいなものか。

 私たちのような人種というのはどこにでも一定の割合で存在していて、みんなどこかに隠れ家を持っているのかもしれない。

 空き地に捨てられた畳をひっくり返すとダンゴ虫やオケラが住み着いてるのと同じだ。そういうのを見つけたら、そのままそっと畳をもとに戻して立ち去るのが礼儀というものだろう。

 というわけでどんどん先へ進んだ。その後は人の気配を感じなかった。坂を上ったり下りたりして、大きなホールみたいなところを通り過ぎ、歩道橋を渡って坂を下りたり上ったりした。

 やがて大きな池に出た。

 大きさは四百メートルトラックよりちょっと大きいくらいだろうか。水面の半分以上が藻に覆われていて、残りの半分は水が変な色をしていた。シャボン玉の溶液みたいにきらきらと不健全な色を反していて、見る角度によって緑にも紫にも見えたりする。今まで見てきた建物はどちらかというと使われなくなったただの廃墟だったけど、この池は明らかに「汚染!」という見た目をしていてテンションが上がる。私はきっと汚染されたものを見るとテンションが上がるのだ。

 水辺に行って、藻のゾーンにそっと指を突っ込んでみる。指先に味覚はないから、触っただけではよく分からない。ちょっと舐めてみたけど味も普通の水っぽかった。

「ええっ、あなた今舐めた?」

「なんていうか普通の水っぽいけど」

「普通の水っぽいけど……じゃないわよ。あなたは平気かもしれないけど、それは巡り巡って私の体内に入るのだからね。変な菌をもらってこないでよ?」

 これまでにも散々滅茶苦茶なことをやっておきながら、急に潔癖になる彼女がちょっと面白かった。だけどこのせいであとでキスを拒まれてもいやだから、これ以上は舐めないでおくことにした。

「見て、白鳥のボートがあるよ」

 木陰の下でビニールシートに覆われていたスワンボートを見つけた。外装は苔だらけになっているけど、現状水に浮いているということは乗れるのではないだろうか。

 私が運転席で、彼女が助手席に座った。最初は恐る恐る陸地から体重を移していったが、存外安定性は高かった。ペダルも生きていて、ちょっと漕いだらゆっくりと岸から離れて行った。

 特に考えなしに乗ったスワンボートだったので、特に考えなしに漕いで回った。ペダルは助手席と連動していて、本来は二人で漕ぐ仕様のようだけど、彼女に漕ぐ気がなさそうだったので私が一人で頑張った。何か目標が欲しいからとりあえず反対側の岸を目指すことにする。

「あなたって泳げる?」

 彼女がボート内に落ちていた枝で虹色の水面を切りながら尋ねる。

 この場合の『泳げる』は、池の真ん中で私たちのボートが転覆したら洋服を着たまま岸まで辿り着けますか、という質問だろう。

「泳げない」

 本当はやったことがないから分からないけど、泳げないと思っていた方がきっとドキドキできる。

「そもそもこんなところに現役のボートがあること自体が罠っぽいわよね。池の底には怪物が潜んでいて、私たちが真ん中まで来たら触手で一気に引きずり込んでしまうの。きっと水底にはたくさんの骨が沈んでいるんだわ」

 たぶんこの白鳥は、わざわざこんな池でスワンボートに乗ろうとする人々のこういうよく分からない雑な話を聞きたくてここに待機しているのではないだろうか。

 対岸まで漕いで、よしっと自己満足して出発港に戻ってきた。もちろん池の底から巨大なイカが触手を伸ばしてくることはなかった。ただ藻と汚染水に満たされた無の池を行って帰ってきただけだ。そういえば池と湖ってなにが違うのだろう。

 スワンボートはちゃんと岸辺につないで、きちんとビニールシートを被せた。こうしておけば次にこの池を訪れた人々も巨大イカの話を出来るだろう。美術棟での畳の件といい、今日の私たちはなぜだか他人への配慮が得意だった。人間が人間のことを慮るようになってしまう汚染物質がこの地には充満しているのかもしれない。

 池を後にしてさらに先へ進んだ。建物がたくさんあった。いうなればここが大学の心臓部だったのだろう。背の高い建物、背の低い建物、比較的新しい建物、見るからに古い建物。それぞれが立体パズルのように組み合わさって群をなしていた。

