9 最大のハッピーと、新幹線のホーム発車音で始まった


 日々が凪のように無に過ぎて、すぐにゴールデンウィークがやってきた。

 5月2日午前九時、私たちは駅の北口改札で待ち合わせをしていた。

 といっても条件付きの約束だったので、彼女が本当にやって来るかは分からない。なにしろ最後に話したのがもう四ヶ月も前だし、もしその間に誰かが彼女の母親の失踪届を出していたりした場合には、この約束はなかったことになる取り決めだった。

 私は八時二十分には駅についた。改札の前を行ったり来たりして、近くのコンビニにも入ってみたけど彼女の姿はまだなかった。約束までまだ三十分以上あるから当然といえば当然だけど。

 駅は休日の朝にしては人が多かった。普段がどんなものか分からないけど、みどりの窓口には二十人近くが列をなしていたのでたぶん多いだろう。流石はゴールデンウィークである。

 まだ時間はあったけど、すれ違いになるといけないから私は北口から動かなかった。柱を背にして、こちら側へ来る人の顔が全員見える位置に立った。彼女が来るなら地下鉄かバスだろうと予測して、ウェイトとしてはそっち側から来る人の方に注意を払った。

 九時が少しずつ近づいてくる。

 バスや地下鉄から乗りついてくる人の波が治まるたびに、私の心は「来なかったらどうしよう」と「来なくて当然」の間を忙しく揺れ動いた。後者はきっと本心ではなく、万が一彼女が来なかった時のショックを和らげるための自分への言い訳だった。

 八時五十五分になって、地下鉄から乗り換える人の波がなくなった。この時間の地下鉄なんて十分に一本もないだろうから、九時までに次の電車が来ることはないだろう。

 となるとバス? だけどバスもさっきまとめて到着していたから、数分以内にまた別のバスがやってくる可能性は低い。もしかしたら彼女は来ないかもしれない。

 あるいは彼女が遅刻をしている場合はどうだろう。そういえば私たちの密会は、常に合意のあるものではなく、なんとなく踊り場に行ったらなんとなく彼女がいた、というようなふんわりとしたものであった。即ち、私は彼女の時間に対するルーズさを知らない。もしかしたら単に髪の毛をとかしていたら予定のバスに間に合わなくて、二十分後の次のバスに乗った、とかではないだろうか。その場合、私たちはお互いへの連絡手段を狼煙くらいしか持っていないから、とにかく私は待つべきだろう。

 そう考えると気持ちが楽になってきた。彼女が来るかもしれない時間までは、まだ十二時間以上あるのだ。

 構内の鐘が鳴った。九時を告げる合図。

 背中をポンと叩かれた。彼女だった。

「待たせたかしら? いえでも九時に集合なのだから、この場合はあなたが勝手に早くから待っていただけで、私が罪悪感を覚える必要は一切ないわね」

 何か月ぶりかの会話の初手がこれ。私は彼女のことが大好きだ。

「どこから来た? ずっと見てたつもりだったけど」

「そっちからよ」と彼女が改札の向こうを顔で示した。「改札内のパン屋が美味しいんですって。美味しかったわ」

 つまり彼女は私よりも先に駅に着て、悠々とモーニングを食べていたのだ。私よりも先に着てたんだ。そこに意味を見出していいのか分からなかったけど、気持ちの話をすればとても嬉しかった。

「それでついでにチケットも買っておいたわ。はい、これ。流石に連休ね。どの時間も連席は無理だったから、通路を挟んで隣同士にしてもらったわ」

 チケットを受け取る。発車時間は……。

「五分後?」

「そうね。向こうのホームね。行きましょう」

 彼女がスタスタと歩き出す。私も慌ててそれに続いた。チケットに刻印された発射時刻は九時十分。こだま指定席。

 私は嬉しくてたまらない。彼女は私が絶対に時間通りに来ると信じてくれていたのだ。

 私のゴールデンウィークは、最大のハッピーと、新幹線のホーム発車音で始まった。

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