7 世界中で感情があるのが自分ただ一人のように感じられる
年が暮れて、年が明けた。
彼女が用意してくれた私の着替えは三巡目に突入し、私は人生で初めて正月に餅を食べた。
彼女によると、元日の餅は毎年四十人近くを殺しているらしい。ある年の餅に因る一月の死亡者数は208人で(バーベキューよりも多い!)、そのうち20パーセントが元日に喉を詰まらせているということだった。ちなみに午前八時から九時の間が一番事故の発生件数が多くて、全体の16パーセントを占めていたらしい。
なので、私たちは当然元日の午前八時に餅を食べた。今は美味しく食べているけど、一秒後にはこの餅が喉に詰まって息が出来なくなるかもしれないと想像すると、背筋がゾクゾクした。ゾクゾクするとドキドキするし、ドキドキするのはとても楽しい。ずっと餅を食べていたかった。
三が日が明けて、ひたすら削り続けた骨はついに頭蓋骨の下半分だけというところまできた。
「来週から学校だね」
自分の分の削る骨がなくなって暇だったので、ベッドをごろごろしながら彼女に声をかける。
「明日には終わるわね。やっぱり二人でやって良かったわ」
骨はこれでラストだし、一番面倒だった歯も小さく砕いて処理したから、これが終わると正真正銘一人の人間を消失させられたことになる。
だけどそれは私がこの部屋にいる理由が無くなることも意味していた。
このままここにいたい、とか、学校に行きたくない、とか色々思うことはあるけど、それを口に出すのは私たちの関係性ではないように思われた。
「私たち、きっと学校でもしばらく会わない方がいいわ」
「そうだね」
「そんな顔しないの」と彼女がこちらを見ずに言った。「あなたはちゃんと学校に行くのよ。あなたの尊いところはね、どんなに世間を見下していても、なんだかんだできちんと学校に行くところなの。私たちみたいな捻くれた女子高生なんてきっと世界に星の数ほどいるわ。大人が嫌い。権威が嫌い。正しいとされていることが憎い。道徳という言葉に吐き気がする。誰もが忌避するから逆説的に死が好き。社会規範に収まりたくない。世界中で感情があるのが自分ただ一人のように感じられる」
彼女がチェロ奏者のような姿勢で頭蓋骨を削りながらリズミカルに言った。
「最初ね、あなたが死体の写真を撮って無感情にあの場を去った時、私はあなたに対してなんとも思わなかった。よくいる『そういうのが好きな子』なのだと思ったの。だけどあなたは制服を着ていて、公園で血を落として、コンビニで靴下を捨てて、本屋でミステリーを買うか散々悩んだ挙句なにをするかと思ったら普通に学校に行くじゃない? 私ね、そういうところが尊いと思ったの」
分かる? という風に彼女が語調を上げた。
「私が学校に行くのは、単に私が小心者でつまらない人間だからだと思うけど」
「そう、あなたってそういう見下し方をするのよね」
彼女がベッドに背を預けて、可笑しそうに私を見上げた。
私は彼女の毛先を持ってきて、無言でくるくるとそれを弄る。
確かに、しばらく会わない方がいいという判断は合理的に思えた。だから私が引っ掛かったのは、たぶん文中に省略された『学校が始まったら』という条件節の方だった。
私たちが今いるマンションは外界から切り離された永遠だった。特に私はこの二週間弱この部屋から一歩も外に出ていない。地上百三十メートルの位置にぽっかりと浮かんだ10×20×2.5メートルの直方体の空間。屋上のテントと一緒だ。彼女以外誰も存在しない聖なる領域。常に世界から独立していて、安定で、完全だった。
だけどそれが単に「冬休みが終わる」というだけのことで、あっさりと切り崩されてしまう。私たちの空間は永遠なのに、私が「学校」というつまらない社会的な文脈に乗った脆弱な存在であるせいで、永遠は時間の波に押し流されてしまうのだ。
「じゃんけんみたいなものよね。〈私〉がいないと世界は認知されないから、私は存在に強い。存在自体は永遠だから、存在は時間に強い。だけど私は時間の流れの中を生きている。時間は私に強い。そういうものよ」
つまり「私」は私たちで、「存在」はこの部屋で、「時間」とは冬休みなのだ。
「私がいないとそもそも始まらないから、『最初はグー』に対応するのが私ね。えっと、だから存在がチョキで、時間がパーか。じゃんけんしてみる? 最初は私、じゃんけん、存在」
私はとっさにチョキを出したので、たぶんあいこだった。
「あいこでしょ」
今度は私がパーを出して、彼女はグーだった。
「ね? そういうものなのよ」
なにがそういうものなのか全然分からなかったけど、私が学校に行くことで彼女に尊い気持ち良くなってもらえるのなら、まあ行ってもいいかもしれない。
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