 せっかくなのでどこかに入ってみることにする。奥まっていて陰気な建物に入った。

 ここは理科系の棟だったらしくて、実験室のような部屋が並んでいた。何に使うかよく分からないけど「あっ、なんか研究所っぽい」と思えるような謎の機器の数々が並んでいる。どれも高そうな機械に見えるけど、盗まれずに今まで放置されているということは見た目ほどは価値のないものなんだろうか。

 建物の奥に進んでいくと、どんどん暗くなってくるから本当にゾンビゲームみたいだった。窓が実験室の側についているせいで、普通に廊下を歩いていると、空間に対して光量が圧倒的に足りていなかった。それにたぶん今は太陽を覆う雲も厚くなってきていて、差し込む光も弱くなってきている。このまま天気が悪化して、大雨で一晩ここから出られなくなったりしたら素敵だな、と思ったりもする。そうしたら意味もなくバリケードを組んだりして晴れるまで時間を潰したい。

「ひやっ」

 急に足元に何かがぶつかってきた。たぶん小動物だと思うけど、あまりに急だったから変な声が出てしまった。びっくりしすぎて思わずバッグを肩から落としてしまった。なんとなくこういうのは恥ずかしくて、彼女に聞かれていないことを祈る。隣の実験室から顔を出してこなかったから、たぶん気付かれていない。セーフ。

 実はまだ心臓がちょっとバクバクしているけど、足に当たった大きさから考えてゾンビではなく、消去法でネコなのではないかと思った。

 一昨日、二人でネコを追いかけたことを思い出す。

 今度のは幻想のネコではない、本物のネコだ。ここでの「本物」はたぶん質量を持ってるとか、触覚的に感じられるとかそういう意味。

 じゃあ私が彼女に「ネコがぶつかってきた」と話したら、それは彼女にとって本物のネコだろうか。彼女は私伝手にネコの話を聞くわけだから、ネコの触覚を得られない。でも彼女は私が嘘を吐いているとは考えないだろうから、「本物」のネコがいたのだと考えるだろう。ということは彼女は聴覚で私の話を聞くことで、私の「触覚」を追体験してそこに「本物性」を見出すのだろうか。

 私は無性に彼女にも直接触れてほしくなって、ネコを追いかけることにした。小難しいことを考えるよりも、ネコを捕まえて「ほら、ネコがいたよ」って彼女に見せた方が早いと思った。そしたら彼女は「ネコね」なんて頷いて、私たちは変な話を一つ二つして、その頃にはもうネコに飽きてしまっているだろう。なんていうかそういうのって想像しただけで結構楽しい。

 廊下を進んでいくと、一か所ドアが半開きになっている研究室があった。そっと中を覗いてみる。ネコがいた。

 真っ黒なネコで、赤い首輪をつけていた。

 私はチッチッと舌を鳴らしてみる。ネコがこちらに気付いて、品定めをするように私を見つめた。私はしゃがんでテーブルに乗っているネコよりも目線が低くなるようにしながら「おいで」と手を差し出してみる。

 ネコは動かない。

 首輪をしているだけあって、人間に慣れているような感じはする。指を鳴らしてネコの気を惹いてみたりした。

 ネコは幽霊を見るみたいな目つきで私のことを数秒凝視してから、フイとそっぽを向いて、書類の散乱した机の上を器用に渡り歩いてそのままガラスのなくなった窓から外へ出てしまった。

 こうなると意地でも捕まえたくなった。

 私も窓から外へ出る。

 外は中庭のような場所だった。建物がコの字に三方向を覆っていて、中央の大きな木の周りには木製のベンチが設置されていた。どれも腐って一部が黒く変色している。

 ネコは私のことなんて眼中にもないといった様子で、すまし顔で抜けた林の方へと歩いていく。獣道が出来ていたからいつも通るルートなのだろう。なんだかトトロみたいだ。

 一定の距離を保ちつつネコを追いかけた。時々蜘蛛の巣に引っかかりながら、薄暗い木々の間を抜けていく。

 と、ネコが急に獣道から逸れて草の中に埋もれて行った。

 待っ――。

 口に何かが飛び込んできた。

 虫?

 前に進めなくなる。

 何!?

 何かが私の身体をホールドしている。

 手? 何!? 腕!

