5 脳みそまでとろとろに蕩けてしまうに違いない
色は綺麗な青白色で、どこかが赤く腫れていたり膨張したりはしていなかった。
死体を見て最初に思ったことは、「写真撮りたいな」であった。私は死体の写真を撮るのが好きなのだ。
だけど、こんなモロのモロもいいところの証拠画像を私のケータイに残すわけにはいかない。グッと我慢した。
「写真を撮りたいんでしょう? いいわよ」
「いいの? でも危なくない?」
「もしあなたに捜査の手が及ぶことになったら、その時点で画像に関係なく危ないし、そうじゃなかったら画像に関係なく危なくない。ロックをかけておけば大丈夫よ」
彼女の甘言に説得力を感じたので、私は浴槽の死体の写真を一枚撮った。これで私の画像フォルダはセミ二十四匹、犬一匹、猫一匹、カラス二羽、人間二体ということになった。人間の画像が暫定二位タイに躍り出たのがちょっと嬉しい。
「まあたくさん面倒をかけるから、それくらいのご褒美がなくちゃね。着替えてきましょう」
季節外れの水着に着替えて、上からパーカーを羽織った。死体を処理するにあたって、少しでも温度が低くなるようにと部屋の暖房は切ってあった。
「そのパーカーは汚れてもいいやつ?」
「うーん……」
「私の貸してあげるからそれにしなさい」
と彼女が来ていた大きめのワイシャツを脱いで私にくれた。彼女のぬくもりが少しだけ残っていた。
実際に解体する前に手順を確認しあった。
最初はお腹を開いて、とにかく腸の上と下を紐でしまってソーセージみたいにする。おそらくは人間の身体でもっとも臭い部位なので、とにかくここをどうにかしてしまえばあとは楽に違いない。
二人でマスクをして、メスを使ってお腹を開いた。でろんといきなり腸が溢れ出てくる光景を想像して身構えていたけど、実際はなんの変化もなかった。どうやら内臓は薄い膜に覆われていて、スプラッター映画みたいに唐突ににゅるにゅると零れてくるものではないらしい。勉強になる。
薄膜を破って、ようやく腸と対面した。思っていたよりももこもこしておらず、単なる紐みたいだった。臭いも全然しない。きっと死んでから時間が経っているせいだろう。一応準備した手順通り、腸の上と下を見つけて、ひもで結んでから切り取ってみた。流石にちょっと臭くなったけど、想定していたよりも随分うまくいったと思う。しんみりと干からびたウナギみたいになっている腸をビニール袋に入れて、彼女がトイレに持って行った。中身をトイレに流してしまおう大作戦だ。
その間に、私は一人でも出来ることを細々とやった。
髪の毛と下の毛を皮膚ごと剥がしてコンビニの袋にまとめた。真っ白に変色していた足の爪を両方全部はぎ取った。
彼女がほぼ中身を出し切った腸を持って戻ってきた。シャワーで洗って、いつでもウインナーを作れそうな綺麗な腸が完成した。
初手が思った以上に簡単に終わったので、私たちはやる気に満たされた。
まずは右脚から行くことにした。ノコギリと中華包丁で膝から下を切断した。
死んで時間が経っているせいか血はほとんど出なかった。流石に切り口からは黒っぽい塊がちょろっと零れたけど、お風呂場で鼻血を出した程度のものだった。
膝から下の足から、肉を削いでいく。ふくらはぎの部分は簡単だったけど、足の甲なんかはほぼ皮みたいなものだったので難しかった。脚の指先も面倒くさい。
こういうの既視感があるなと思ったら、小さな骨付きチキンを食べると小骨が何個にも分かれていくあの感じだ。チキンなら齧ってやれば衣ごと皮が取れるはずだが、人間の足の甲ともなるとそうもいかなかった。結局ズダズダにして色々試してから、あとで熱湯で煮てみることにした。
両手首から先の部分も同様に煩雑だったが、他の部位は比較的なんとかなりそうだった。心臓は綺麗にとれたし、肺なんかも破いて潰したらいい感じになった。
臓器や肉は基本小さく刻んでからミキサーにかけた。ミンチを作るみたいに二刀流の包丁で肉を細かくなるまで叩いていくのは面白かった。あ、餃子が食べたいな。
疲れてきたので一旦休憩することにした。とりあえず、手首足首以外の手足はなんとかなりそうだったし、大変そうな内蔵も幸先よく処理できた。次はもっときれいに骨から肉を剥がし落として、それと手つかずの首から上をなんとかしなければならない。
お風呂でやっていたからそのままシャワーを浴びて、バスローブを借りてリビングに戻った。ぐったりなれる場所を探して、ベッドにバタンと倒れこんだ。隣に彼女も寝ころんだ。きちんとしたマットレスだから、いつもの体育マットの何倍も沈み込む感じがする。天井は高いし、採光もきちんとしているけれど、初体験の作業で興奮した二人がベッドの上でやることといえば一つだった。
やり終わった後、布団をかぶって彼女と話していると、これがいわゆるピロートークというものなのだな、と変な感動があった。彼女の肩に頭を預けた。
「ねえ、あなたにとってはどうでもいいことかもしれないけど聞いてくれる?」
「いいよ」
「あのね、別に私が殺したわけじゃないの」
「そうなの?」
「あなたのそういうところが好きよ。私が起きたらあの人が帰って来てて、口に吐瀉物を詰まらせて死んでたの。きっとお酒を飲みすぎたのね」
「でもそれなら普通に警察に届けてもいいんじゃない?」