 後ろから引きずり倒されっ、力

 ゾンビッ!? ちがっ、人間! 馬乗りにされる。

 口に入っていたのは指だった。

 ばたばたと脚を動かして抵抗するけど全然動けない。

 肩を抑えられて上体も起こせない。

 上から垂れた前髪が私の首元に擦りつく。

 目。人間の目。獣のような目。血走った目。

 怖い。なに。怖い。無理。なにこれ。

 怖い強い怖い力なに。

 ブチブチブチっという音がして、少ししてシャツをボタンごと剥がされたのだと気付いた。

 骨ばった長い腕がブラの上から胸に伸びてきて必死に振りほどこうとする。

 汗と私の唾液でぬちゃぬちゃになった手の平で鼻と口を覆われてろくに息が出来ない。

 頭を持ち上げようとするたびに後頭部を地面に叩きつけられてくらくらした。

 怖い。なにこれ。ネコ? 怖い怖い怖い怖い怖い。

 暴力的な指先が私のジーンズに手をかける。ボタンを外そうとしている。外させちゃ駄目だ。身体を回転させて俯せになろうとしてるのにびくともしない。

強い力。臭い。汚い。やめろ。意味が分からない。怖い怖い怖い怖い。

 手がジーンズのボタンを外した。ジッパーを下ろされそうになるのを腰を浮かせて抵抗する。お腹を殴られた。怖い怖い。やめてなんでこんなことするの。

 またお腹を殴られた。骨と皮だけの骸骨みたいな腕なのに息ができなくなるくらい痛い。お腹をガードしたら、頬に平手打ちをくらった。何度も何度も平手で私を打つ。なんで。怖い。無理、無理無理無理。

 両手首を頭の上でまとめられた。私の腕は二本なのに、大人の腕一本の力にも及ばない。

 もう一方の手が私の口の中に侵入してきた。餌付く。汚い。やめて。爪。土のざらつき。気持ち悪い。なんで。無理。

 何度も何度も咳き込まされて、暴力を振るわれて、徐々に抵抗する力が弱くなっていくのが自分でも分かる。あるいは抵抗する意志? なんていうかもうどうせ駄目なんだから、感情を殺してさっさと楽になってしまった方がいいんじゃないかという気持ち。涙がボロボロ零れる。なんで。どうして。これなに? 私がなにをしたの? なにもわからない。

 骨の手がショーツごとジーンズを引き剥がそうとする。ここで負けたら敗北だ。嫌だ。怖い。終わりたくない。終わるのやだ。汚い手で私に触るな。私に、私に触れていいのはっ! やめて。怖い。さっさと終わらせてしまいたい。目の端に青いビニールシートが見える。私が悪いのかな。この人の領地に私が勝手に入っちゃったから、私は皮を剥かれてリスみたいに食べられてしまうんだ。

 指が太腿に食い込む。やめて。痛い。ごめんなさい。ごめんなさい。あ、無理。無理無理無理。ごめんなさい。謝るから。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 大きな影が私に覆いかぶさる。焦点が合わない。ぎとぎとの髪が頬を撫でる。口臭とともに茶色い歯が立つ。

 もう駄目。ごめん。私は。私は――。

 ………………?

 少しして、上の重しがピクリとも身動きをしないことに気が付いた。胸元が冷たい。赤。赤い液体。これは――血……?

 そういえば腕が自由になっている。重く弛緩した塊の下から這い出す。手にべったりと赤黒い肝のようなものが付着した。

 私を襲っていたそのモノが後頭部に穴をあけて絶命していた。

「大丈夫!?」

 彼女だった。彼女だ。好き。大好き。来てくれて嬉しい。こんなところを見られて悲しい。好き。嬉しい。ありがとう。本当に。好き。大好き。

 彼女の手には五発式のリボルバー拳銃が握られていた。

「ごめんね。ごめんね。ごめんね」

 手についた脳みそを砂で払おうとして、私はその場で脱力してしまった。

 好き。大好き。助けてくれた。私を助けに来てくれた。

 雨が降ってきて、その冷たさが心地いい。

「逃げるわよ」

 彼女が私の手を引っ張った。

 彼女の手。小さくて、冷たくて、滑らかで、お人形のように綺麗な手が、私を引っ張ってくれる。嬉しい。好き。

 私はよく分からないまま彼女に着いて行って、なんかもうふわふわでよく分からなかった。

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