「ほんの一瞬だけ私もそれを考えたわ。だけど出来なかった。私の片親が死ぬとするじゃない? そうしたらもう一方の親の元に送られると思ったの」
「嫌いなの?」
「殺してやりたいと思うくらいにね。そこで考えたわ。母は元々遊び歩いているだけの人だった。唐突に海外に行くのだってざらだし、たぶん数か月連絡が取れなくなったところで心配する人はいないわ。ならその間に母の死体を完膚なきまでに消滅させて、『偶然何か月も家に帰っていない状態』にすればいいのよ。あの男の元へ帰らなくて済むのなら、この解体にはそれだけの価値があると思ったの」
彼女が私の手の平に指を絡ませた。
「私は誘ってもらえて嬉しかった」
「昨日あなたが屋上に来てくれた時、私はたぶん嬉しかったと思う。嬉しかったからといって何かが変わるわけでもないのに、嬉しい時って嬉しいのね。人間に備わった無意味な機能をまた一つ明らかにしてしまったわ」
それからほぼ半日かけて、肉と骨とを分類した。だいたいの肉は小さくした後ミキサーにかけて、それから台所についていたディスポーザーにかけて流した。ディスポーザーは最強だった。流しのくぼみに入れて蓋をしてスイッチをオンにすると、およそ二分でその中にあるものを無にして見せた。眼球や脳みそも全部無にしてくれた。
思いのほかスムーズに事が進んだので、今日の作業は終わりにした。ちゃんとした食材がなかったので、冷凍から揚げ二個とチンするご飯を半分ずつ二人で分けて食べた。
浴室暖房で丸々一晩骨を乾かしながら、その間に私たちは二人修学旅行をやった。すなわちウノと7並べと大富豪だ。だけどどれも自分の手元にないカード=相手のカードということになるから、6や8を止めている人間の正体や革命される可能性があるかどうかまで全部が分かってしまうので、早々に飽きた。
他にやることないかなぁと考えていると、彼女がとっておきのものを見せてくれた。
「見て」
彼女の手には黒光りする太い棒が握られている。
「警棒?」
「スタンガンよ」
スタンガンってもっところころローラーのような形をしていると思っていたけど、彼女のスタンガンは警棒の先に電極が着いているようなタイプだった。例えるならばクワガタじゃなくてカブトムシみたいな感じ(私ってもしかして例えが凄く下手なんじゃないか)。
彼女がスイッチを入れてみせる。
棒の先端に付いたスパーク部の間を短い雷が走った。バチバチバチと耳障りな音を伴っている。
「それもテレビショッピングで買ったの?」
「これはね、公園のゴミ箱で見つけたの。最近のゴミ箱にはなんだって捨てられているのよ」
バチバチバチ、と電気が走る。
私も触らせてもらった。
バチバチ。音は嫌だけど、これは楽しい。デザインから考えると、きっと警棒として使いつつ、その先端が相手の肌に触れた時にスイッチを押して電気を流すのだろう。
私は威力を試したくなって、電極部に触れたままスイッチを入れてみる。
「イたッ!」
刺されるような痛みが肩の下まで走った。
指先がじんじんして、肘から下がぷるぷると震えている。スパーク部に触った指先を見ると、赤く水ぶくれが出来ていた。
「これ、すごいね」
指先をふーふーしながらスタンガンを彼女に返した。
「あなたってこういうのノータイムでいくわよね。普通もうちょっと躊躇うパートがあるわよ」
「こんなに痛いとは思わなかったから」
「ならもっといいことしましょうか」
彼女に馬乗りになられる。
「口を開けて」
あーん、と口を開ける。
私の口内に、黒くて太い棒が侵入してきた。
鉄っぽい味と、喉の奥に当たるスパーク部の感触。
「私が今スイッチを入れたら、あなたはどうなっちゃうかしらね」
想像しただけでドキドキしてしまう。
一瞬指先に触れただけで肘のところまで痺れたのだ。きっと私の喉は昔のアメリカの死刑囚みたいに焼け焦げて、脳みそまでとろとろに蕩けてしまうに違いない。
脳がとろとろになった自分を想像する。私の意志や自我がヨーグルトの上澄み液みたいに爽やかに、鼻や口からどろりと流れ出していくのだ。それはいうなれば〈私〉の流出。ドキドキする。彼女がほんの気まぐれでスイッチを押すだけで、私は私でなくなってしまうのだ。そういうことを考えると、内ももにキュンッと力が入るのが分かった。
完全にこれからやりますモードが入っちゃったけど、浴室乾燥フル稼働で骨を乾かしていることを鑑みてキスだけに留まった。
彼女の唇は薄くて、舌は柔らかい。金属の棒を咥えていたせいでいつもより余計にそれが感じられた。手を出すタイミングを考えずに無心でキスをしていられるのは思ったよりも気持ちがよかった。たまに舌と舌がピタッと重なるタイミングが合って、自我が溶け合うみたいにふわふわとした気持ちになれる。結局シーツに涎の染みが出来るまで自我の崩壊を続けた。
それから二人で大人しくソファーに座ってテレビ映画を観た。ストーリーは面白かったけど、終盤何度も挿し込まれるコマーシャルのせいで、結末を迎えるころには内容なんてどうでも良くなってしまっていた。いつの間にか彼女が眠っていたので、テレビを消して私も眠ることにした。電気を消すと下界の夜景が綺麗だった。水面に近くのマンションの明かりがきらきらと揺れていた。
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